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アクセシビリティの先へ
あたりまえに劇場などでの「アクセシビリティ」が語られるようになり、少しずつ公共ホールが開かれた場になったり、公演によってきめ細かい配慮が示されたりしてきたけれど、やはりわたしがずっと関わってきたような知的障害とか発達障害がある人たちは、まだ対象とされていないのだなと感じてしまう。
障害がある人たちが舞台を観たりそこに立ったりという機会も増えては来ているが、マジョリティ側の「やってる感」いや「やって
「ワンダフルライフ」評
20代の半ば、どこに出すあてもなく書いていた時期がある。劇場にも行かれない夏期休暇、あまりに暇なのでそれを覗いてみたら、今と同じようなことを書いている。しかも勝手に連載形式で……でもこれは書き上げたいな。そのためにも、映画をまた観はじめるか。
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前回取り上げた『フェノミナ
「東京デスロック」のこと
東京デスロック主宰の多田淳之介が「演劇LOVE」を標榜して久しい。ややもすれば多田は、演劇を愛しているというよりも、枠組みを壊してしまうくらい演劇に対して果敢に挑んでいる印象を持たれがちだが。それは彼がこれまで、開演前の挨拶であらすじをほとんど語り、冒頭四〇分以上無言で女優を立たせ、ひとつの「作品」を何度も繰り返して見せ、俳優は出さずスクリーンに映る字幕と音楽と照明だけで作品を構成し、八時間の上演
もっとみるチェルフィッチュ「三月の5日間」評
ちょうど今、神奈川芸術劇場でリクリエーション版として上演されている「三月の5日間」。2006年にSuperDeluxeでの再演を観て、初めて書いた劇評をそのまま掲載する。小劇場レビューマガジン「ワンダーランド」の北嶋孝さんに声をかけてもらい劇評を載せたのが2008年のことだから、それより一年ちょっと前のこと。
そもそもこんなものを掘り起こしたのは、今回のリクリエーション版で自分があまり揺さぶ
伝えないメディアと諦めない青年
昨晩というか日付は今日となっていた未明、NHKは委員会室で議事が始まらない様を映すのみで、まさにそのとき議事堂を取り囲んでいた人たちの存在を映像でも言葉でも一切報じなかった。
それを見ていて想起したのは、18歳の予備校の現国の教室。石牟礼道子さんの文章が問題文だったために水俣病の話になり「今日、この今も患者さんは抗議の活動をされている」と講師が言った。
あの時わたしの中で何かが起った。それまで
『障害/健常』をゆさぶる
先にお詫びしておきますが、わたしは障害について専門的に学んだことはありません。アートについても同様です。なのに障害とアートについてお話します。
今日の話の中で用いる障害という言葉は、おもに古い世界保健機構の国際障害分類の「社会的不利益」を意識しています。機能や構造やもっといえば姿かたちに違いがあることや、何かができなかったり苦手だったりすることそのものではなく、それら諸々のことによって不利益を被
ハイバイのゆかいなたくらみ
ハイバイは2003年に『ヒッキー・カンクーントルネード』でのろしを上げた。主宰の岩井秀人が自身の引きこもり時代を描き、昨年で6回目の再演で全国を回ったまさしく代表作である。身を切るかのように見える劇作だが、岩井は、不幸ネタを披瀝して可哀想がってほしいのではないし、自分の傷を癒そうとしているのでもない。ましてや「生まれ変わろうぜ、そこのキミも!」と悩める若者あたりにエールを送っているのでもない。ハイ
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