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いつか恋しくなる日がくるのだろうか
バイト終わり、歩いて一旦家に戻り、部屋には入らないまま自転車置き場から取り出した自転車を、シューシューギコギコいわせながら乗り、自転車屋さんへ向かう。大きな道路に面したひらけた場所にあるそこは、パンクした自転車を押して持って行けるほど近い距離にあるわけではなかった。
今日はどうされました?と問うおじちゃんに、おそらくパンクしてます、というと、1時間くらいかかるよ、下手したらチューブ変えなあかんから4000〜5000円かかると思っといて、と告げられ、わかりました、と返事する。修理が完了したらお知らせしてくれる、というので尋ねられた電話番号を教え、一旦私はその場を去った。
プールで疲れたバイト終わりの身体は、ソファで寝たいと叫んでいるが、1時間とはなんとも微妙な時間である。愛チャリで行ったら一瞬の距離も、歩きの前では永遠である。来る途中の道、紅葉が綺麗だったことを思い出し、私は自分の身体に鞭打って散歩を開始した。
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私が生まれる前、震災で大きな被害を受けたこの地域は、小中高通して震災学習やチャリティーイベントが盛んだった。中でも震災を機に生まれたチャリティーソングのようなものがあり、小学校の頃、わたしたちは毎年それを歌った。
「このまちが好き あなたがいるから」
誰でも覚えられるシンプルな歌詞とメロディー。私は笑顔でその曲を歌っていたけれど、それは想いがこもっているからではなくて、単に歌うのが好きだったからだ。歌うと気持ちがいい曲だったからだ。
生まれ育ったこの街を、特段好きだと思ったことはなかった。
もちろん、嫌いでもなかったけれど。
同様に、家族に対しても、過保護なのは鬱陶しく感じることもあったけれど、ずっと仲は良かったし、好きだとか嫌いだとか、そんな感情を抱いたことはなかった。
でも早く大人になって東京でひとり暮らしがしたいとはずっと思っていた。
それは今いる環境が疎ましいからというよりも、東京やひとりの自由への憧れが上回っているからだった。
そんな風に、地元愛とか家族愛とかと無縁だと思っていたこれまでの私なら、この空き時間に散歩を選択することなんてなかった。きっと、JRの駅まで戻って本屋に行くか、カフェに入ってスマホをいじることを選択したはずだ。
だけど、最近ふとした瞬間に大学生である時間のリミットを思い出す。
朝、駅まで自転車を漕いでいるとき。
休日、家族全員でリビングでダラダラしているとき。
1年半、という社会人になるまでの時間を考えて、1年半後、ほとんどの確率で東京で就職する私はここにいないかもしれない、ということを、自覚する。
すると、途端に思うのだ。
「飽きた」と思っていたこの駅前の建物を、
あまりに見慣れすぎて脳死した状態で自転車で駆け抜けたこの道を、
「鬱陶しい」と思っていた両親の過保護っぷりを、妹の反抗っぷりを、
懐かしく思い、涙する日が来るのだろう、と。
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幼稚園に入ってすぐの頃まで、私はこの街の南の方に住んでいて、
市内中央の幼稚園に通い、北側の小学校に通い、中央東側で引越しを繰り返し、そこに定住することになった。
私の知人は市内北側〜中央に住む人がメインで、そこが実家である人がほとんどだから、市内南側にあまり詳しくない人もいる。
彼らに比べると私はこの街を割と知っている。
そんな気でいたけれど、散歩をしていると、全然そんなことなかった、ということに気付かされた。
散歩を開始して真っ先に向かったのは、大好きなパン屋さん。
以前一度だけ行ったことのあるコーヒー豆屋さんのある道を通った。
大好きなパン屋さんの先には、小さな頃好きだった大きな文房具屋さんがあって、そのビルには1回生の頃に塾講をしていた個別指導塾がある。その横には焼き菓子で有名なスイーツのお店。
その先へ行くと、何度か行った美味しいイタリアンのお店があって、信号を渡ると製菓道具屋さんのあるビルと、有名なケーキ屋さんがあった建物。道路を挟んで対角線上には、有名なパン屋さんと、その横には三井住友銀行、その横には大好きだった個人の本屋さんと、阪神の駅。少し戻って進んだ先には市内南北を貫く川。
こんなところにこんなお店、あったんだ。
こんな道、あったんだ。
この道の先ってどこに繋がってるんだろう。
南側に住んでいた頃から色々変わっている、ということも、もちろんあるけれど、私はこれまでちゃんとこの街と向き合ってこなかったのかもしれない、と思った。
川沿いを北に上がると紅葉が綺麗で、バレエを習っていたときの、発表会の会場がある。
本来なら私はそのホールで成人の日を迎えるはずだったけれど、中高を過ごした隣の街の成人式に出席したからそのホールには行かなかった。そのこと自体は別に後悔もしていない、けれど。
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「今回はチューブ変えずに済んだんで、800円です。お待ちしてます。」
自転車屋さんからかかってきた電話に、すぐ行きます、と答え、3分ほどで店に現れた私に、おじちゃんは「はやいね」と驚きつつ、「今回のは空気入ってない状態で無理に乗っちゃったパターンのパンクだね。空気はマメに入れて、せめて1ヶ月に1度はよろしく頼むよ。」と忠告し、ありがとうございました、と言った私に(私の自転車は)外出て右に出してあるから、と告げた。
明らかに快適に、軽くなった自転車を漕いでいると、まだ少し寄り道していたくなって、一度だけ行ったコーヒー豆屋さんの通りを自転車で走る。
そのコーヒー豆屋さんの左右には、紅茶や自然派食堂やセレクトショップなんかの新しいお店がポツポツと佇んでいた。
なんとなくコーヒー豆屋さんの前に自転車を止めて、何気なく足をセレクトショップ屋さんに向かわせる。
なんの変哲もないカフェに文房具や雑貨が置いてあるスペースが併設されていて、そこに置いてあるものはロフトなんかでも目にした気がするけれど、そこに置かれていると、古き良き喫茶店のようで好きだなぁと思った。
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文房具を一通り見終わったあと、なんとなく離れがたくて、併設されたカフェのカウンター席に座り、ミルクティーを注文した。
なんとなくスマホでnoteを書くのではなく、本を読みたい気分だったから、本を読みながらまったりした時間を過ごした。なんとも幸福な時間だった。
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ミルクティーを飲み終わったあとも、このお店の虜になって、階段の上を上がってみた。2階には、私が行った次の日にオープンするのだという本のセレクトショップがあって、3階には手作りの靴下屋さんがあった。そこの窓からは屋上に出られるようになっていた。
ただただ静かで、あたたかな空間だった。
そこから見下ろした先には、近隣の建物の屋上がつむじのように見えて、その周りには葉を赤く染めた木が絨毯のように連なっていた。
ここは私の秘密基地だ。
そんなことを思った。
たまたま立ち寄ったこの店の虜になった私は、窓から光が照らす靴下の置かれた机を少しのあいだ見つめて、また来ます、と心の中でつぶやいた。
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最近家にいると、やけに反抗的な妹の畳み掛けるような怒り声と、それに怒ったり疲れたりした母の声が聞こえてくる。
私には反抗期なんてものはなかった。
過保護になるのも、何か口うるさく言いたくなることも、その裏には愛情が潜んでいるのだろうと、諦めていたから、反抗なんてしなくても、心の中に自分の願望を抱いて、将来叶えようとすることで自我を保っていられた。
妹を見ていると、私が穏やかな人間でよかった、と思う。私まで妹のように怒っていたら、父や母はもっと疲れてしまっていただろうから。
このまま私が就職で東京へ行ってしまって、父や母は大丈夫だろうか、と最近思う。
「海外で暮らしたい」と無邪気に言う彼と違って、日本で生きていきたいと願う私は、日本が好きと言う前に、父や母が私の孫の世話を見られるような距離感で老後生活を送ることを望んでいるのを知っているから、それを叶えてあげたいと思ってしまう。
今はまだ、あくまで地元愛や家族愛の芽生えの段階で、東京に行きたい、独り立ちしたいという気持ちの方が勝っているけれど。
この街の、駅からの帰り道に見える空が好きだ。
家と家の隙間から漏れ出る太陽の光を綺麗だと思う。
駅のデパートに不定期に売りに来るベビーカステラやお団子が大好きだ。
小さな頃から大好きなパン屋さんのパンを、これからも食べていたい。
この街にある居心地の良い空間を、もっと知りたい。
いつか私にも、きっとくる。
地元や家族を恋しく思う日が。
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