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星探し

『星になった人、探します』
ふざけた看板だと武藤(むとう)は思った。
死んだとわかっているなら、もう既に探し人は見つかっていなければおかしい。行方不明者捜索の探偵なら、こんな不穏な看板を出すはずはない。奇妙だとは思いながら、武藤はなぜかその看板から目を離せずにいた。昼の陽ざしがじっとりと背中に汗を浮かべる。
ただ暇だっただけだと、誰も聞いていない言い訳を口にして、彼は古びた引き戸を開けた。
中は不動産屋に似た造りで、物件情報の代わりに色褪せた星空の写真が何枚も貼ってある。店主らしい老人が1人、新聞をじっと読んでいた。
「あの、ここは星になった人を探すんですか?」
老人は鼈甲縁の眼鏡をずらし、さも当たり前のことを聞くなと言いたげな声で一言、そうですが、と答えた。そして億劫そうに新聞をたたみ、座り心地の悪そうな椅子を指さした。
「いらっしゃい。誰を探しましょうか」
「いえ……その、ちょっと気になって」
「ああそう、冷やかしかい」
客商売とは思えない愛想のなさに武藤は少し苛立った。しかし冷やかしであることに変わりはなく、彼とて老人を非難できる立場ではない。
「すみません。あの、お話だけでも聞かせてもらえませんか?」
巧妙な手段であると意地の悪い邪推をしながら武藤はおとなしく椅子に座った。
きょろきょろと落ち着きなく店内を見回していると、欠けた茶托に乗った茶が出てきた。
「ま、客に違いはないからね。飲みなさいよ」
おそらく、これが老人なりのコミュニケーションの取り方なのだろう。田舎の親戚にもいたではないか。そう思い直し、武藤は出された茶を1口啜った。味は良かった。
「で、何聞きたいの」
「ここはその、亡くなった人を探してくれる店なんですよね」
「そうだよ。正確に言うと、星になった人を探す。例えば、そうだね」
老人は壁の一枚を示した。青白い光を放つ、それ程明るくない星だ。彼はつまらなさそうに10年程前に亡くなった大女優の名を出した。
「それからね、その隣の写真は2軒隣にあった豆腐屋のご主人。そっちの赤い星はアメリカの大統領。その銀河はえっとね、癌で亡くなった女の子だ」
わかっただろう、と言われても、武藤にはさっぱりわからなかった。
「えっと、つまりその人たちは亡くなってから星になった、と?」
「そうだって。物わかりの悪い人だね、あんた」
非科学的だ。それは伝承や言い伝えに過ぎない。もちろん武藤はそう考えるのだが、老人の口調はあまりに真面目だった。
「死んだら皆星になるのですね?」
「そんなわけないじゃないの。それなら楽だよ」
「じゃあ、星になる人とならない人はどう違うのですか? 不幸な亡くなり方? それとも善良な人かどうか?」
「知らないよ。そういうことはね、宗教家とか、そんな人に聞きなさい。うちは星になった人を探すのが仕事なの」
詐欺ではなかろうか。適当な星を指さして、あれがあなたの大事な人ですよ、と教える。そして報酬を受け取る。これだけ飛躍した話ならスピリチュアルなんかが好きな人ははまるだろう。
武藤の表情から何か感じ取ったのだろう。老人は信じないなら結構、と新聞を引き寄せた。
「待ってくださいよ。それ、どうやって探すんですか?」
「あの望遠鏡で。旅費さえ出してくれるなら、南半球にだって出張するよ」
もう興味を失ったというような投げやりな声で老人は店の隅の天体望遠鏡を示した。
それ程大きいものではない。家庭用の天体望遠鏡くらいだ。木製の鏡筒や三脚部には金属で飾りが入っている。何か意味があるのだろうが、武藤にはさっぱりだ。
「あれで……」
「そう。依頼者が覗けば自然と見つかる。見つからないなら、ありとあらゆる空を覗けばいいが、ま、星にならなかった人かもしれないからね。適当なところで切り上げた方がいい」
「それで、いくら」
「探し人に関する思い出を星の大きさに応じて。旅費とか、そういうのは実費」
「……お茶、ごちそうさまでした」
暇つぶしにもならなかったと武藤は外に出た。老人はもう目も上げない。
外は日が傾き、街路樹の隙間で一番星が光っていた。

***

正気じゃないと思いながら、武藤は数ヶ月前に訪れた店の前に立っていた。止めないか、と頭の片隅で誰かが叫んでいる。今は動揺しているだけなのだから、と。
構うものかと武藤は勢いよく引き戸を開けた。
「ん、あんたいつかの」
老人は寸分たがわぬ様子でやはり新聞を読んでいた。
「婚約者を、探してください。私の、紗耶香(さやか)を」
「いいから落ち着いて、座りなさいよ」
慣れた手つきで彼は椅子を勧めた。
「婚約者が亡くなりました。探してほしいんです」
「大変だったね」
老人はやはり不愛想だった。
「探してくれますか」
「もちろんですよ」
「では、何からお話しすれば」
「何も話さなくて結構です。覗くだけでいいんです」
老人の言葉はおそらく武藤の耳に入っていなかったのだろう。頭を抱え、武藤は神父ではない老人の前で告解を始めた。
「最初は親の紹介だったんです。つまらないと、見合いなんて前時代的だと、そう思っていたんです。一度会って、適当に理由をつけて、断ればいいと。
けれど紗耶香に会って、私の世界は変わった。紗耶香がすべてになったんです。天使のようで、聖女のようで、あんな無邪気に笑う女性を私は見たことがない。もう、何も考えられなかった。紗耶香が囁けば、それが真実だったんです。
結納も済ませていた。後は式を挙げるだけだった。それなのに、紗耶香は、事故で……」
老人はずっと声を掛け続けていた。武藤には一言も聞こえていなかったが、やめろと声を掛け続けていた。
「紗耶香は、見つかりますか」
「それはわからないが……探したいのかね」
「紗耶香にまた会えるのなら、惜しいものなどありません。いくら、お支払いすれば」
「わかりませんよ。見つからなければ、頂けないのですから」
「じゃあ、紗耶香は」
武藤の背に手を添え、諦めたように老人は望遠鏡を運び出した。
「いらっしゃい。ちょうど日も暮れました。きっと後悔するでしょうが、探しなさい。あなたの選ぶ道です」

***

ビルの屋上はひとつも光がなく、武藤は何度もつまづいた。ただ老人の声と体温だけが頼りだった。
「いいんだね。覗けば、最後だ」
「最後なものですか」
覗き込んだ丸い視界の中で、婚約者の影は眩しいくらいに輝いていた。サファイアの青が好きなの。薬指に口づけた横顔を思い出す。シリウスよりもずっと明るく大きな星だった。
ただ悲しかった。分け隔てなく輝く、誰もが手を伸ばすような星になってしまったことが、武藤だけのものではなくなってしまった婚約者が。
「ああ、あの……あの星だ。なぜ、紗耶香は私だけに」
老人はただの一度も噓をつかなかったではないか。悲鳴に近いその声に応える者はいなかった。
「お代は頂きますよ。良かったね、あんた。すべて忘れられるよ」
優しい響きが静まり返った空にこだました。

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