霧幻鉄道
ポップコーンは買わない。vol.132
予告編
あらすじ
観光化されているダムにいった時に、ダム建設の歴史を記した資料館があった。そこにはダム建設に伴って埋もれてしまった集落の存在があった。
公共の福祉とはいえ、自分の住んでいるところや故郷を追われるというのは耐え難い苦痛であることは間違いない。
そういった苦しみや闘争というのは悲しいことに当事者でないとわからない。
対象が自分でないとわかった途端に、彼らのことを多少なりとも蔑んだ目で見ているのではないだろうか。
ダムだけでなく、空港や道路等の様々なインフラ整備のために居住を奪われてしまう例はたくさんある。遠くで見ている人はひとたび反対の動きを見せると「なんで反対するんだ」「素直に従え」といったことを平気で言い放つ。
なんて無責任な発言だろうか。こういったことを平気で口にする人がいるのは事実だ。
人が居住を追われるケースはもちろんこういった公共事業だけではない。
一番危機感が募るのはやはり災害によるものではないだろうか。
「俺ら、今生きている世代が頑張らないと、奥会津も金山町も消滅する。それだけは避けたい」
そう語るのは写真家の星賢孝氏。
彼が生まれ育った金山町の三更(みふけ)集落は、星さんが中学1年生のときに突然の土砂崩れで壊滅した。
ふるさとを失ったからこそ、「二度と同じ思いを繰り返したくない」という思いが星さんを突き動かしている。
カメラというツールを利用して、写真というアウトプットで地域を起こしていく。
その対象は只見線とその周囲の絶景。
「鉄道が消えると、地域は廃れる」
こういうコピーを耳にしたことはあるだろうか。
只見線は2011年の震災の4ヶ月後の豪雨被害によって会津川口から只見までの27.6kmが11年間不通になっていた。
この10年、様々な葛藤があったと思う。
鉄道を存続させるためにかかる工事の費用、その後の持続させるための費用、鉄道ファンがいるとはいえなかなか厳しい現実であることは間違いないはずである。
1971年に全線開通した只見線。
沿線には秘湯もあり、そして秋は非常に綺麗な紅葉を見ることができるということで観光客にも人気の路線である。
観光客が来るということは旅館も存在している。
まさに只見線はそういった旅館等を営む人たちにとっては頼みの綱であったことは言えるだろう。
車の普及があったとはいえ、鉄道から眺める景色というのはまた格別であると思う。しかし、この10年以上不通となっていたのは苦しいことだったろう。
しかし只見線は2022年の10月に見事全線復活を果たした。
問題はこの後の話。
星さんは只見線に多くの観光客が来るように、写真で持って地域おこしを始めた。
鉄道と紅葉、鉄道と陸橋、その下に流れる河川。
実に絵になる写真を毎日撮り続け、SNSにアップし、広く発信している。
その影響力は海外にも届き、台湾だったかな?展示会をすることにまで着手し、現地にも観光客を呼び寄せた。
日本=東京、京都というイメージが強い中で、ローカルの魅力を伝えられることは日本の可能性をより外からも深堀してもらえるチャンスであると思う。
星さんの活動は地道だけれども、ツールやテクノロジーを駆使することで、国境を超え、交流することができる。
星さんは写真だけれども、それが絵であってもいいわけだし、文章やダンス、音楽、様々なアウトプットで表現することは可能なはず。
農民芸術概論という宮沢賢治が説いた論考も近い話を言っている。
しかし、今の地方に住む若者は皆東京に憧れ、みな上京していく。
「これからは地方の時代」
このようなフレーズは聞き飽きた上に聞く耳を持つ人も少なくなってきているのかも知れない。
地方には何があるのか。只見線沿線には綺麗な景色があるじゃないかと、恵まれているとも思えるかも知れないが、逆にいえばありきたりなモチーフである。綺麗な紅葉なんてものは全国どこにでもあるものだ。
そこに只見線の鉄道が加わることで希少価値が生まれる。さらにそこに何かが加わるとより価値が加わって、より多くの人が注目することにつながるかもしれない。
あなたや私の住む地域には何かあるはず、それをどうおもしろがるかの話になってくるのではないだろうか。
まずは自分たちが面白がって遊んでみる。それを共有する。この作業の繰り返しの先に何か地方の希望が見えてくるのではないだろうか。
星さんも300日以上も只見線撮ってて毎日楽しいわけじゃないと思う。むしろあんまり楽しくはないと思う。地域のためとか色々あるとは思うけど、無理矢理にでも出向いてアウトプットすることを楽しむことをやってるんじゃないかって思う。
かの、みうらじゅん氏も様々なブームの火付け役で、いろんなものを採集し発信してきた。街に溢れているsinceを集めたり、尿瓶を集めていたり、土砂が崩れないようにするためのワッフルのような壁の写真を撮り集めていたり、全国の絶壁に行ったりと、とにかくいろんなことの収集に余念がないみうらさん。もちろん楽しくてやっている部分もあるとは思うのだが、尿瓶に関しては好きではなかったと言っていて、無理矢理にでも集めていたとおっしゃっていたのが印象的だった。
「集めてから好きになれる部分を探すんだ」と言っていてなるほどと思った。
それもそうか。ブームを作る人というのは、誰も手をつけないものに対してアプローチして発信していくんだから、生理的に受けつけないものをきっと多いはずだ。
東京には用意してもらった面白がたくさんあるのかも知れない。
でもかつて自分たちが子供の時なんて自分たちでオリジナルの遊びを考え、楽しむことができていたじゃないか。
大人になったんだからできる幅も広がっているはず、
可能性あるんじゃないかな。
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