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なぜ「男はATM」などという言葉が存在するのか?

こんにちは、taigaです。
本記事も、相変わらずインパクトの大きなタイトルだ。

「男はATM」

今でも日本でこのような表現が使われているのかどうかは分からない。だがこれは日本人なら恐らく一度ぐらいは聞いたことのあるフレーズであり、価値観アップデート中の僕ですら聞くたびに非常に不快な、何とも言えない胸クソな気持ちにさせてくれる言葉でもある。

『男はATM』とは、言い方を変えると『男は経済力』というのと同義だ。

しかし、そもそも日本の社会でなぜこのような言葉が生まれたのだろうか?
今日は僕が考えた理由を2つほど挙げてみたい。

読む人が読めば非常に頭の痛い話題かもしれないが、まあそれは何かしら本人に刺さるところがあるということかもしれない。まあそう言うのが気にならない人は暇つぶしにぜひ読んでいってくれ。

理由1:日本では 『男らしさ』『女らしさ』がモテ基準だから

さて、まずはライトなところから。
日本はまだ性別役割分担が大好きな国であり、現在でも『女だから』『男なのに』などという表現をかなり好んで使う。
これはまだしばらく、向こう数十年はトレンドとして続くと僕は思っている。

なので、日本は未だに男らしさ・女らしさが市民権を持っているため、俗に言うモテ度は、『それぞれの性別の典型的なセックスアピール』にめちゃめちゃ頼っている節がある。これはどうしても否めない。
(ちなみに本記事の意図するセックスアピールとは、身体的特徴でないものも含む、広義のものと捉えてもらえれば嬉しい)

そんなわけで、日本における『魅力的な女性』とは可愛らしさ・あどけなさ・愛嬌・幼さ・色気が備わっていて、尚且つ『ほどほどに(つまり自分が疲れない、苛つかない、損をしない、恥をかかない程度には)おつむが弱くあって欲しい』ではないだろうか。
※ちなみに日本では未だに女性の家事育児介護スペックは『デフォルト値として出来ること』が前提として求められる傾向にあるので、ここには入れていない。

つまり、現在の日本社会では『自分の意見をはっきりと言い、収入も高く、気の強い女』はなんとなくモテない。しかし逆に『我の強さはあまり持たず、高収入ではない、大人しめの女』はなんとなくモテる傾向にある。
このような傾向そのものが、日本では『女性の典型的なセックスアピール』になってしまっていると、僕は感じている。

さて、ここからは見る人によっては胸クソなことを書く。

要は、日本社会では今でも『可愛くてエッチで、何も言わず家事育児介護をやってくれて、俺のやることにいちいち文句を言わないのがイイ女=モテ女』という方程式がどことなく存在するのである。
だからこのような女と結婚すると「良いカミさん」などと言われ、その逆は「かかあ天下」「鬼嫁」などと揶揄されるのである。

つまり自分が帰ったらいつも家にいて、常に笑顔で若々しく、子供やお年寄りの世話が『好き』で、料理や家事に『喜びを感じ』(←つまり『彼女自身が望んでいる』というのがポイント)、自分が落ち込んだ時には母のように慰めたり嗜めてくれ、浮気も「男の甲斐性」と笑って許してくれ、夜はもちろん床上手。

日本における理想の妻は、若く美しく、昼は聖母であり、夜は娼婦であり、でも貞操観念や経済観念はしっかりしているので家を任せても安心。こんなところだろうか。
いや、本当に胸クソなほど極端に書いてみたが、未だにこの種のトレンドは存在すると思う。痛いところを突いていたらすまん。
だがこれらの特徴は結局のところ『女という性を徹底的に絞り尽くして出てきた理想』に他ならない。そう、大和撫子はもはやフィクションなのだ。
だからもし未だに大和撫子のような条件を女のモテ要素(男ウケ)として堂々と持ってくるのであれば、残念ながら男性の経済力(ATM力)はトレードオフ必須というか、女性側の選択肢に入らないワケがないのだ。

僕たちが典型的な『女性らしさ』(つまり若さ・セックス・家事育児介護能力・母性)を女性に求め続けるならば、女性側も典型的な『男らしさ』(ベタだが高収入・高身長・高学歴など)を求めるのは当然と言うわけだ。

だから男が『若さ・セックスなど』を望み続ける以上、女に対してだけ「ATM扱いしてんじゃねえよカスが」と文句を言うのは、完全に筋違いなのである。

理由2:日本は女性が圧倒的に稼げない社会だから

そんなわけで、日本では性別における典型的なセックスアピールがモテ指数となっているがために、男性側が女性の若さ・セックス・家事育児介護力を求めるのと同じように、女性も男性に経済力(ATM力)を求めるという構図が成り立っているということがなんとなく掴めたかもしれない。

次はもう少し経済的な観点から。
女性が男性の経済力(ATM力)をチェックせざるを得ない2つ目の理由は、日本社会では女性は圧倒的に稼ぐことができないから、いやむしろ『日本が絶対に女性を稼がせない社会だから』に尽きる。

以前の記事でも書いたのだが、まさに日本女性の平均所得は男性のたった何割で、という話なのである。もし時間があればこの記事も読んでみてくれ。

ほとんどの女性は男性と違い、一生フルタイムで稼ぐことができない。結婚、妊娠、育児、介護などのいずれかで必ず行き止まりになるからだ。
仕事を続けて出世を狙うには、独身を貫くか、子なしを貫くか、必ず人生における何かを諦めなければならない。

そもそも日本社会には仕事と家庭を両立できる土台がほぼないし、復職してもほぼ時短勤務・パートをするしかないのだ。仮にフルタイム勤務で戻っても、すでに1年なりブランクはあるし、その後も子どもの件などで仕事に穴を開けるのはまだ圧倒的に女性側だ。
さらに周りからは「子どもがいるのに働くなんて自分勝手、母親失格、子どもが可哀想」などと意地悪なことを言われる(男はこれを経験しない)。

さらに気の毒なのは、以前の記事でも書いたが、仮に独身を貫き、男と同じように仕事に邁進しても、女性側にのみ存在する『ガラスの天井』によって出世はどこかで必ず頭打ちとなる現実がある。

一方で、男性も男同士での収入格差は確かに存在するが、結婚すれば、仕事と家庭、どちらも比較的スルッと手に入れることができる、そのような社会基盤が日本には備わっている。通常であれば男性は結婚して子どもができたからと言って、それを理由に役職下がり、出世コースから外れ、給与が減らされ、意地悪をされ、退職に追い込まれることはないだろう。

逆に言うと女性は子供ができると、その後は復職しても時短勤務、家計の税金控除を考えてパート止まり、あるいは就活をしても子持ちは採用されないなど、日本ではなぜか女性には一定以上の経済力をもたせないようにする社会システムが見事に完備されているので、そうなると悲しいかな、男性は残念ながらATMになるしかないのだ。

僕も書いていてやるせない気持ちでいっぱいだが、日本はこのような社会なのだ。と言うか、女性に『男はATM』などと呼ばせてしまうような、そんな胸クソな社会を作っているのは、まさに僕ら男による政治なのである。

政治が変わっていかないと、制度も変わらない。
つまり「女に経済力を重視されるのが、死ぬほど気に食わねえ!」と言うなら、マジでこの社会を変えていくしかないのだ。

それでは、僕たちはどうすればいいのか?

僕が思うに、答えは超簡単だ。
『男はATM』と言われがちのは、『男が圧倒的に稼ぎやすく、女は圧倒的に稼ぎにくい社会構図』になっているからだ。
つまり、逆に言えば男だけに収入が偏る社会をなくせば『男はATM問題』は非常に起きづらくなる。何故なら50:50なら、女性も同じだけ稼げるから経済力を男側に期待されることがなくなるのだ。
そうすると、割り勘で済むので追加出費をしないのが当たり前の世界になる。
例えば、初デートですら「今日は僕が奢るよ」とか気を遣う必要もなくなるし、それによって「ケチくさい男」と裏で言われることもなくなる。
(自分でも書いていてみみっちいが、これが僕らの多くの本音だと思う。仮になんでもない人とでも、女性と普通にご飯に行くだけのコストがいちいち高すぎるんだ。『普通は奢る、奢らなきゃケチ』みたいな雰囲気、しんどくないか?僕は正直、会計時のあの空気がしんどい)

つまり男女で仕事・昇級・給与も全て半分ずつ負担していく社会構造にすれば、男は『いいよな女は時間があって』とか言わなくなるし、女も『いいよね男は稼げて』のように、いがみ合う必要がなくなる。

これ、お互いにめちゃくちゃハッピーにならないか?
いやマジで僕はそう思う。
僕は、男も会社や仕事や残業に一生を縛り付けられない方がいいに決まってる。(僕自身そうだ。12時間労働、14時間労働が普通っての、もうやめないか?)
確かに男の方が出世しやすいし給与も上がりやすいとは言っても、高い給与とかもらえるのは一部の成功した男だけだし、普通の人間には割りに合わないんだよな。

なので、僕としては、男性側の仕事量・給与を減らして自由な時間を増やし、家事育児介護を折半できる社会にしようよ、その代わり女性側にも仕事・出世をして収入を増やそう、という考えだ。それだけで男女の争いは減り、平和になる気がする。少なくとも僕はそう思っている。

ただ、もちろん今でも日本の税制は『大黒柱+パート主婦』が大前提で構成されているし、仮に同じように働けても『ガラスの天井』が女性の出世を阻む。このような問題は沢山ある。これらを一つずつ是正していかないと真に平等にはなり得ないので、かなり大掛かりな社会の構造改革が必須だけれども。

まとめ

要は、『男は経済力』『男はATM』の言葉の対には、『女は若さ』『女は家事育児介護』があり、まるで男女が求めるものは合わせ鏡のようになっている。

日本の男性の多くは、多かれ少なかれ女性に対してこの辺りの『女性らしさ』を無意識に求めていると思う。だが一度考えてみて欲しい。表現がものすごく悪くなるが、『仮にこれらを全てサービスとしてお金で買ったならば、一体いくらになるのか』という根本的なことを。
つまり相手には全部タダでやって(ヤッて?)もらうのは当たり前だが「男をATM呼ばわりだなんて絶対に許さねえぞカスが」と言うのは搾取以外の何物でもないから、そう考えているなら今すぐやめるべきだ。

日本では、女性の収入を何かにつけてできるだけ低く抑えさせて経済的自由を与えず、家事育児介護を押し付けて家に閉じ込めて性を搾り取り、社会に対して声を上げようとする女性を徹底的に叩き潰し、社会を変える唯一の手段である政治の輪にも絶対に入れてやらない。
このようなことを続けて『結局女は金かよ』と言って男同士で笑う社会を作っている僕らはあまりにも酷すぎるし、傲慢だ。

まあ、僕個人の考えを色々と突っ込んでみたわけだが、女性に経済力に頼られたくないなら、僕たちが『男性=経済力』というシステムを壊せばいい。つまり政治と社会制度を変えるということだ。
女性たちも既に声をあげているが、僕ら自身も楽になり幸せになる社会には、むしろ僕たちが率先して女性の社会進出を促進なければいけないと思う。

念のため補足すると、女性の社会進出は『ゆるく稼いで家計を助けてもらう』ではない。僕たちも仕事・残業を減らす代わりに50:50で家事育児介護をする。その代わり、女性も出産後は復職して、出世して稼いでいくという意味だ。

余談だが、もちろん女性側の『意識』というものも存在する。だが、これも『女性側の意識が低い』わけではなく、まさに日本全体、つまり政治や社会が、学校・親・メディアを通して繰り返し『良妻賢母』を教育してきたからに他ならない。この辺りも変えていかなければいけないと思う。

つらつら書いたが、これらのことは僕も日本にいた時はあまり気付かなかった。

だがドイツに来て、苦い経験を何度もして、男女の在り方や社会のあり方をその都度学び、性別の役割分担から解放されつつある社会に生きていると、ちょっと大袈裟かもしれないが、今の日本がみんなで首を絞め合っているように見えてしまうのだ。だから最近はこのような事を考えずにはいられないのだ。

この記事を最後までお読み下さいましてありがとうございました。 これからも皆さんにとって興味深い内容・役立つ情報を書いて更新していきますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。