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永遠は孤独でつくる〜Cö shu Nieの『ずっとそばに』の歌詞の深読み話〜

「ずっとそばにいる」なんてことはフィクションなわけでして。どんな純粋な関係も強い絆も死期を合わせられない限り「ずっとそばにいる」なんてことはあり得ません。

「ずっとそばにいる」と誓えるほどのひとに出会い、人間関係を築けた幸せなひとが、「ずっとそばにいる」なんて不可能なことを知る。一番幸せなひとが一番不幸になります。誓いの言葉に「死がふたりを分かつまで」なんてありますが、分かつ以上は永遠はフィクションです。孤独に耐えられない人間を癒すための柔らかい嘘とさえ言えます。

それでもCö shu Nieの『ずっとそばに』を聞いていると「ずっとそばにいる」はあり得るのかもしれないと思ってしまいます。永遠は可能なんでしょうか。

しかも、永遠を可能にしてくれるのは、孤独なのかもしれません。

『ずっとそばに』の中で生きる主人公は、「もうここにいないあなた」ともう一度会おうと食事の準備をしているように聞こえます。そして、「あなた」を懐かしむその心理が歌詞になっています。いわば、「もうここにいないあなた」と交わす心の中の会話が曲になっています。

曲のはじまりから終わりまで、根底には孤独が流れていますよね。でも、この孤独がふたりを永遠にするかもしれないんです。

曲の最後は「ひとりで生きていけるわ」と締め括られます。これは別れの言葉ではなく、永遠を誓う言葉として余韻を残します。

「ひとりで生きていけるわ」が示すのは「あなたはもう必要ない」ではなく「あなたが目の前にいなくても、あなたがいるときと変わらない私で生きられる」といった意味なはずです。

「目の前にいても距離を感じる」人間関係もあれば「離れていても近くに感じる」人間関係もあります。その違いは「心の中で話せるか」です。「あのひとならなんて言うだろうか」と思ったときに、返事が想像がつき続けられるならば、それは永遠と呼べるでしょう。目の前にいないあなたは私の中で生き続けています。

目の前にいてほしいあなたを失った孤独であるひとが、あなたを自分の内面で生き続けさせることで永遠を誓える。Cö shu Nieの『ずっとそばに』が教えてくれることは、一見矛盾する「永遠は孤独でつくれる」かもしれません。

目の前にあなたがいるときに永遠を誓うことは簡単です。真剣な表情で永遠を読み上げればいいだけです。でも、本当に永遠でいられるかが問われるのは、あなたが目の前からいなくなったときなのかもしれません。


作曲とともに作詞はボーカルの中村未来さん(Miku Nakamura)です。ここまで永遠と孤独の関係を見事に描いた中村さんにいつかお聞きしたいですね。

ひとはどれだけ精神的に「あなたと私は心の中で一緒にいる」と誓っても、『ずっとそばに」の歌詞の主人公のように物理的にあなたに会うことを願います。ひとは目に見えないものだけで生きることはできません。実体がほしくなります。

そんな精神と肉体のどちらもほしい人間は、やはり死別を克服できないのでしょうか。肉体がなくなってしまったら、やはりひとは寂しさに耐えられないものなのでしょうか。愛が深ければ深いほど、孤独が深くなることは避けられないのでしょうか。


と、書いていて思ったのですが、『ずっとそばに』は愛や恋や「好き」と直接的な言葉を使っていないのにラブソングですね。そういう曲が好きです(あっ)



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