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バカ者ども

「「東大出てないのに、俺に教える資格あるんですか?」 予備校講師の返答に称賛の声 「返しが完璧ですね」」
(Hint-Pot)


 要約すると、予備校生が予備校講師に対して無礼極まりない言葉を吐き、それに対する予備校講師の「返答」に、素晴らしいという意見が多数寄せられているという事である。
 引用した記事の中には、3種類のバカが登場する。
  ①予備校生
  ②予備校講師
  ③予備校講師の「返答」を賞賛した人達
 本投稿では、これら3バカを個別具体的に解説する。


〜第一のバカ〜
 「自分に教える資格」の有無を問うた予備校生

 この様に舐めたクチを利くガキには、身の程を教えてやらなければならない。
 誰がこのガキにこの様な暴言を吐く権利を与えたのか。もし、このガキの両親だとしたら、彼等は猛省しなければならない。このガキ自身が、自分はその様な権利を有すると勘違いした上での行動なら、親はこのガキを殴り飛ばさなければならない。

 本題から逸れるが、子供は保護者が認める範囲の権利しか有しない。大抵の場合、保護者とは親である。親が「お前は自分の意思で◯◯して良い」というお墨付きを与えない限り、子供にはそれを自由意志で行う権利は無いという事である。
 子供にとって、権利というのは親に与えてもらうものである。
 出された食事を食べる権利。排泄する権利。睡眠を取る権利。この様に基本的な“権利”は極めて早期に与えられる一方で、身体や精神が一定以上成長しないと与える訳にいかない“権利”も存在する。
 例えば、「一人で自宅の階段を上って2階に行く」権利。これは、一人で階段の上り下りが安全に出来ると親が判断しない限り、認められない“権利”である。
 例えば、「勝手に家族共用のクレジットカードを持ち出して生活必需品を買いに行く」権利。これは、親がその子は信用に足ると判断して、初めて与えられる“権利”である。
 例えば、「親に命じられて通う学校を自分の意思で辞める」権利。これは、親が辞めるに足る理由があると認めない限り、行使出来る“権利”では無い。
 例えば、「弟をイジメる」権利。これは、親がそういった行為を許可しない限り与えられない“権利”である。(※補足①)
 権利とは与えられるものである。
 誰によって与えられるか。それは、認められ得る権限によって様々である。
 ある時には親であり、ある時は教師であり、ある時は先輩であり、ある時は上司であり、ある時は恋人である。

 まぁ尤も、引用した記事のケースにおいては、ガキに暴言を吐かれた側のバカさ加減も大概である。
 余りに酷くて衝動的に暴言を吐いてしまった可能性も否定出来ないが、そうだとしても、「東大を目指す自分にどうの」という行は必要無い。


〜第二のバカ〜
 ガキに「教える資格」を問われた講師

 このバカ講師の対応が賞賛されているらしいが、誠に情け無い事である。情け無さ過ぎて、涙が出るどころか、目玉が転げ落ちそうになるというものである。

 受講生が、「自分は東大志望だが、貴方は東大卒では無い。そんな貴方が自分に教える資格はありますか?」などと文句を言ってくる。
 この様な場合、日本には古来から伝わる素晴らしき指導方法が存在する。
 拳骨である。
 東大志望という事は、高校生か高校を卒業した浪人生であろう。世間の厳しさも身の程も知らぬまま、この歳まで何の成長もせずに図体だけデカくなったガキは、顔面をブン殴られるくらいのメに合わなければならない。
 ガキは痛みと出血と共に、薄っぺらな言葉では無く、実体験として身の程を思い知らされるに至り、猛省を強いられ、一歩人間に近付くのである。

 尤も、体罰防止法なる世紀の悪法によって、鉄拳制裁を行った講師に待っているのは「クビ」という過酷な現実である。下手をすると訴えられるかもしれない。
 その様なリスクを度外視して、それでも正しき教育をせよというのは酷な話であろう。
 だが、このバカ講師は何と言ったか。

「僕はあたま悪いし、勉強も苦手だけど、漢文だけはもう10年以上勉強してきてるから大丈夫。ほかの科目については、ぜんぜん敵わないけど、漢文については、君が僕に追いつくには、とりあえず東大に入って、勉強して……半年はかかるよ!」

出典:バカ講師のバカ回答

 引用した記事ではコレを「毅然とした」と評しているが、何なのだろうか。
 バカなのは分かるが、何故にそれ程までにバカなのか?という事である。
 法的に鉄拳制裁が封じられているなら、「だったら来るな!出ていけ!」とでも言って強制退去させれば良い。
 怒鳴りつける行為が封じられているなら、「出ていきなさい」とだけ言って強制退去させれば良い。
 強制退去させる行為すら封じられているなら、自分が退去すれば良い。「そうですか。考え方が変わったら呼びに来て下さい」とでも言って控室に戻り、運営側に事情を伝え、ガキが謝罪に来るまで講義を行わなければ良い。
 それすら認められない。或いは、そもそもそれは予備校講師の領分で無いという事なら、「講義の内容に関する質問以外はお答え出来ません」とでも言って突っぱねるしか無い。
 間違っても、「ガキが持つ東大志望というプライドを傷つけることなく」とか、「ユーモアを交えて」とか、「ガキのやる気に火をつける絶妙な返し」など、してはならない。(※補足②)


〜第三のバカ〜
 賞賛するヤツ等

 前述した様に、このバカ講師が見せた対応は賞賛に値するどころか、愚鈍、下劣、狭量、卑小なものであり、糾弾されるべきものである。
 件のガキは無事に東大合格を果たした様であるが、人間的には全く成長出来ておらず、ガキのままであると断言出来る。
 見てもいない。顔も知らない。何なら、何処ぞのバカのSNS投稿をネタにする様な大バカメディアの記事を読んだだけの私が、それでも絶対の自信を持って断言出来るという事である。

 教育界が有効な教育手段を奪われて久しい。
 体罰は人類の叡智であるが、体罰と暴力の違いを混同するキチガイ共により、教育は徹底的に破壊し尽くされてきた。
 教育とは先ず第一に、道徳と人格の形成である。
 何を教えるにしても、教育者には道徳と人格を形成する上で必要な、あらゆる手段を行使する権限が与えられなければならない。
 高度な専門知識を身に付けた人格破綻者というのはいるものである。特に、東大やら京大やら慶應早稲田を狙うのであれば、将来は政治家、官僚、企業経営者を目指すという者は多かろう。道徳を知らぬ人格破綻者が私利私欲の為だけに高等知識を振るう行為は、武道の有段者が無差別に暴力を振るうのと同じ事である。

 高学歴の人格破綻者が政治に携わる事の弊害は、ここ数十年において、我々日本人が政治家から搾取され続けてきた事実を見る事で理解出来よう。
 大きな政府を是とするプロパガンダを展開し、与党も野党もせっせと利権を生む為の無意味な規制作りに邁進する。そこに大手メディアと一部の大企業があやかろうとする。
 何を教えるにしても、教育とは先ず第一に、道徳と人格形成が立たなければならない。

 引用した記事ではその“事件”をキッカケとして、暴言を吐いたガキがバカ講師によく質問してくる様になって信頼関係が築けたと報じられているが、ちゃんちゃらおかしい。
 教育に信頼関係など必要無い。
 必要なのは、生徒が確かに成長したという結果である。
 結果というのは、この例で言えば、単にガキが漢文の知識を身に付けられたというだけに止まらない。
 教育の根本的な目的とは、単なる人間を社会人に引き上げる事である。
 あくまで予備校講師でしか無い人間が、その様な責務を負わなければならないのか?
 負わなければならないのである。
 身の程知らずのガキを教育するのは、広く大人の責務である。ガキを一端の大人にする為ならば、恨まれ、憎まれる覚悟をも持たなければならない。


※補足①:イジメ

 「イジメ」は必ずしも悪では無い。
 「イジメ」と言うと、問答無用で残虐且つ卑劣な行為というイメージがあるが、教育過程において有効なイジメ、あって然るべきイジメというのは存在する。
 「イジメ」の一側面として、「優劣の発露」が挙げられる。
 同じ目標に取り組むべき同志。その中で協力の足りない者に対して行われるイジメは、そうなるに至った背景、用いられる手法が間違っていなければ悪足り得ず、寧ろ必要不可欠な行いである。イジメられた側はイジメた相手との優劣をハッキリと自覚し、成長する必要性を強烈に刻み込まれる訳である。
 この世には二種類のイジメがある。一つは悪いイジメ。もう一つは良いイジメである。

※補足②:やる気を出させる

 「やる気を出させる方向に繋げようとするのは、別に問題無いのでは?」という意見があろうが、駄目である。
 今回のケースだが、先ずはガキに猛省を促さなければならない。自身が犯した身の程知らずの発言を悔い、漢文の知識よりも先ず、人間としての成長を促さなければならない。
 にも関わらず、何の罰も無しに「やる気を出させる方向」に繋げたりなどすれば、ガキに勘違いさせるだけである。
 「成長」どころか「後退」させかねないという事である。


※追記①:戸塚ヨットスクール

 戸塚宏氏であるが、この様な方こそ真の教育者である。

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