伝えないメディアと諦めない青年

昨晩というか日付は今日となっていた未明、NHKは委員会室で議事が始まらない様を映すのみで、まさにそのとき議事堂を取り囲んでいた人たちの存在を映像でも言葉でも一切報じなかった。

それを見ていて想起したのは、18歳の予備校の現国の教室。石牟礼道子さんの文章が問題文だったために水俣病の話になり「今日、この今も患者さんは抗議の活動をされている」と講師が言った。

あの時わたしの中で何かが起った。それまでは、歴史とわたしは途切れていた。厳密に言えば、社会問題とわたしは関係ないと思っていた。わたしの中で「水俣病」は終わったことと思っていたのに、今この瞬間も続いているのだということに慄然としたのだ。判ったとか納得したとかを超えていた。同じ国とはいえ行ったこともない遠い土地で、過去に起った不幸な出来事……完全に隔絶し他人事だった水俣病事件とかすかにつながった瞬間だった。それは社会との関わりを見出したということかもしれない。

その後、ようやく入った大学では水俣フォーラムの代表も務めた栗原彬さんに師事することとなったのも不思議なご縁なのだが、そんなご縁が重なっているにもかかわらず実はわたしはいまだ水俣を訪れたことがない。

社会問題と関わることを意識して、大学では単位になろうがなるまいがさまざまな講義やフォーラムに足を運び、日朝関係史や成田闘争や被差別部落や核問題や環境破壊などなど、気になることは片っ端から聴いてまわった。そして、そのどの問題とも直接に関わりのない、学生時代にほぼ何も学びもしなかった障害福祉の現場にご縁があって二十年近くになろうとしている。

それでも、栗原さんのもとで考えつづけていた「差別と暴力」「加害/被害」「他者/関係性」「公共性」「自律と共生」といったものが、あらゆる問題を貫きつなげてくれている気がする。それによって、行ったことない遠くの、すでに抗議も絶えた過去の、会ったこともない誰かの痛みとつながっている気がする。それはわたしの痛みであり、生きがたさでもあるために、義務感とか使命感で問題に関わってきたという感覚はない。膨大な数の誰かの痛みを知ってしまうことでそのすべてには応じ切れないと苛まれるというより、彼/女たちの数限りないまなざしに支えられているからこそわたしは抗いつづけられるのだという心強さがある。彼/女たちに出会えたきっかけのひとつが、間違いなくあの18歳の予備校の現国の教室だった。

相変わらず多くの大人たちが、ときの権力者にとって都合の悪い人たちのことを存在しないかのようにしているために、あの時のわたしがそうだったように、多くの子どもは社会とつながる契機を得られないままだ。

もし、社会問題を知るということに対して親たちが、なんだか「危険思想」を持った「過激派」になってしまうのではないかという不安を抱くとしたら、それは誤解による過剰な反応だと思いつつも、まったく判らないというわけでもない。けれど、闇雲に怖れているヒマがあるならば、ただ一人でいられる強さを育ててあげてほしい。孤独に耐えられなければ自律して考えることも難しいからだ。ネトウヨでも過激派でも、つまり右だろうが左だろうが、はたまたカルト教団だろうが機動隊だろうが軍隊だろうが、人間は固有名を失い集団の一部となり流れに身を任せ自分で考えなくなった時に、差別や暴力に加担しやすいものだ。

先日、奥田愛基さんが中央公聴会で発言した「政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の『個』であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に思考し、判断し、行動してください。」という言葉はまさしく、この自律の重要さを徒党を組む政治家たちに説いていた。

とはいえ、「個」でいられるように育てるというときに周りの大人ができることなんてきっと、なにがあってもわたしはあなたを否定しない/排除しない/殺さないと伝えつづけることくらいなのだと思う。それは、愛するということなのかもしれない。

奥田さんがすごいのは、そのことを、傍からは対立しているかに見える政治家たちにも伝えようとしたところだろう。

こんな世界だからこそ、だれのことも諦めない働きかけをこれからもつづけていかなくては。

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