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星間旅行

 星間旅行が大衆化されて今年で100年になるらしい。
 アニバーサリーイヤーということで、旅行代も割引になっている。そうでなければ、地球住みの貧乏な下級使い捨て労働者が旅行なんて行けるはずもない。
「地球の旅行も人気はございますが、レトロブームとでもいうものでしょうか」
 ゴンドラを漕ぎながら添乗員兼漕ぎ手の白兎さん――と名札には書いてある――は目を細めた。
 星間旅行にゴンドラを使うのは旧式だし、今回はお客も私だけだ。流行らないのだろう。そう呟くと、白兎さんは苦笑しながら、わが社も厳しいのですよ、と答えた。
 今は黄道十二宮宇宙鉄道の旅が流行りだという。どの星座でプロポーズするのが一番ロマンチックだろう。
「お客様はどちらから?」
「私は地球から」
「なるほど。地球訛りが素敵だと思っていました」
 白兎さんは多分月からだろう。訛りがない。
 今や辺境の地になってしまったが、人類の始まりは地球だという幼稚な理由で、私は地球に留まることを選んだ。同じ人類生産所から生まれた子たちは月や火星でばりばり仕事をしていると聞く。
 本来働く必要もない彼ら彼女らが働く理由は自己実現という奴だろう。昔々も重要だったようだ。その点、能力のない私は気が楽だ。部品になっていればいいのだから。選択肢がないというのは案外素敵なことだと思う。
「でも、白兎さんはそうじゃないでしょう。何で働いているの?」
「復讐です」
 冗談のようで、冗談ではない。私は白兎さんのことについて聞くのをやめた。
「綺麗ね。宝石箱をひっくり返したみたい」
「懐かしい表現ですね。月ではもう聞きません」
「今は何て言うの?」
「星がたくさん光っている、と」
 言語が統一されたのは喜ばしいことだ。昔は同じ星の人とでさえ会話しようとすれば、通訳が不可欠だったと聞く。私の地球訛りも遠くない未来になくなるだろう。そうしてすべてが統一された時、果たして私は生きていけるだろうか。
 傍を走り抜ける大きな宇宙船がスピーカーを開いた。宇宙連邦公認の広告をがなり立てる。
『愛や宗教、思想を統一できないとは何と不幸なことでしょう』
 黒いTシャツの眼鏡の男性は、確かどこかの大企業のCEO。そういえば、私たちが制御できていないものは既に片手で数えられる程しかない。そのうちの一つが何なのか、あのCEOに教えてあげたい。すべてを制御したいという欲望だ。
「白兎さん、結婚は?」
「男女の法的契約、という意味でなら、しておりません」
「健やかなるときも、病めるときも、という意味でなら?」
「それが実現可能なものかどうか、人類はいまだ壮大な実験中ではないでしょうか」
「意地でも不可能だって言わないのね」
 たったひとつの感情に殉ずることのできる人が羨ましい。そう思うのは私だけではないはずだ。殉教者の物語が今なお布団の中で語り継がれるのはその証拠だと思う。
「真心というのはあるのかしら?」
「そうですね……誰も知らない真心を存在すると言っていいのなら」
 愛や宗教を制御できる日が来たなら、私はその命ある限り真心を尽くす誰かを探す旅に出ようと思っている。それを実現不可能な夢だと呼ばないのは、多分白兎さんだけだろうと私は想像する。

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