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【子育ては「待つこと」】~自己紹介に代えて~

教育に関する本を読むことが多い。
元教員であり、子育て中ということもある。
だが率直に「人を育てる」ことに興味がある。
正確には興味を持たざるをえないと言った方がいいかもしれない。
理由は私自身の生育歴にある。

40歳でうつ病を発症し、職を辞した。
再発と言った方が正しい。
20代でうつ病を経験している。
原因は「頑張り過ぎた」と自分で分析している。
頑張ることを否定しているのではなく、体を壊してまで頑張らなくていいということだ。
吐き気を我慢してまで、進学校の高校に行かなくてもよかった。
あらゆる病気をしてまで、教員を続ける必要はなかった。

教育に関する本に話を戻すと、成績をあげる勉強法に、「勉強より健康の方が大切だ」と書かれた本はあまり見ない。

なぜか。

当たり前だから。

多くの人が大前提として、「体を壊してまで勉強するものではない」という認識が共有しているからだ。
当たり前のことを自明性という。

『ブタがいた教室』のように、学校で「命の尊さ」が教えられるようになった。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という議論につながる。
自明性の欠如であり、「当たり前」ということが理解できない人が増えてきたからであろう。
理屈ぬきでこうなのだということはある。
企業のコンプライアンス(法令遵守)や学校での説明責任の徹底などは、まさに自明性の欠如の例だ。
社会で生きるうえで共通の前提は最低限必要。
勉強は大切だが、体を壊してまでするものではない。

「まず生きることを学びなさい。学ぶにも順序がある。」とカミュはいう。

「生きる」があって、次に「考える」という順である。
もちろん暗黙知であり、当たり前のことだ。
私は健康があってはじめて知識が活きるといっている。

私は祖父に育てられた。
両親はいた。
祖父は私を風呂に入れ、家族の誰よりも早く通知表を見た。
いつの間にか中学受験をすることになっていて、日曜は塾で7コマの授業を受けた。
「良い大学に入り、より良い企業に入れば幸せになる」と祖父は信じて疑っていなかった。

祖父は昭和2年生まれで戦争を経験している。
戦後、さまざまなことに挑戦して事業で成功した。
ただ祖父は「学歴がない」ことを劣等感に持っていた。
貧しさから旧制中学校に進学できなかった。
「村のはずれの石の上で泣いた」と何度も聞かされた。
だから「子どもや孫には金銭面で進学を諦めてほしくない」と思ったことは想像に難くない。

ただ、想いが強すぎた。
気持ちは嬉しいが、現実はとても苦しかった。

ある日、あまりに体調が悪いので小学校を休みたいと言った。
祖父にめちゃくちゃ怒られた、というか詰められた。
記憶がないが、最後は「学校に行くから涙が止まるまで待って」と言った。
なぜ1日たりども学校を休むことが許されなかったのかは分からない。
不登校になるとでも思ったのだろうか。

それから私は一切、感情を表に出すことはなかった。
いや許されなかった。
自分にうそをつく人生が始まった。
「良い子」を演じることが上手になった。
勉強さえしていれば、家庭は平和だったからだ。
しかし、抑えられた気持ちは消えず、自分にうそをつき続けると本当の自分がわからなくなる。
自分が本当は何が好きなのか、何に興味・関心があるのかがわからない。
高校生の時、母に「俺の好きなことって何?」と聞いたことがある。
自分の好きなことは人に聞くものではない。

「生きることを学んでいない」

「生きる」ことよりも「考える」ことが優先されたからだ。
どこかで祖父は自明性を失ったのだろう。
「お金は盗まれるが、知識は盗られない」と祖父はよく言った。
人生経験からだろう。
その通りだと私も思う。
しかし、「体を壊してまで勉強するものではない」という大前提が欠けている。

「真の理性とは、理性の限界を知ること」

なまじ成功すると、自分が考えていることは正しいと傲慢になりがちだ。
右肩上がりの経済成長を経験し、今後も同様の経済成長を続けると祖父は予想していたのだろう。
私が大学を卒業する頃は、いわゆる就職氷河期だった。
有効求人倍率が「1」を大きく下回り、製造業への派遣労働が解禁された。
将来なんて誰にもわからない。
だから人生はおもしろいともいえる。
成功から、将来のことは大体わかると断言できるのは、いささか傲慢だと思う。
百歩ゆずって先見の明があるとしても、自分のなかでだけにとどめておくくらいがちょうど良い。

私は関西の有名私立大学を卒業した。
ところがうつ病になった時、「学歴」は屁の突っ張りにもならなかった。
祖父には「学歴」がなかったが、それでも事業で成功できたとは思えなかったのだろうか。
逆に祖父はきちんと「生きる」の次に「考える」の順序を守れていたのではないか。
尋常小学校の高等科を出た祖父は、働きながら技術が学べる住友工業学校へ職工として行った。
戦争が始まると、少年通信兵として志願した。
地に足が着き、しかっりと「生きる」ことを学んでいるように見える。
現実を生きれば、当たり前である「自明性」を獲得できるが、祖父も祖父で紆余曲折の人生だったのだろう。

心の葛藤は自分のなかで解決することが望ましい。
「学歴はなかったが事業で成功できた」と思うことである。
劣等感や心の葛藤を、他人との関係のなかで解決しようとすると問題が起きる。
親が果たせなかった夢を子どもにたくす事例を多くみる。
結果的に成功、失敗に関係なく、そのような子育て観に私は反対だ。
どこか子どもを親の所有物のようにしている感じがするからだ。
いや「私は一生懸命子どもに向き合った」と憤慨されるかもしれない。
現に私の祖父もそのように思っていた。

子どもに「あんなこともした」「こんなことをした」という親がいる。
祖父は、忙しい事業の合間に子どもである私の父をスキーや旅行に連れて行った。

そこに子どもの笑顔はあっただろうか?

行きたくもないのに無理矢理連れて行かれた挙げ句、「忙しいのにしてやった」と恩着せがましい態度をとられると、子どもはたまったもんではない。

別にテーマパークでなくてもいい。
飛行機を使った旅行でなくてもいい。
旗が立ったホテルのお子さまランチでなくてもいい。

本当に子どもが心から望むことであれば、自宅でトイレットペーパーの芯と牛乳パックの製作でいい。
近くの公園で砂場遊び。
近所を大冒険と称して散歩する。
ふと子どもの顔を見た時、笑顔に満ちている。
「今日は1日楽しかった~!」と夜に子どもがつぶやく。
ただそれだけでいい。

子育てを含めて、人を育てる一番のポイントは「待つこと」。
大前提として、子どもを1人の個性として尊重する。
それができないので子どもを所有物のように扱い、親の果たせなかった夢をたくすことになる。
尊重するということは、子どもだからといって見下さない。
「大きい声であいさつをしろ」と声高に叫ぶ教員が、職員室で同僚にあいさつをしない。
子どもは大人をとても冷静に見ている。
そして子どもは無限の可能性を持っている。
子どもの発想は天才だと子育てをしていてつくづく思う。

親と子どもの得意不得意、好き嫌いは違う。
可能性を見極めるには時間がかかる。
だからこそ子育てには「待つこと」が必要なのだ。
押しつけでもなくネグレクトでもない。
1人の個性として尊重して見守る。

子育てや人を育てるには「待つこと」が必要ということ自体が自明性であり、当たり前のことなのだ。

「生きる」ことが「考える」より先に来ればわかる。
初夏、近所を散歩すると田んぼを耕して水をはっていた。
今度、通ると苗が植えられていた。
秋になれば黄金色の稲穂が頭を垂れる。
当たり前のこと。

しかし、子育てとなると「まだか」「なぜできない」「あれをしろ」となる。
夏の日を浴びて稲はぐんぐん成長して、秋には実をつける。
「まだか」と引き抜いてしまえば、成長が止まり、食べられない。
子どもの稲も同じ。
子どもは自然。
ただ定期的に水の量を確認したり、雑草を抜いたりする。
適度に関心を注ぐことは必要。
幼児教育でいわれる「手をかけずに目をかける」ということだ。

祖父は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と謙虚であれともいった。
謙虚であることは大切だが、稲は実が大きくなれば自然と頭を垂れる。
強制されるのではなく、自然とそのような態度になる。
自然界では当たり前のことであり、自明のことなのだ。

だから学ぶことに順序がある。
「生きる」ことの次に「考える」。
「生きる」なかで多くの自明性を獲得する。
「生きる」前に「考える」が来れば、頭でっかちになる。

最後に、学ぶ順序を間違い、「頭でっかち」になったは、まぎれもない私自身だった。
40歳でうつ病を再発し、学ぶ順序を含めた生き方の間違いに気づいた。
子育てをすると共に、私自身の心を成長させているというのがオチである。
今日という日が人生で一番若い日。
人生の折り返し時点を迎え、残りの人生をより良く生きたいとつくづく思う。
子どもの成長を待てない養育者に育てられると、必然的に子どもも待てなくなる。
同様に当たり前である自明性も獲得できない。
子育ては良くも悪くも複利のように大きくなる。
虐待する親は虐待の経験を持つことが多い。
負の連鎖に気づくことが最優先である。
子育てに悩み、生きづらさを感じているならば、ピンチでありチャンスだ。
自分の世代で負の連鎖を断ち切ることが大切だ。
自分がしてもらえなかったことを子どもに施すことは大変なことだ。
しかし、子育ては難しいようで簡単でもある。
子どもを1人の個性として尊重する。
ある意味、今まで時間とお金をかけてきたことをやめることかもしれない。

小学生に交通費をかけて塾へ通わすことは本当に必要なのだろうか。
荒れが少なく学力が高い私立中学校に通わせることが、子どもにとって本当に幸せなのだろうか。
親のエゴなのか、より良い学校にさえ通えば安泰だと安直に考えているのだろうか。
もし現状がうまくいっていないのであれば、自分の胸に手を当てて考えてみる時間をとる価値はある。
子どものためと思っていたことが、実は親のためだったと気づくかもしれない。

自然界では、稲は秋になれば黄金色の実がなる。
あえて手をかけずに時期を待ってあげれば、開花する才能は必ずある。
親がヒマワリだと思っていてもアサガオかもしれない。
だからこそなおさら「待つこと」が必要なのだ。
アサガオであれば、伸びるつるが巻き付くための棒を準備する。
親ができることは、必要に応じて適切なサポートをすることだ。
いや、「しかない」と思った方が子育ては楽になる。

私のしくじりを自分の子育てだけではなく、同様の悩みを持っている方に共有してもらえれば幸いである。


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