たいやき

31歳。毎日のうれしいこともいやなことも、記事というエンタメに昇華していきます。

たいやき

31歳。毎日のうれしいこともいやなことも、記事というエンタメに昇華していきます。

最近の記事

まだ、自分のなかで消化しきれていないから。

最近、元彼とのやりとりを、わりと具体的に記事に書いてた。 でも、結構終盤まで書いて、公開できてないやつもあった。 その記事はなんだか文章を閉じれなくて、公開しちゃダメな気がして、そのまま。 どうして閉じれないのか? どうして公開できないのか? そんなことを自問自答していて思ったんだけど、 ここで書くことによって、モヤモヤが昇華できる、自分の状況を俯瞰して見れると思ってた。 でも、現実はそんなことなくて、まだ気持ちが落ち着いていなくて、だから俯瞰なんてもってのほかで。 ただ

    • しあわせな思い出がぶり返す。

      仕方ない。間違いなくしあわせだったんだもの。 でも私を振り回して雑に扱う権利は、あなたにはないよ。 私は、お父さんお母さん、じいちゃんばあちゃん、お兄ちゃん、親戚のおじちゃんおばちゃん、みんなに大切に育てられたの。 大切にしてもらってきたこの自分を雑に振り回す権利は、私にすらない。 だからもちろん、あなたにもない。 たくさん話を聞いてくれる、付き合いの長い友だちもいる。 仕事でもキャリアを積んできた。 あなたに振り回されるほど、価値の低い人間ではない。 あなたがいなくて

      • 持つべきものは経験値の高い友。

        復縁して結婚に至った友だちが2人います。 今回混乱している最中、その子たちにも相談した。 2人ともが(たぶん無意識にだと思うけど)強調しながら伝えてきたのは、「自分から連絡しない」ということ。 一度連絡がきて会ったあとも、絶対に自分から連絡しない、と。 またそこから1ヶ月とか空いたとしても、焦らない。 置いとく。待ってる。 とはいえ、自分の精神状態が何よりも一番大事。 余裕がなくて、一喜一憂して自分の毎日がめちゃくちゃになるようなら、早く白黒つけて健康体に戻ったほうがいい

        • 許すと楽になる。

          本格的なメンタルの落ち込みを感じたので、私的パワースポットにいってきた。 素敵なお姉様がタロットリーディングや霊視をしながら話を聞いてくれるお店。 このままだと心が壊れるって、本気の危機感を感じたときにだけ行くようにしている。 ここで話を聞いてもらうと気持ちが軽くなって、すごく救われるんだよね。 仕組みはよくわからないけど、ほんとにすごいと思う。ヒーリングってやつ? こっちが本音の本音でどう思ってるかを察知しながら、最適な考え方に導いてくれるというか。 今回もその導きがほしく

        まだ、自分のなかで消化しきれていないから。

          ずっと独身でいるつもりはないけれど、「ずっと独身でいるつもり?」を観た。

          感想、というと綺麗な言葉にまとめようとがんばってしまいそうだから、とりあえず思ったことをつらつらと書く。 年上の女性が主人公の映画を観ると、「あ、私今この人のこの段階かも」と思うことがある。 逆に、年下の女性が主人公の映画を観ると、「あった、あった、こんなとき」と思ったりする。 今すぐにぱっと出てくるもので思い出せるのは「愛がなんだ」。 この映画を観たのはもう3、4年前だから、ふわっとした記憶しかないのだけれど、岸井ゆきのちゃん演じる主人公を見ては「やめとけやめとけ、あーわ

          ずっと独身でいるつもりはないけれど、「ずっと独身でいるつもり?」を観た。

          父親のYouTubeを観て泣く娘。

          今日は寝起きそこまで病まなかったー! ていうのもたぶん、昨日の夜にひっっさしぶりに泣いてスッキリできたからだと思う。 タイトルでもはや明らかだけど、父親のYouTubeを観て泣いた笑 父親のYouTubeとはなんぞや、という話なんですけど、年末年始に帰省したときにその存在が明らかになりまして。。 父親の、というと語弊があるか。 趣味仲間に誘われて、定期的に協力出演しているみたい。 1ヶ月前くらいからずっとわんわん泣きたいのに泣けなくて、泣けそうな映画とか、泣けるYouTu

          父親のYouTubeを観て泣く娘。

          人の目を気にする自分が好きじゃないんだと思った。

          仕事のこと。 今日から仕事始めです。 とか言いつつ、こんな記事を書く余裕があります。 暇です。 すっごく波があるんですよ、私のしごと。 下流にいるって感じだね笑 ずっと気にしてたことがあって。 暇な時に暇に見せない。 暇でもずっとPCを近くに置いて、スクリーンセーバーが起動しないように、分刻みで触って、チームスがずっとオンラインになるようにしておく。 こいつ今暇で仕事ないんだってどうしても思われたくなくて。 終業連絡もちょっと遅めにしてみたりとか。(裁量労働制です) だっせ

          人の目を気にする自分が好きじゃないんだと思った。

          夜よりも朝に病む人って私以外にいる?

          おはようございます。 学生の頃からなんだけど、どうも朝、寝起きに気が滅入りやすい。 寝る前のほうが余計なこと考えて病んじゃうとかよく聞くけれど、むしろ寝る前は元気なんだよね。 元気満々というほどではないけれど、穏やかで、まあどうにかなるよね〜みたいな気持ちでいられる。 一方で寝起きは、目が覚めた瞬間から、 「なんで今目が覚めた?やだ、むり、悲しい世界無理。もっと寝させて、、ああああああ、どんどん目が冴えていく、、、寝落ち、寝落ちて、、二度寝しちゃって、、、、気持ちが上がるま

          夜よりも朝に病む人って私以外にいる?

          「失恋」っていうよりも「恋を失った」っていうほうが、なんとなく情緒を感じられる。

          失恋した。 もう何度目かわからない失恋。 どうしてこうもうまくいかないのだろう。 どうして恋愛はいつまで経っても器用にできないのだろう。 仕事でいうと、適職とか適材適所とかいうけど、 恋愛もきっとそうで、相性という名の適材適所があるんだろうな。 でもその適材適所がいっこうにわからない。 つかれたー。 そう、今回は特に疲れる恋愛だった。 思い返すと、付き合ってから常にイライラしていた気がする。 相手のせいだけじゃなく、仕事とかその他の要因ももちろんあるんだけど。 この人のこ

          「失恋」っていうよりも「恋を失った」っていうほうが、なんとなく情緒を感じられる。

          名前を呼んでもらえる幸せ。

          この情勢下で、本当に関わりたいと思う人としか、関わらなくてよくなった。そんな中で、「名前を呼ぶ/呼ばれる」機会がある関係って、これから、もっともっと、かけがえのないものになっていくんじゃないかと思う。 名前を覚えてくれてるってことは、存在を認知してくれてるってこと。人もモノも情報も溢れかえっている世の中で、その人の世界に、私という人間を存在させてくれているということ。 とってもありがたいことだと思う。 名前を呼んでくれる人を大切にしたいし、私から名前を呼ぶ機会がある人たちの

          名前を呼んでもらえる幸せ。

          今日も好きでした。明日も好きでいられるでしょうか。

          どんなに好きだった人でも、いつかは忘れる。 「あの出会いは特別だった」 「あの人のことだけは一生忘れられない」 なんてどれだけ強く思っていても、 人はつくづく忘れるもんだなぁと 歳を重ねるほどに思うよ。 5年間片想いしていた幼なじみを 忘れさせてくれたのは、 合コンで出会ったチャラ男くんだったし、 久しぶりにピュアな恋をした先輩を 忘れさせてくれたのは、 ティンダーで初日からホテルにGOした 年下の男の子だった。 合コンやマッチングアプリでの出会いを 卑下しているわけでは

          今日も好きでした。明日も好きでいられるでしょうか。

          憧れか、嫉妬か。

          あらゆる角度から 私の人生に入り込んでくる人がいる。 直接の関わりはない。 なのに周りから、よく、その人の名前が出る。 「またこの人の話!」と何度も思った。 その存在に触れれば触れるほど、 力強くもあたたかいパワーやマインド、 ボキャブラリーを持っている人だと分かる。 そして、常人の何倍も努力して、 チャレンジして、行動して、経験を重ねている、 業界の第一線で活躍する、逞しい人であると。 でも、なんでか気持ちを 「憧れ」に昇華できない。 ただただ、悔しい。 そこにいきたく

          憧れか、嫉妬か。

          それは誰の言葉だ。

          過去の投稿を遡ってみた。 気持ち悪い。 なんか気持ち悪い。 なんで気持ち悪いのか考えてみた。 自分の言葉じゃないからだと思った。 よそいきの言葉を、ふだん使っていない言葉を、 無理やり見繕って繋ぎ合わせて格好つけて。 あんた誰? てことで、ぼちぼち過去の投稿を リライトしていこうと思います。 自分で書いた言葉なのに、 自分らしい言葉に翻訳するって、 ちょっと訳がわからないけど。 いっちょやってみます。

          それは誰の言葉だ。

          負けたときに思うこと。

          慢心していた自分への羞恥心と、 もっとこうすればよかったのにという反省で、 どこか遠くへ飛んで行きたくなる。 消えたい消えたい消えたい消えたいって、 頭の中で連呼する。書きまくる。 この感じにいつまでも慣れない。 一時期は、 「これが熱くなってるってことなんだ!」 と言い聞かせて、成長の糧にしていた。 いまはなんだか、そう言い聞かせることに ちょっと疲れた。 なんでいちいち評価されなきゃ いけないんだよとか思っちゃってね。 成長の糧にはなっていると思うんだけど、 ずっと何か

          負けたときに思うこと。

          今やらないことって、一生やらないんじゃない?

          外に出ないとできないことは除いて、 英語の勉強とか、投資の勉強とか、副業とか、 買ったまま読まずにいた本を読むとか、 気になってたドラマの一気見とか、 家でできる、ちょっとした 「挑戦してみたかったこと」 今やらないんだったら、 もう一生やらないんじゃないか?と思った。 仕事でいっぱいいっぱいだからって言い訳して ずっと手をつけてなかったけど、 土日も家に篭もらなきゃいけない、 もはや、チャレンジする理由しかないような いまの状況でやらないって、 もともとそこまでやる気がな

          今やらないことって、一生やらないんじゃない?

          なんだかんだ幸せだ。

          不謹慎とか言われるのかな? 正直いま、けっこう幸せだ。 何が一番大きな幸せ要因かというと、 在宅勤務ですね。 もう、ずーっと、在宅でいい。 もとから会社に毎日出勤する意味が まじで分からないと思っているタイプの 人間でして、でも会社という組織に 属していないと、不安になっちゃうタイプの 人間でもありまして、今の会社で 在宅勤務の権利を得ることが ひとつの目標だったんだよね。 奇しくもこの情勢下で実現するというね。 まじで快適だわ。 アドラー心理学でさ、 「すべての悩みは対

          なんだかんだ幸せだ。