![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/120939615/rectangle_large_type_2_eb8beaf0b4e2e3e8c6061398e22c26ff.jpeg?width=1200)
イエスの足取りから、また色々見えてくる。 イエスが浮船に乗っている壁画が残されている。
イエスは
日本に2回来ていた。
聖人として布教を始める前に
日本で学び、
十字架の難も逃れ、
実は日本で死んでいた。
日本を目指して旅に出る。
途中、釈迦の師であるといわれている
カララ仙人の子孫に
日本への道を尋ねたりしながら、
ついに
日本の能登、宝達港に上陸するのである。
イエス18歳、
垂仁天皇即位10年のことであった。
イエスの最初の日本滞在は、
足かけ5年にわたる。
その間イエスは
皇祖皇太神宮の神主、
武雄心親王の弟子となり
さまざまな修行を積むことになる。
![](https://assets.st-note.com/img/1699235658447-sd0vnOtetZ.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1699236973369-hScOV1FOGS.jpg?width=1200)
そして、
天皇からユダヤ王の紋章を賜り、
ユダヤの人々に
道を説くために帰国するのである。
帰国後、イエスは迫害に遭い、
危うく十字架にかけられるところ
弟イスキリが自ら身代わりとなって、
イエス自身は難を逃れる。
その後世界中をまわり、
再び来日、
118歳の天寿をまっとうするまで
日本を基点として過ごすのである。
![](https://assets.st-note.com/img/1699236995206-3kYD4pWuqp.jpg?width=1200)
1回目の来日の後に、
帰国をする時に
垂仁天皇は
異例の詔を下している。
「向こうで死んではならぬ。」
ユダヤに限らず
当時こ万国の情勢は
もはや
天皇の権威を認めるようなものではなく、
各国ごとに勝手に自治が行われていた。
十字架の難を逃れたイエスは
再び日本に来日する。
竹内文書には
イエスが十字架上の
イスキリの死をみとった後に、
再び日本にやってくるまでのルートを記した
地図が残っている。
それによると、
イエスは4年の歳月をかけて
世界中を
くまなくといっていいほどまわり、
旅の最後に日本に来ている。
弟を身代わりにするほどの大切な役目を、
必死で果たそうとしたのである。
そのときの旅で、
イエスは14人の弟子を得ている。
![](https://assets.st-note.com/img/1699237030261-JRUITDEAb6.jpg?width=1200)
イエスは世界中に
五色人のあるべき道を説いて回り(破線部)、
そな最後に日本に再び来朝する。
![](https://assets.st-note.com/img/1699237046986-YPV4GJWS9p.jpg?width=1200)
イエスが
浮船で移動していた姿が
ユーゴスラビアにある
デチャニ修道院の壁画には
はっきりと描かれている。
![](https://assets.st-note.com/img/1699237064707-c5Np90wzL7.jpg?width=1200)
イエスはユダヤの王だったので
浮船に乗って移動していたのでしょう。
![](https://assets.st-note.com/img/1699237076786-KnaL5qlz6F.jpg)
パレンケ遺跡
7世紀のマヤ王国を治めたパカル王の石棺からも
浮船らしきレリーフが見つかっている。
![](https://assets.st-note.com/img/1699237292513-cGiDJD4Eul.jpg)
世界天皇である
日本の天皇は
世界の巡幸に浮船で移動していた事が
古文書に残されているが、
遺跡や壁画に残っている様に
世界の王も
浮船で移動をしていたのでしょう。
私達の知らされなかった
古代は
神秘とロマンで満ちていた。
やっとこさ、、
ここまで配信できました。
いつも遊びに来て頂き
ありがとうございます。
アーティスト彫刻作品
兪(ゆ)(太陽の船)
NHKの1時間のドキュメンタリー番組で
放映された作品です。
![](https://assets.st-note.com/img/1699237181728-dajHjpM7nq.jpg?width=1200)
古代は神秘とロマンで溢れていた。
アメブロでも配信しています。