双子の本の物語。
私の本棚で、双子の本が並んで眠っている。
全く同じ本が二冊あるのだ。
そのどちらも愛おしい。
やっと再会できた私自身の本と、
温かい場所からやってきた
知らない誰かの本だ。
子供の頃住んでいた場所の近くに
小さな古書店があった。
両親は時々私をそこへ連れ出し、
好きなように本を選ばせてくれた。
とても楽しい時間だった。
小学生だった私は
自分の感覚にピンとくる本との出会いを求めて、
本屋の背の高い書棚の間を
ウネウネと歩き回った。
子供が本を選ぶ時のポイントは、
表紙のイラストとタイトル。
これに尽きる。
それから本を手にとって頁をめくった時の
手触りから伝わる何か、だろう。
その日私が古書店で選んだ本は
『アルファベット群島』(庄野英ニ著)
というものだった。
かなり年季の入った本ではあったが、
タイトルに惹かれたのだった。
その頃の私は
ぼんやりとした輪郭ながら
英語に憧れがあったので、
アルファベットという言葉にそそられて
この本を選んだのだ。
本の内容は
AすなわちAvarice Island (欲ばり島)
BすなわちBalm Island (よい匂いの島)
CすなわちCandy Island (キャンデー島)
といった具合に、
アルファベット順の頭文字で始まる架空の島々を
船で巡る物語だった。
船に乗っている七人の水夫たちの呼び名もいい。
サンデー
マンデー
チューズデー
ウェンズデー
サーズデー
フライデー
サタデー。
自分の呼び名の曜日の日に
甲板長になるという決まりがあった。
たまたまこの船に乗り合わせることになった人物が旅の航海記を書く、という設定で
物語は進んでいった。
この本は児童書ではあるのだけれど、
子供に阿ることがない話の連続だった。
Aの島である『欲ばり島』は
シェイクスピアの劇を題材にした話で、
アイロニーに満ちていた。
(小学生だった私は
この本でシェイクスピアという名前を知った)
Bの『よい匂いの島』では
ありとあらゆる香料植物が栽培されており、
香料の名前が漢字で記されていたりした。
画数の多い漢字から伝わるニュアンスが
なんとも心地よく、
私のお気に入りだった。
当時は意味などわからなかったが
安息香、麝香木、薔薇水、など
一体これはどんな香りがするのだろうかと
ひたすら想像していたものだった。
その島で供されるコース料理のメニューにも
激しく心奪われ、
私は自分のノートに
自分だけのオリジナルコース料理の名を
書き並べたりして遊んでいた。
(ひまわりのグラタンとか
すみれと雲のアイスクリーム、とか。笑)
それは
私がそれまで読んできたどの本とも
似ていなかった。
空想上の島を淡々と船で巡るだけの話なのだが、
(『巡るだけ』と言う言葉は
本当は適切ではない)
そこにはその島ならではの不思議な特徴や
隠喩があった。
字面を追うたびに
想像する心に羽根が生え、
天空を飛び回ってしまうのだ。
読み終わるのが寂しくて、
最後の頁を読み終わるとまたすぐに
物語の船長たちと旅に出るために
初めから読み直す、ということもしていた。
高校生くらいになっても
時々は本の中の航海を楽しんだ。
♧
それほどまでに愛した本だったのに、
なぜ引越しの際になくしてしまったのだろう。
大切な本だから
間違って捨ててしまうことがないようにと、
箱の中に大切にしまったはずだった。
それなのに
実家を出て引っ越した先で
荷解きをした際に、
どこを探しても本は見つからなかった。
そんなはずはない
必ずどこかに隠れているはずだ、と
心の中で何度も本に呼びかけながら
段ボール箱を開け、
衣装ケースや箪笥の中まで覗き、
半べそをかきながら探し回った。
それでも本は忽然と姿を消してしまっていた。
心の空洞に風が吹き込むのを感じながら、
私は真新しい家の床の上に
茫然と何時間も座っていたのだった。
♧
大人になってからも
無性に読みたくなる瞬間があり、
私は近隣の図書館へ
本を探しに行ったことがあった。
いくつか問い合わせたところ、
閉架の中にあるという答えをもらった時には
嬉しくて雄叫びをあげたいほどだった。
自分のものではないけれど、
再びこの本を手にして読むことができた時、
紙をめくる私の指先は喜びでかすかに震えた。
子供の頃に読んだ想像の島が
私の中で蘇る。
いくつかの章では、
あの頃には気づけなかった深さを知った。
アルファベット群島への旅に出たくて、
私は何度か本を借りに
図書館へ行くことになったのだった。
そして読めば読むほどに
本を手元に置いておきたい気持ちが高まり、
それがかなわないことに対して
耐え難い想いがつのった。
ネットで探してもなかなか見つからず。
多く流通していた本ではなさそうだったので、
(しかも絶版になっていた)
世に出てくるタイミングを掴むことも
難しかった。
一度、
オークションに出されていたことがあったのだが、
それには何万円もする値がついていて
さすがに手が出なかった。
歯痒くて悔しかった。
(ちなみに現在は
某サイトに何冊か出品されているようだ)
♧
私に大きな想像力を与えてくれた本のことを
ずっと考え続けていたある日、
たまたまある古書店のホームページを
検索していた時、
『アルファベット群島』という文字と目が合った。
ついに見つけたのだ。
価格もそれほど高くはなかった。
私の心は空まで一直線に飛んでいった。
すぐさまその古書店から取り寄せ、
ついに私は再び『アルファベット群島』を
自分の本棚に並べることができた。
感無量だった。
あまりにも嬉しかったので、
その古書店にお礼の手紙を書いたほどだ。
本を探していたいきさつと、
それを再び手にすることができて
どれほど嬉しかったかをしたためた。
ほどなくその古書店から返信の葉書が届いた。
そこには、
本当はそろそろ店を閉めようかと
考えていたこと、
けれども私からの手紙を読んで
本が繋いでくれた出会いに励まされ、
もう少し店を続けてみようと思ったことなどが
整った文字で綴られていた。
心がじんわりと温かくなった。
私が受け取ったものは、
本だけではなかった。
夢中で本を読むことができた
幸せな時間の記憶を
取り返したこと。
会ったことのない人との
透明な心の繋がり。
私の喜びが
誰かへの励ましになったということへの
驚き。
本は奇跡さえも
もたらしてくれるのだなと深く感じ入った。
本の神様はいるのかもしれない。
本を好きでいてよかった。
♧
それからわずかひと月ほど経った日のこと。
両親の手伝いで実家の物置を整理していた時に、
大きなプラスチックケースの中から
なんと突然
私の『アルファベット群島』が現れたのだ。
引越しの時
泣きながら血眼になって探しても
見つからなかったというのに。
ケースの中も何度も確認した(はずだった)のに。
なぜ今頃になって。
拍子抜けするほどの澄まし顔で
本はそこに鎮座していた。
背表紙の裏にたどたどしい文字で
私の名前が書いてある。
プラスチック製の万年筆で書いた
紺色の名前。
これは私の本だ、という証のようなものだった。
名前を書いた時のことを私は今も覚えている。
二度目に買った本が、
同じもの同士である私の本を
呼び寄せてくれたのだろうか。
自分の本が見つかったのだから
新たにもう一冊など買わなくてもよかったのに、
と後悔することは全くなかった。
この二冊は出会うべくして出会った、
と思っている。
本棚に並ぶ二冊の背表紙を眺めながら、
いつまでもここにいてね、と
語りかける。
この本が私を創る一部となっていることは
確かなことだ。
私という人間は
これまでに読んできた
たくさんの本でできている。
私を支える大切な根っこの本に出会えて、
しかも二冊でしっかりと礎を築いてくれるとは、
私はなんと幸せ者なのだろう。
人生の行き先を照らしてくれる本に
出会えることは、
何ものにも変えがたい喜びなのだ。
文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。