オリンピックが始まって私は「責任」について考えた(小林賢太郎とスモーカー大佐)
これから先も、おそらくしばらくは生きていくだろうこの世界に、とてつもなく息苦しさを感じる。それは何も四六時中マスクをつけて生活しているから、だけが理由ではないだろう。
十年前、大震災の時、私はまだ高校生だった。マグニチュード9.0のエネルギーが日本列島の表面を大いに揺さぶったあの時、家の食器という食器が破れ、窓の外の電線は跳ね回り、テレビの中では地獄のような光景が延々と映し出されていた。
学校の帰り道、線路を挟んで右側の電気は灯り、左側は街灯も含め全ての電気が消えた、あの光