「東京デスロック」のこと

東京デスロック主宰の多田淳之介が「演劇LOVE」を標榜して久しい。ややもすれば多田は、演劇を愛しているというよりも、枠組みを壊してしまうくらい演劇に対して果敢に挑んでいる印象を持たれがちだが。それは彼がこれまで、開演前の挨拶であらすじをほとんど語り、冒頭四〇分以上無言で女優を立たせ、ひとつの「作品」を何度も繰り返して見せ、俳優は出さずスクリーンに映る字幕と音楽と照明だけで作品を構成し、八時間の上演時間内で途中退場自由……夥しい数の試みをしてきたからである。
それゆえ彼には「実験的」という枕詞がついて回るが、いたずらな実験にしては、それはあまりにも執拗である。わたしは、多田の狙いは「演劇」の拡張なのではないかと思っている。それは、自らの表現が単に消費されぬよう、観る者の深奥に留まるようにするためであり、拡張された演劇を用いて人々の関係を「LOVE」へ向けて導くための土台作りなのではないか。
デスロックは、二〇〇一年の劇団結成以来拠点としてきた東京での公演を、〇九年に封印した。翌年に埼玉県富士見市民文化会館キラリ☆ふじみの芸術監督に多田が就任すると、「地域密着、拠点日本」を掲げて各地の劇場とのつながりを模索していく。『再/生』では韓国も含めて実に八都市の劇場を巡り、各地の劇団との合同公演も重ね、多田の「演劇」はさらに着実に人と人をつなぐ力を宿していったように思う。
わたしは三人にひとりが高齢者という団地で一五年間、障害がある人たちと喫茶店を営んでいる。経済成長の歪みを皺寄せられた周縁地域で、社会的にあまりに弱すぎる人々はつながらざるをえないのだが、そこにこそ「LOVE」はある。矛盾を「周縁」に押し付けて破綻のないかのような「中央」で、他者消費の連鎖がもたらした閉塞感が破綻に至らぬためには、取り残されたかに見える周縁地域からの価値転換が不可欠だ。そしてそれは、辛うじてまだ間に合うはずだとわたしは信じている。多田も同様に、各地域の人たちとのつながりによって鼓舞されつつ、満を持して東京に戻ってきたと思われる。(劇団HPの東京復帰公演「上演によせて」)
人間が消費される究極の形は戦争へ動員されることだ。そんな気配の漂う一三年一月の東京復帰公演に彼らが選んだのは、青年団主宰平田オリザの代表作、戦争の影の色濃い『東京ノート』である。デスロックを「実験的」と評する「最も遅れた地域」の恢復を目指し、より一層逞しくなった「演劇LOVE」の闘いが始まる。

初出誌「ユリイカ」2013年1月号(青土社) 特集「この小劇場を観よ! 2013」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?