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若者ケアラー、20歳のASD女子②

前回の記事の続きです〜

「ご本人の気持ちに共感してあげてください」

初診日以降の生活は先生のこのお言葉が軸になります。

母親本人が、自分でご飯を作りたい、と言ったらできない部分を手伝うのが本人の気持ちに共感することになります。

でも私も課題、ピアノ練習、他の家のことや買い物を抱えているし、なによりその時、メニエールの症状がMAX悪化していました。

正直、お惣菜で済ましたい、手伝いたくないことが沢山ありましたし、何回かは向こうに折れてもらってお惣菜を買いました。

母親本人が、「宝飾品を買いたい」(?宝飾品に疎い私はよくわかっていないですが、要するにそこそこのお金がかかることをしたい)と言っても「そんなお金ないでしょ」とは言わずに、「今まで節約してきたもんね、買っても(?)いいと思う、でも大事なものだからゆっくり決めなね」と伝えました。

頭っから否定しないことも共感のうちだよね。

勿論これは、病気の症状なのはわかりますが、余裕ゼロの私は心から優しくなれなかったんです。
「マジのんきなこと言ってんな、こっちは、死にたいんだよ、いい加減にしろよ」というのが私の本心。
そして、衝動買いを防ぐためにも「ゆっくり決めなね」と言いました。母親の行動の責任は私にかかってましたから。

行動の責任の話には他のエピソードもありますが、それは、今はお話しできません。私の命に関わることだから。今度お話しできたらと思います。

共感出来なくて失敗したエピソードもあります。

晩秋に、私がZOZOTOWNで洋服を買いました。コーデュロイのショートパンツ。
「絶対タイツ履いて着なさい」と母親から言われました。私の感覚ではタイツはちょっと、あからさま…だったので、思わず「え、とりあえず、生足、ガチで寒かったらストッキングかな」と言ってしまって…

言って思いました。「共感」できてないって。

勿論、猛反撃です。「バカじゃないの?そんなんだから今の若い子は生理痛が重いのよ。そんな格好してたらね、30過ぎには冷え性、腰痛、頻尿よ、バカじゃないの」

あー、スイッチ押したわ。そしてこの人はなんでこんなことで、「バカ、バカ」と言うかなぁ。

「うんうん、そうだね、ごめん」と言うのが私の立場でした。

共感できなかった訳ではないけど、怒りスイッチを押してしまったエピソードがもう一つ。

ここ一年程は、私がお風呂掃除の担当でした。
めんどくさがりの私は入浴前に全裸の状態で、掃除→風呂スイッチ押す→シャワー→湯船、だったので、全裸のまま掃除していました。

問題は、香り強めの某お風呂洗剤。母親はこの洗剤が苦手。掃除担当の私はこの洗剤代を請求しないで、自分で買っていました。
掃除するのも、買うのも私だから、いっか。という訳です。

その日は買ってきた洗剤を全裸でスプレーに詰め替えて、詰め替えた後の洗剤パックは脱衣所に置いたままにしました。何の言い訳にもならないけどADHD傾向もある私、そのパックを置きっぱにしたら怒られるのを自覚していながらも、入浴後に捨てるのを忘れてベットまで行ってしまいました。

さて、脱衣所から怒り声が聞こえてきます。「信じられない、ほんとに」と。気づいて真っ青になる私。「ごめん!」と言うと、「私この洗剤嫌いなのよ、それに液が残って床に着いてるし、バカじゃないの!?」。「ごめんなさい、次から気をつけます。」と私。

忘れていた上に液が残っていたのは申し訳ない。
でも、何で「バカ」って言うの?

私自身、以前シャンプー等をを詰め替えた後にパックの処理を忘れがちな時があって注意されて、気をつけるようにしていました。確かに今回は忘れました。でもなるべく忘れないように努力していました。最近はいつもいつも忘れている訳ではありません。母親は私の発達障害のことを理解できていないから仕方ないのかもしれない。

でも、いちいち「バカ」って言わないで!!!!立派な言葉の暴力!

思ったこと、何言ってもいい訳じゃない。

確かに私は記事には、はっきりと本音を書いています。でも何というか、闇雲に相手に感情をぶつけている訳ではない。私の経験やありのままの感情が他の誰かのお役に立てたら、救いになれば、ならないかもしれないけど、自分のありのままの思いを大切にしてほしいと願いを込めて書いています。

「相手が病人だから、酷いこと思ってはいけない」そう思うことありますよね。物凄い我慢強さの上だと思います。でも、こちらも人間。辛いときはあります。相手と面と向かって感情のままに口に出したら別問題ですが、ありのままの自分の思いを認めていいと思います。
私が本音を書くのはこんな願いがあるからです。

母親が度々「バカ」と言う訳、なんとなく推測はできるようになりました。

それは、父親と母親が揉めたとき事あるごとに、父親が「あんた(母親)がバカだから」と罵倒していたからです。

母親自身、持て余すくらいの怒りの感情があったんだと思います。きっとその矛先が私に向いていた。

そして、私の中で、この声が今も音声としてフラッシュバックします。



同じ家に暮らしていたのは母親と私だけ。そして、母親は福祉的な援助は望まないし、私に全てのことをやってほしいと思っている。私が精神安定剤。甘えるのも当たり散らせるのも私だけ。主治医の前ではいい人ぶってる。私が他の人に母親を始め家庭のこと、私自身のASDのことを相談していると思うと怒る。
母親面したいのか、それまでの数カ月、私が払っていた私の病院代を出したがる。

要するに、私(優葵)が全て背負えばいいのよって、私(母親)のために思い通りに生きてくれればいいってこと。

おもちゃだよね。

おもちゃの割には責任が重いけど。


限界だよって心身が言ってた。身体は、メニエールもその後に判明した甲状腺機能の異常も。

心は、最初の段階は「母親殺して私も死にたい。」と思っていました。
途中からは「母親殺せても私が死に損なったら地獄だから、とりあえず私一人死んで後はどうにでもなれ」って思うようになりました。

ケアラーとして生きていたときの本心です。
若者ケアラーの役割は、私の場合綺麗事ではできなかった。

この苦難から逃れるには「自殺」という選択肢しかなかったんです。

そして、耐えられなくなって首を絞めたこともありました。でもやっぱり死ねなくて泣きながら周りの大人に「逃げ出したい、助けて」とラインしていました。



「優葵さんには生きる力がある」

両親と暮らしていたときから、そこから暮らしを変えた今も言われます。

「力がある」、「頑張って生きてきたんだね」

嬉しい。嬉しいよ。

でも、私はそれを否定されてきた。両親は、私に力なんて、自我なんてない方が幸せだった。心から両親のおもちゃになれたほうが私も幸せだった、とさえ思うことがありました。


「生きていてくれて、良かったんだよ」

そう、言葉をかけてもらったとき何かが崩れました。涙も鼻水も止まらない、小さな子どものように泣きました。

親と暮らしていたとき、当たり前ですが、泣きたくても泣けない日々でした。泣きたいときは、ベットの中で声を殺して泣く。

両親と暮らしている時から、相談していた方にも、「夜、布団の中で泣いてるのかな、辛かったね、でも、私は何もしてあげられない、どうすればいいんだろう」と言われました。

でも、そうやって話を聞いてくださったこと、側にいて下さったこと、私の生きる糧です。

正直に言うと、家を出るまでベットの中で泣くことはありましたが、泣きたい、と思っても上手く泣けませんでした。

暮らしを変えて、ありのままを受け止められる経験をしている今、泣きたいときは思いっきり泣いてます。

具体的に助けてくれる、身を守ってくれる人はすぐ隣にはいないかもしれません。でも声を上げればきっといます。

検索の例として
「親から逃げたい 福祉施設 〇〇〇〇(都道府県名)」と調べると、逃げる場所が見つかるかもしれません。

具体的に書きたいのですが、私の安全上、今は書けません。力になれなくて申し訳ないです。

一人って思っちゃうと思うし、それは当然のこと。でも、ひとりじゃないよ、大丈夫、助けてくれる人は必ずいるから、逃げたかったら逃げてね。それは悪いことじゃない。生きてね。
そしてあなたの経験は必ず未来に繋がるから。

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