快楽の先に、幸福はない。
テレビを消した。
30分くらい経って、電源を入れる。人生は思い通りにはいかない。6対0。相変わらずの点差だった。もう二度と見ないと誓い、リモコンを押す。部屋は再び、静寂に包まれた。
応援している野球チームの試合が、テレビで中継されていた。プロ野球のテレビ中継は、今の時代なかなか無い。
勝つこともあれば、負けることもある。当たり前のことだ。負けている試合を見続けるのは、かなり辛い。そんな苦痛に直面したとき、僕は見るのをやめる。
最近の若者は、極端に苦痛を避ける傾向にあるらしい。この前、『アメリカの大学生〜』みたいな本で読んだ気がする。『ドーパミン中毒』という新書にも似たことが書いてあった。
つまり、こういうことだ。ふだん快楽ばかりを感じていると、小さな苦痛にすら対処出来なくなる。だから、小さな苦痛から逃げずに経験するべき。
ああ、そうだ。思い出した。『傷つきやすいアメリカの大学生たち』だ。かなり厚いから、買おうとしてる人はお気をつけて。
なんの話だっけ。そうそう、快楽だ。
文明の進化は、快楽を追い求めることによってもたらされたんだと思う。
布団から出なくても娯楽を楽しめるし、家にいながらお店の料理が食べられる。僕らは人類史上、最も快楽を得られる時代に生きている。
快楽は幸福じゃない。快楽を求めた先にあるのは、手を伸ばしたくなる新たな快楽。僕たち人類は、実は幸福を求めていたわけじゃなかったのだ。
もっと楽になりたい。もっと気持ち良くなりたい。そんな思いを正当化して、ついにはAIなんていうものもつくり出した。考えたくない。
快楽から距離を置いてみる。そんな生活をしてみよう。そう思った僕は、その場で腕立て伏せを10回だけしてみた。なんだか身体がやる気に満ちてくる。この充足感。これが欲しかったんだ。