モテないナルシシスト男は、女を呪いながら死んでゆく。
実は真実はたんじゅんで、ナルシシスト男だからモテないのである。いったいどんな女がもっぱら自分にだけ夢中な男を愛するだろう? それは無理というものだ。逆に言えば、人はナルシシストを辞めて他人を愛することができるようになれば、おのずとモテるようになるものなのだ。しかし、あの天才三島由紀夫はこのからくりに気づけなかった。なぜなら、三島にとってナルシシズムは世間から自我を護る鎧だったから。
もっとも、スターだけは例外で、スターにとってはむしろナルシシズム‐自己愛は必須の条件ではあるでしょう。だから三島由紀夫はスターになるために努力して、実際スターになりおおせた。
ただし、スターとは大衆に熱烈に憬れられる存在である。宗教の教祖に喩えることもできる。さらに言えば、かつて明治、大正、昭和前期にあっては天皇陛下こそがまさにそういう存在だった。(もっとも、大正天皇だけはいくらか微妙だけれど。)しかし、ざんねんながら天皇陛下は大東亜戦争敗戦後、GHQによる戦後処理によって人間宣言させられてしまったけれど。いずれにせよ、長年にわたってスターを続けることはたいへんな努力を強いられる。しかも、たとえ自分の虚像が百万人に愛されたところで、人はたとえたったひとりであろうとも自分の愛する人にほんとうの自分を愛されたいと願うもの。これがスターの孤独である。
そもそも三島の場合はスターになることに先立って、アオジロの天才文学青年育ちで、気の毒なことに(男色経験は別として)29歳まで童貞くんだった。そしてめでたく貞子さんとの熱烈な恋愛に夢中になるとともにボディビルをはじめてマッチョな肉体を作り上げてゆき、ますますスターらしくなってはゆく。しかし、どう考えても三島の努力の方向はまちがっている。この時期三島は鎧を脱いで素顔になって他人を愛することを学ぶべきだったのだ。だが、三島は鎧を脱げなかった。もしも鎧を脱いでしまえば、自分がNOBODYになってしまうことを自覚していたから。
なお、三島の生前および没後40年間にわたって、三島読者は『仮面の告白』~『禁色』に騙されて、(公言することははばかられたものの、内心)三島はもっぱら男色者ゆえ女性を愛せなかったのだ、と理解したものだ。ところが2011年岩下尚史著『ヒタメンー三島由紀夫が女に逢う時』(有山閣刊~その後文春文庫)が刊行されて、三島は29歳から3年間、年若い貞子さんとの恋愛に夢中になったことが判明。すなわち、三島は『仮面の告白』において園子とキスまでは持ち込めたものの、あえなく振られてしまった結果、悔しくてたまらないから、おれはもともと男色志向だったゆえ〈女〉を愛そうと努力したけれど無理だったんだよおおおおお、というフィクションをでっちあげたのだ。そして三島は園子に復讐すべく、努力して男色者になった。なるほどそう考えると、29歳まで童貞くんだった三島の〈女〉への愛憎が激しくもなろうというもの。〈けっして自分のおもいどおりにならない女〉という存在に三島が煩悶しないわけがない。いずれにせよ、三島の性愛嗜好はゲイ~ヘテロ~バイを激しく揺れ動いた。
おもえば三島は渾身の作品『鏡子の家』が批評家たちほぼ全員にぼろくそに言われ、悔しくてたまらなくなったその後、例の白亜の豪邸でパーティを開催するようになる。映画出演し、歌も唄うようになって、自分を被写体とした写真集も発表し、国民的スターになっていった。はやいはなしが三島はナルシシズムを満足させる讃辞の供給源を、文壇ではなく、むしろ学識豊富な友人知人、そして人生でご縁のあった気のいい凡人たちをもいくらか含めつつ、そして広く一般大衆に求めるようになったのだ。とうぜん三島は文壇の重鎮でありながら、しかし自分をふさわしく愛してくれない文壇を激しく軽蔑するようになってゆく。おれの偉大さを理解できないバカどもばかりの文壇などこっちから願い下げだ、というわけである。しかしながら、だからと言って大衆ほど飽きっぽく移り気な存在もまたないというのに。そもそもマスメディアの見世物興行一般原則は〈おもしろそうな人がいれば祭り上げて、しばらく遊んで、みんなが飽きたら祭り下げる〉である。すなわち、つい調子にのって神輿に乗ったが最後、大歓声に浮かれるのもつかのま、いずれ振り落とされることは運命づけられています。
三島の遺作『豊穣の海』4部作は、流れゆく〈時〉を主題にし、輪廻転生を扱った壮大な小説ではある。三島はこの作品のなかで永遠に生き続けたかったことでしょう。『春の雪』は18歳の美青年、ナルシシストの松枝清顕が、房子との純愛に失敗する話である。つづく『奔馬』は、清顕の没後18年め、清顕の生まれ変わり勲が主人公であり、かれもまた清顕同様脇腹に三つのホクロがあったことが生まれ変わりの証拠になっています。勲は憂国のおもいにかられ昭和の神風連を目指し行動しようとするが、しかし行動直前に逮捕されてしまう。清顕の友人・本田はこのとき判事になっていて、この事件を裁く立場である。つづく『暁の寺』は、中年になった本田がバンコクおよびインドで輪廻転生について考える話である。最後の『天人五衰』は、本田が美少年・透を清顕の生まれ変わりと確信し養子に迎える。しかし、二十歳になった透は、本田から輪廻転生の話を聞かされ、透のプライドはそれを認めることができず、ある行動に出る。他方、本田はすでに75歳、自分の死期も近いことをおもい、房子に会いに行くものの、しかし房子の言葉はすべてを否定するものだった。ぼくは(三島も論じたことのある)定家の哀切の歌をおもいだす。
み渡せば花ももみぢもなかりけり
浦の苫屋の秋の夕ぐれ
この作品『豊穣の海』4部作にもなお『禁色』同様、〈女〉への呪詛に満ちあふれている。しかも、この作品は、おそらくは起筆時の三島の意図を裏切って、結局ナルシシスト男たる三島の分身たちが、ふたりの女にあっさり否定され、人生に敗北し、三島がそれまで山のように築きあげた文学の仕事を自分自身で無だったと認識する物語になってしまった。最終巻『天人五衰』を読み終えると、われわれ三島読者は呆然と立ち尽くす。おそらく三島本人とて起筆時にはけっして、こんな結末にするつもりはなかったでしょう。しかし、結局三島はこの結末を選ぶ他ないところまで追い込まれた。仮面をつけて人生を生きてしまったそんなおれの人生は、けっきょく無だった。この結末にこそ、三島の人生最期の、読者への誠実がある。
すなわち、三島は〈女〉を呪い、〈女〉への復讐に失敗し、〈女〉に見棄てられて、しかも、45歳を迎えた三島の肉体の美はひかえめながら老いに蝕まれはじめていて、いまや三島に打つ手は残されていない。すなわち、若さと美にひたすら執着し、鶏ガラみたいな、あるいは肥え太った、文学老人どもが支配する文学界をなかば見限ってひさしい行動の人・三島は、もはや文学にすがることもできず、このまま生きたところで「青春のミイラ」になるほかない。そんな未来はまっぴらごめんだ。結局八方ふさがりのなか、三島は死ぬしかなかったということである。それでも三島は自分の死後なお作品のなかで永遠に生きようとした。しかし、その輪廻転生もまた女たちに否定されてしまう。しかも、三島自身でさえも遂に自分自身の人生が無であったことを認めてしまう。こんな気の毒な小説はそうそうありません。なお、『豊穣の海』4部作の輪廻転生の証拠、脇腹の三つのホクロ。おもえば三島は『仮面の告白』以降、章のなかで物語の流れを変える箇所で、3つのアステリクス(*記号)を三角形状に並べてきたもの。
文学とは著者の世界認識の表明であり、同時に他者理解の形式である。われわれは文学を読むことによって、愛の秘密を知り、人を愛する方法を学ぶことができる。では、なぜ天才文学者・三島はこれを学ぶことができなかったでしょう? それは三島がナルシシズムの鎧を脱げなかったからである。したがって、愛について、三島由紀夫ほど優れた反面教師はいません。これは皮肉でも反語でもない。まさに文字どおりのことなのだ。
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