すずめ

掌編〜短編小説、時々詩を書きます。 誰かの夢を聞くように楽しんでいただけると幸いです。

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最近の記事

水底より 追伸

 桜鯛が行き過ぎました。先生、こちらは春の盛りです。  時々スズキが一緒に泳いでいきます。間抜けなのか、真面目なのか、あの顔からはわかりません。不幸かどうか、今度聞いてみようかしら。  お向かいのカメレオンがお散歩しようって窓先に来ました。毎日膚の色を変えるお洒落さんです。あんまり長くは歩けないから、私の自転車に乗りたいんですって。新調した革のベルトを見せびらかしたいだけなの、私、ちゃんと知っています。  お台所は日の光が柔らかく差して、何だかお菓子を焼きたくなる。バターの香

    • 小指がほしい

       何が欲しい、と聞かれ、彼女は少し戸惑った。 「何が欲しい? どうせお別れなんだからさ」  高くもなく低くもない彼の声を彼女はいつでも聞きたがった。 「何でもいいの?」 「何でも。何が欲しい?」  絡めた指は暖かくて、柔らかかった。 「指が欲しい。一本でいいから」  彼の指だからではなく、何でもくれると言ったからでもなく、ただ欲しいと思った。 「どうしようか。今、あげようか」 「今でなくてもいいけど、きっと頂戴」  しばらくして、彼女の元に小指が届いた。  小さな硝子瓶に入

      • 交響曲第5番 ハ短調 作品67

         男は疲れ果てていた。  何もかもが上手くいかない。妻も、仕事も、友人も。 やれるだけのことはやったはずだ。何十年も自分を殺して、ただ必死に、がむしゃらにやってきた。すべてが裏目に出るのだ。  目の前には一人では到底開けない程大きな扉がある。追い詰められた彼に出来ることはひとつしかなかった。  男はただ扉を叩いた。何度も、何度も。ただ叩き続けた。  扉は快く開かれた。女神の導きが待っていた。柔らかい手は生活に荒れ果てた手を取り、光に満ちた明日へ彼は踏み出した。  それから男

        • リストカット

          私が私でいたことだけは憶えていてください 馬鹿馬鹿しい上司のわがまま 部下のわがままを嗜められない私 彼の好みはショウウィンドのマネキン 腕が落ちて痛々しいわ お母さんは正義 私はそうはなれない 恋人と繋がれるのは深夜のラブホテルだけ 店員さんは優しいね きっとたくさん買い物したからよ みんなみんな馬鹿なんだわと呟いてみる ピンクのカッターは刃が錆びています 私のモヤモヤは明日には忘れ去られる 誰も悪くなんかありません 私がそうしたいだけ 私の望みを忘れる日が 私の願いを

        水底より 追伸

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        • エッセイとか
          48本
        • 何か好きなの
          48本
        • 備忘録ほか
          20本
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          74本
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          31本
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          31本

        記事

          かわらけ

           私の妹は四十日前に行方不明になりました。  兄の私が言うのもなんですが、それはそれは可憐な妹だったのです。あの子が笑えば誰もがその可愛らしさに夢中になりました。丸い目をいたずらっぽく細めて笑ったのです。おさげの髪を気まぐれに丸めて帽子の中に隠しました。少年のような無邪気さでした。細い手足を精一杯広げて喜んだのです。  両親は非常に悲しみ、出来うる限りの手を尽くして妹を探しました。警察や青年団、時には怪しげな探偵も雇いました。駅では一体何枚のビラをまいたのでしょう。母など仕事

          かわらけ

          自由な国のお話

          大好きなお姉さん先生は 僕へのワイセツコーイとやらで捕まった ショートボブの初恋のあの子は お母さんと住むんだって遠くへ引っ越した 野球部の鬼コーチは 寒い夜に道路で眠って轢かれた 成人式に会おうと約束した友達は 19歳最後の日にビルから飛び降りた 仕事のイロハを教えてくれた先輩は 肝臓ガンで病院だ 釣り仲間のおじさんは 精神病院で魚を釣っている 久しぶりに会ういとこは 明日水道が止まるのと寂しげに笑った ミスコンで優勝した後輩は スーパーで子供を平手で打った 僕はこの手に余

          自由な国のお話

          私はどこに

          あなたと別れて2年経つのに 今も峠のスカイラインに 青いアウディを探します あなたと別れて2年経つのに 今も駅の喫煙所に マルボロの指を探します あなたと別れて2年経つのに 今も向かいの喫茶店に ブラックティーを探します あなたと別れて2年経つのに 今もデパートのCDショップに ロックの曲を探します あなたと別れて2年経つのに 今も場末のラブホテルに 柔らかいシーツを探します あなたと別れて2年経つのに 今もあなたの心の中に 私の姿を探します

          私はどこに

          星探し

          『星になった人、探します』 ふざけた看板だと武藤(むとう)は思った。 死んだとわかっているなら、もう既に探し人は見つかっていなければおかしい。行方不明者捜索の探偵なら、こんな不穏な看板を出すはずはない。奇妙だとは思いながら、武藤はなぜかその看板から目を離せずにいた。昼の陽ざしがじっとりと背中に汗を浮かべる。 ただ暇だっただけだと、誰も聞いていない言い訳を口にして、彼は古びた引き戸を開けた。 中は不動産屋に似た造りで、物件情報の代わりに色褪せた星空の写真が何枚も貼ってある。店主

          星間旅行

           星間旅行が大衆化されて今年で100年になるらしい。  アニバーサリーイヤーということで、旅行代も割引になっている。そうでなければ、地球住みの貧乏な下級使い捨て労働者が旅行なんて行けるはずもない。 「地球の旅行も人気はございますが、レトロブームとでもいうものでしょうか」  ゴンドラを漕ぎながら添乗員兼漕ぎ手の白兎さん――と名札には書いてある――は目を細めた。  星間旅行にゴンドラを使うのは旧式だし、今回はお客も私だけだ。流行らないのだろう。そう呟くと、白兎さんは苦笑しながら、

          星間旅行

          To my dear...

           別に、不満はないが。  窓の外を流れていく景色と、右側に座る広樹(ひろき)を見ながらふと考えた。  大学院の入学祝にと買ってもらったらしい軽自動車はそれ程新しい型ではなく、乗り心地もまあまあといったところだ。もちろん、ケチをつける気は一切ないし、消臭剤だろうか、ラベンダーの匂いも好きではないが、我慢できないという程ではない。何より子供みたいにはしゃいで運転する広樹を見ていると、やはり可愛らしいとは思う。  今回、泊りがけの旅行に行こうと誘ってくれたのは広樹だし、計画を立てて

          To my dear...

          小鳥の夢

          鳥使いの少年は無邪気です 刷り込みと盲目的な愛にちがいはあるの? 赤と緑の鳥が旅立つ あの子は僕が愛した158羽目だ 多分不幸になるよと彼は予言します だって行き先は崩れかけた旧家だから 血のにおいがするでしょう 娘さんが殺されたんだ 向こうの淵で見つかった 大学生はみんな死ぬよ すぐに忘れてしまうだろうね 名探偵は来ないから 僕の鳥も死んでいく 悲しくなんかないんだよ 明日は青い鳥を飛ばそう 私は彼を忘れません 最期の景色は網膜に焼きつく おさげの少女は近いうち少年に恋をす

          小鳥の夢

          少女A

          目を閉じれば天の川の銀河が見える 金木犀は石鹸の匂い 私の死を証明できるのは会ったこともない娘だけ 私が愛したあの人はただの他人に成り下がる お別れの花が必要です 生殖器が美しいと誰がどうして決めたのか 悪夢を継がせる蛮勇があなたにあるのは幸いです 愛ほど格差のあるものを私は未だ知らないの すべて誰かの夢だから気にしなくていいのよ 風は運動会の音を運んでくる あなたは一生縛られる 私は誰も救えない ただ一枚の皮膚だけが溶け合うことを許さない 踊りを教えてあげましょう ギターを

          アフタヌーン・ティーは君と

           式が終わった大講堂からは蜘蛛の子を散らすように生徒たちが飛び出していく。ついさっき放り投げた角帽をかぶって、手には三年間の学業を証明する紙切れを握りしめて。  彼らは長い寄宿舎生活を終えて、父母の待つ門の方へ走っていくのだ。ある子は誇らしげに、ある子ははにかみながら、ある子は無関心を装いながら。  でも僕には駆け寄っていく相手がいない。 「オースティン。君は何時の列車かね」  カラー先生がいつの間にか僕の後ろに立っている。 「五時です。少し時間がありますから、寮で待っていま

          アフタヌーン・ティーは君と

          母の鏡台

           母が他界した。  妻から珍しく私用の電話が掛かってきたのは、ちょうど昼休みも終わりに近づいた頃で、昼食から帰ってきて机でくつろいでいた私に事務の女の子が奥様からです、と言った。  私用電話を掛けてはいけない、ときつく言い聞かせてあるにもかかわらず掛けてきたことを思えば、用件は何となく想像がついた。母は長患いのせいで今日か、明日かというような状況だったのだ。 「お義母さんが……」  電話口で当惑した声を出す妻に対して、私は淡々と段取りを言い聞かせた。実家に帰るから準備をしてお

          母の鏡台

          レモンソーダの哀しみに

           私には年の離れたいとこのお姉さんがいた。  名前は今となっては憶えていない。私はお姉さんと呼んでいたし、お姉さんは私を名前で呼ばなかった。小さいからちぃちゃんとか、あなたとか、ねぇとか、一度も名前で呼んでくれたことはなかった。  十程も離れたお姉さんは、私の記憶の最後にあるところで精々高校生だ。大人ではなく、しかし子供でもなかったお姉さんとはもう長く会っていない。 ***  お姉さんと会うのは決まって夏だった。  おじさんの家にはもっと頻繁に通っていたはずなのに、お姉

          レモンソーダの哀しみに

          溺れる

          切望の海に沈む愉悦を あなたにだけは教えてあげる 薄い剃刀の縁を歩いて 海の泡になれるのよ 涙の海に溺れれば 胸に洞窟が見えるでしょう 聖母は誰も愛さない 百合が清らかな理由です 人魚がどうして生まれるか きっとあなたは知らずに済むわ 短刀を持つ細い指が 美しいわけないんです あなたがいないと生きていけない あなたといると息ができない あなたの声が聞こえるところは どこだって地獄になるでしょう 安息の地が見えたなら あなたの声を聞かせてください