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地元のヤバイ塾について

先週から一週間地元に帰省していました。

いつも、いきなり帰省するので、地元の友達と予定が合わず、地元に帰る度にフラフラするのが恒例化しています。

それで、自分がかつて通っていた学習塾の前をたまたま通り、ここ、変なところだったなーと思ったので書き留めておこうと思います。

僕は小学校三年生から中学校三年生まで、地元の学習塾に通っていました。

小学校三年生の頃は「エジソンクラブ」という、発想力を育てる、みたいな所に行っていて、そこで絵を見て物語を作ったり、とても楽しかったです。

四年生からは普通によくある塾の授業のコースに移り、六年生になると中学受験の為の特進コースに移りました。(中学受験していないけど…)

特進コースは算数(数学)、理科は塾長による授業なのですが、この塾長というのが、かなりのクセ者でした。いつもヨレヨレのTシャツで迷彩柄のパンツにビーサンスタイル。清潔とは言えない無精髭にビール腹、授業以外はいつもタバコを咥えていました。そして、がなるような叫び声で進む授業は今も鮮明に記憶に残っているので、それほどに強烈だったんだと思います。

劣等生だった小六の僕が塾長につけられたあだ名は「死んだ方がいいレベルのバカ」でした。笑 「バカヤシ」とも言われていました。(これは中学三年生の高校合格の報告に行くまで変わることはありませんでした。)

特進コースなので、周りは国立や私立の中学を受験する人が多く、優秀な人たちばかりで、その中にいた僕の落ちこぼれ加減はかなり際立っていました。

分からない問題は考えても分からないので、解答欄に「?」と書いて先生に出して怒鳴られたり、とにかく事あるごとに先生には怒鳴られていたのです。

そんな特進コースの落ちこぼれだった僕ですが、ある日、めちゃくちゃ難しいと言われた中学校の算数の入試問題を全問正解したことがありました。周りは全員が答えられず、僕だけ満点だったので塾長はかなり驚いていました。

でも、一番驚いたのは僕自身です。なぜならそもそも問題を一つも理解していませんでした。全て勘でした。文章で出てきた数字を紙の上に全て書き出し、足すか、かけるか、引くか、割るか、全て適当に答えました。その結果、超難問といわれた入試問題で満点をとったのです。周りがざわつきました。あいつ、アホ過ぎて逆に一周回ってヤバイ奴なんじゃないかと…。

「ここ、どうやってこの答えに辿り着いた?」

しかし、塾長は、正解することよりも、その答えを導くまでの根拠や過程を大切にする人でした。今思うと、その考えはめちゃくちゃ大切だと思います。ただ、その時の僕としては「細かいことは気にすんな」としか言いようがなく、笑いながら「とりあえず割ってみました。」と言いました。その後僕は塾長の雷をモロに受けました。

中学二年生の時なんかは、「この問題を答えぃ。こばや…」のタイミングで手を挙げて「はい!わかりません!」と答えたら、「考えろや!」と、雄叫びを上げるように怒鳴られ、教室のチョークが全て粉々になる事件が起きました。

塾長がチョークを1本粉々にしては怒鳴り、また1本粉々にしては怒鳴り、とにかくめちゃくちゃ切れるのです。

あの時、人生で初めて怖さの余りに小便を漏らしそうになりました。人間って怖い時まじで下半身の感覚がなくなるんだな、と実感しました。当時友達の影響で読んでいたヤンキー漫画で、小便を漏らすシーンがかなり出てきていて、ああ、あの感覚はこの感覚なのね…と。

やはり、数え切れないほどに、先生にはよく怒鳴られていました。

今思うと、塾長は、仕事熱心な人でした。家にも帰らず、塾に篭ってひたすら仕事をしていた様に思います。よく事務所の洗面所で髪の毛を洗っているのを見かけました。

特進コースの理系の科目は全学年受け持っていたので、かなり多忙だったと思います。塾の授業中、しかも、公式の説明中にいきなり寝落ちすることも何度もありました。なぜか起こすのは僕だったのですが、今思えば、そのまま寝かせたままにしておけばよかった。笑

そんな塾長の経歴はかなり謎で、大学を出た後に料理学校に行ったそうです。僕は「中華料理はなぜ誕生したか?」という質問を授業中にされたことがあり、「今目の前の図形の問題と全然関係ないやん…!」と心の中で突っ込んだのを覚えています。(例になく「はい!わかりません!」と答えました。)

そういう経緯から料理が好きらしく、僕や友達が自習室で勉強していると、「焼きそば食べる?」とか「お好み焼き作ったけど、食べへん?」とかよく塾長から差し入れをもらっていました。(姉は清潔感が無いからという理由で断っていたらしい。笑)

そして、塾長の料理の腕前がまたかなりのものだったのです。大好評でした。

そんなある日、塾に行くと、あまりにも料理好きが高じたのか、塾の入り口にホットスナックコーナーが出来ていました(笑)スーパーとかにある、オレンジのライトが照らされているケースが入り口にドン、と置かれていました。

焼き芋にはじまり、焼きそばなどが売られていましたが、悔しいことにこれがまたうまかったんです。母親に塾で焼き芋が売られ始めたと言ったら、面白いから早速買ってきてという話になり、そこからよく買うようになりました。塾長が置いたホットスナックは、段々と市民権を得ていったのです。

塾長はその様子を見ては、タバコを吸いながら「うまかろう、うまかろう。」と、満足げでした。

その後も暫くホットスナックは続いていきました。

僕が中学三年生になったある日、塾に行くと、塾長はよく外で木材を削ったり、釘を打ったりする様になりました。空き時間があれば、何かを組み立てている姿をよく見かけたのです。

まず最初に、簡単な椅子ができました。その次に、これまた簡単な机ができました。それから、ある日、大きな小屋が完成しました。

そして、その小屋は翌週にもなるとたこ焼き屋になっていました。僕たちがあまりにも美味いと言った結果、塾長は気を良くしたらしく、たこ焼き屋をオープンしてしまったのです。

塾に行くと、塾長がタオルを頭に巻いてたこ焼きを焼いているではありませんか。ホットスナックでさえ笑っていたのに、まさかDIYして自分でたこ焼き屋を開いてしまうなどとは誰も想像していませんでした。

しかも、趣味のたこ焼き屋かと思いきや、パートまで雇い出し、授業の時はパートのおばちゃんやお兄さんがたこ焼きを焼いていました。

たこ焼き屋の前には塾長お手製の机と椅子が置かれ、近所の主婦の憩いの場にもなりました。近所のちびっ子や、地元の人に嬉しそうに商売する塾長は見ていて面白く、僕は笑っていました。(塾長はたまにガキの悪口を言う。)

たこ焼きを焼いたり、DIYしたり、色々とやりすぎて、ある日、「本業が分からなくなってきた」と僕は話をされたこともありました。その後の授業で変わらずめちゃくちゃ怒鳴られたので、その悩みは杞憂だった様に思います。

次第に、高校受験が近づき、追い込む為に夜遅くまで塾に残っていると、よく余ったたこ焼きを差し入れとしてもらっていました。「もってけ。あと少しや、頑張れよ。」と、厳しい人でしたが、人間味のある人でした。

そんな中、受験前の中学校の試験で校内3位をとったことがありました。灘高に行ったやつ、京大に行ったやつ、僕、の順番。バカヤシとしてはかなりアンビリーバブルなハプニングでした。

当時、塾では学校の試験がある度に結果を報告しなければならず、それまで僕は「まぁたこんな低い点数取ってバカチンがぁ!」と呼び出されて授業後に怒られるのが定番でした。ちゃんと勉強した結果とは言えども、いきなり3位はマズい、3位なんて取ったら絶対カンニングを疑われるぞ、と。

なので、こっそり紙に書いてそそくさと教室を出ていったのですが、「おぃコラこばやしぃ!」とやはり嫌な予感は当たり、僕は呼び止められて、少し教室の外で待つように言われました。

そして、少し経った後、塾長が外から戻ってきました。その手にはプラスチックの容器に入れられた焼きたてのたこ焼きがありました。

そう、わざわざ僕に渡す為にたこ焼きを焼いて下さったのです。「小林よ、努力は気持ちよかろう?」と、初めて塾長に褒められた瞬間でした。あまりにも褒められることに慣れておらず、びっくりしました。嬉しくて、あの時のたこ焼きの味は忘れられない思い出です。

その後、僕は見事に先生のお陰で第一志望の高校に受かりました。そして、塾を卒業し、塾長ともオサラバしました。終わってみると、苦しかったのに、なぜか良い思い出に思えて寂しく感じました。でも、もう一度戻るかと言われたら、それは遠慮します。笑

それから状況の挨拶に行くまで、塾には顔を出していなかったのですが、聞いたところによると、僕たちが卒業した後、塾長の厳しいやり方は時代とはそぐわないと捉えられることが多くなり、生徒数はみるみる減っていったようです。

挨拶に行った時には、塾は元あった校舎ではなく、近くの小さなテナントに移動していました。元あった場所は違う塾に買い取られていて、大きく掲げられていた看板も、あのたこ焼き屋の小屋も撤去されて、なくなっていました。

しかし、塾長の方は変わらず料理好きな様で、東京行ってもがんばれよ、と、塾長の手作りのスイートポテトを頂きました。オッサンがスイートポテト作るんかよ…、と心の中で突っ込みましたが、やはり味はめちゃくちゃ美味かったです。

心なしか、トゲがなくなって、笑顔が少し優しくなっていたような気がしましたが…。それでも、僕の通っていた塾は何度考えてみてもヤバい塾だったと思います。


最後に、今まで塾長の話だけをしましたが、他の科目の講師もなかなかに個性派揃いだったのでザッと思い出してみます。

ます、プードルを連れてくる国語のおばちゃん(めっちゃ吠える)毎週ある試験の最後の問題は絶対ボケないといけない英語の先生(授業が大喜利大会に。)イケメンなのにホモっぽい先生、チェーンスモーカーの肌荒れがひどい事務のお姉さん、アユが好きなギャルの事務(エロかった)、やたらパンチラインを言ってドヤ顔をしたがる社会の先生(たこ焼きをよく食べていた)など、色んな人がいました。クセがあまりにも強いので、1回で来なくなる生徒もいました。先生たちはみんな元気なのだろうか。

なぜ両親は姉と僕をここにぶち込んだのかは謎ですが、今となってはすごい面白かったな、と思います。感謝感謝。

そんなことを考えていたらたこ焼きが無性に食べたくなったので、家の近くのたこ焼き屋に行ってこようと思います。

以上、ヤバイ塾の話でした。

くだらないお話を最後まで読んで頂きありがとうございました!

生きます。