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ネットポルノが脳を破壊するのか

『SPA! 2021 9月21日・28日合併号』(扶桑社)に興味深い記事があった。

「ネットポルノ断ちのススメ」と題された記事の中にはネットに溢れる過激なポルノ作品が、人間の脳に深刻なダメージを与えて「集中力の低下・鬱・ED」などの原因になるという。ネットポルノに触れた際に分泌されるドーパミンが脳の神経を麻痺させ、日常生活での無気力感を引き起こさせるのだ、と記事は語る。

 確かに心当たりがある。
 生来、真面目で品行方正、誰にでも優しく知的でエレガントだったはずの私だが、ここのところ無知な女の子が生に目覚めてしまう系の二次元えっち漫画を見ないことにはよく寝られないことがある。

 それもこれもTwitterで相互フォロー関係になっている人たちの中にやたらとエッチ絵をリツイートする助兵衛野郎が多いのが原因だろう。

 90年代初頭に生まれた私としても物心ついた時にはインターネットというものは確かに存在した。
 昭和生まれのおあにいさん、おあねえさんにおかれましては、エロといえば河原に落ちている平凡パンチか週刊プレイボーイ、デラべっぴんとかそのあたりになりましょうか。或いは親の寝ている間に深夜テレビで『11PM』をこっそり鑑賞したりなんてそんな感じのアナログエロエロだったのかもしれない。
 それと比べれば我々の世代は実に恵まれていた。性に目覚めるような歳の頃にはまさにユビキタスな社会で、いつでもどこでも見ようと思えばネットの海にエロが転がっているような時代だった。

 私の性の目覚めといえばまさにゼロ年代前半、NHKの教育テレビでやっていた『どっちがどっち!』という「ドラマ愛の詩」枠のドラマだったか、もしくはキッズステーションで見た『らんま1/2』。どっちにしろ男が女の子になっちゃう系の健全作品で、私の性は目覚めたのだった。

 ユビキタス。
『男 女 変身』『男 女 入れ替わる』『入れ替わり エロ』
 パソコンでチョチョイと検索さえすればまだ股間に毛も生えていない子供でもエッチなイラストや小説の作品群に到達することができたのが2000年代のインターネッツだった。

 そう「いつでも・見ようと思えば・見れる」それがかつてのインターネットだった。



 しかし、改めて考えてみれば今のネットは確かにあの頃とはだいぶ様子が違うかもしれない。

 ゼロ年代、あの頃は自分で検索しなければ自分の望むエロには辿り着かなかった。それは昭和世代がエロを探しに河原を探索していたようなものだ。エロを求めて河原へ行く、ネットの海を泳ぐ。規模は違うが似たようなモノだったろう。

 けれど、今はどうか。

 Twitterをひらけばわかる。タイムラインに流れてくる二次・三次問わない肌色の数々。望まずともエロが向こうからやってくる。
 私のようにエロに対してはプロテスタントよりもプロテスタンティズムな生き方を貫いている人間でさえもエロを目にしない日はない。たとえ自分からアクセスせずとも、SNSでひと繋ぎになった我々は、決して他人の性癖から逃げられないのである。

 平成の私はTSF(性転換)もののエッチ作品にしか触れてこなかったのに、SNSで人の性癖と繋がった今となっては、フォロワーのおねショタ属性の影響から逃れることなどできはしないのだ。あの頃は決して自分から見ることのなかった「年上のお姉さんが年下の男の子に性的なあれこれを教える」系の作品を嗜むようになってしまったのは間違いなく顔も知らないインターネッツの向こう側のフォロワーさんのせいだ。



 この世界にはエロが溢れている。
 というよりも性癖と性癖が数珠繋ぎになって世界を構築しているといっても過言ではない。

 あなたの性癖が私の性癖を変え、私の性癖があなたの性癖を目覚めさせる。

 互いのエロがリンクし、社会は作られている。


 かつてのエロはガラパゴスだった。
 私、家、友だち、学校。その程度の小さな島の中で、遠くのエロを知らないままに、各々が自分のエロを育んできた。

 遠くのエロとリンクする今と、それはだいぶ違う。

 かつては私の投げた石が、遠くの誰かの性癖を変えることなどはなかったが、私のエロとあなたのエロがリンクしてしまった今となってはそうもいかない。私の投げた石が周り回って誰かのエロを変えてしまうかもしれない。



 おもむろに私が四つん這いになり、鏡越しにガバリと尻の穴を広げた写真をSNSにアップするとする。
 それを見たあなたが何を思ったかリツイートする。
 すると、あなたと繋がっている小学生がそれを目撃する。
 わあ、なんて美しいんだ、と小学生が感動し、性癖が変わる。

 そういうことが普通にあるのが今の世の中だ。

 我々は自分のアクションが他人のエロを変えてしまうことを自覚せねばならない。

 そうでなくとも何気なく投稿した言葉、写真。どれだけ健全なモノであったとしても感じる方はそれをエロと感じてしまうかもしれない。思春期を通過している私たちにはそれは当然わかっていることだろう。木の鱗にさえ性的なものを感じてしまうのが人間というもの。誰が悪いでもない。人間とはそういうものなのだ。

 我々の一挙一動全てがエロに繋がっている。SNS時代とはそういう時代だ。



 ネットポルノが脳を破壊するか。



 失われた30年の中にある我々、テロや震災やコロナや貧困、暗い時代の中で生きる私たちはネットポルノが与えてくれるドーパミンでなんとか今日を乗り越えている。

 ああ、おっぱいが揉みたい。
 けど、揉めない。

 私がネットポルノを断つということは、この全てのエロが繋がった現代においては、社会との関係を断つことと等しい。
 私とあなたはネットのポルノで繋がっている。



 たとえ、脳が破壊されようとも私はネットポルノを愛し続ける。
 それが、世界を愛することと同じだからだ。

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