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『すずめの戸締まり』によって新海誠は宮崎駿を完全に超えたという話(ネタバレ感想)

もしも神さまがいるのならば、
お願いです。
もう十分です。
もう大丈夫です。
僕たちはなんとかやっていけます。
だから、これ以上僕たちに何も足さず、
僕たちから何も引かないでください。
神さま、お願いです、
僕たちを、
ずっとこのままでいさせてください。

『天気の子』(2019)

結論から言えば「見ようかな?」と悩んでいる人はまず観に行くべし。

正直な話、『君の名は。』(2016)までは私は明確な新海誠アンチだった。
『秒速5センチメートル』(2007)は「なんとなくムカつくし」、
『言の葉の庭』(2013)は「鼻につくし」、
『君の名は。』は「RADWIMPSのミュージックビデオみたいで発狂しそう」
と思っていた。

しかし、前作『天気の子』(2019)は最高だった。
個人的には間違いなく大傑作で人生ベスト級に大好きな作品。
劇場に4回は足を運び、ブルーレイで繰り返し何度も見直している。

あれこそが震災後の日本におけるいわゆる「セカイ系」の到達点だと断言できる。

新海監督は、「ポスト宮崎駿」として細田守監督と名前を並べて挙げられることが多い。
だが私にとっては『天気の子』によってはっきり大きく水を開けて現役最強のアニメーション監督であると確信するに至った。

「もう二度と細田守などと一緒に並べてくれるなよ」(https://note.com/sushi6343/n/n3fd5d93a607a
というのが私の所感である。

と、そのくらいの温度感で新海誠最新作『すずめの戸締まり』を公開日初日(2022/11/11)にTOHOシネマズ日本橋で鑑賞。
なお、事前情報はTwitterで拡散されていた「震災を思い起こさせる表現がある」といった文面以外はトレーラー等も含めて全く入れないで劇場へ足を運んだ。

結論:『天気の子』からの本作『すずめの戸締まり』によって新海誠は明確に宮崎駿を超えた。

きっと私は『天気の子』と同様に、ことあるごとに本作のことを思い返すことになるだろうし、実際に何度も繰り返し見ることになるだろう。

私は宮藤官九郎脚本の『あまちゃん』(2013)が「311後の日本人に対する最も成功した人間讃歌の物語」だと思っていた。

あれから約十年、本作『すずめの戸締まり』は「震災後に生きる我々が進むべき未来」を「肯定的」に描いた新たな成功例であると確信している。

以下、明確なネタバレも込みで感想を書いていく。

「あの日」を知っている日本人であるならば誰もが多かれ少なかれエモーションを揺さぶられるような作品であると思うので、
もし「見ようか見ないか」迷っているならば迷う間も勿体無いので見に行くべきであると断言できるので、すぐにGO。

『すずめの戸締まり』とはどういう話か

物語の骨格としては「清算できていない過去を清算していく話」
前作『天気の子』が「親離れをして自分のセカイを構築する=未来を作り上げる話」ならば、
本作『すずめの戸締まり』は「親離れをするために過去を清算していく=未来を選ぶ話」。

前作今作ともに、ストーリーの根幹には少年少女の「親離れ」のストーリーがあるように思う。

前作『天気の子』の主人公帆高は(心理的に)喪失した故郷の代わりになる「居場所」を見つける。そして、親代わりの小栗旬でも東京でもなく、最終的には世界の姿を変えてしまったとしてもキミ(=陽菜)と生きていくという小さなセカイを選ぶという、本当に心にぐっとくるエンディングを迎える。

いい悪いは置いておいて、『性的な接触』というのは、子供が親元から離れる(親離れ)という点においては絶対に必要な通過儀礼である。(筆者はまだその通過儀礼を通っていない)

『天気の子』でそれはラブホテルのシーンで抽象的に描かれている。
『すずめの戸締まり』においてはより直接的に「身体の上に座る・キスする」という具体的な肉体の接触として描かれる。

どちらも親離れの物語だ。

『すずめの戸締まり』は過去に鍵をかけていく物語。未だ清算できていない過去。自分の心に負わせてしまっている枷を取り除いて、生みの親、そして育ての親との関係を再構築し、未来へ向かって歩いていく旅の話。

確かに『311』という我々にとって到底忘れることのできないトラウマを扱っている作品ではあるものの、
未来へ向かって歩いていくことを描いた人間讃歌の物語であることは間違いない。

同じく「311」によって清算できなくなった過去を扱った作品に『やがて海へと届く』(2022)という佳作がある。こちらもオススメの一作。

震災後のセカイにおける。我々の心の拠り所を「過去」ではなく「未来」と定める。そういった意味では『すずめ〜』も『やがて海へと〜』も「明るい」作品だと感じる。

良かった点

本作は細田守が『そばかす姫』で、
そして宮崎駿が『ハウルの動く城』で、
それぞれ描こうとしていたヒロイン像の一番の成功例だと思う。

どれもロマンスキャラクター(相手役の男)の呪いを解くために行動をするヒロインという点では共通だが、
頭一つ飛び抜けて本作の「すずめ」というヒロインへの共感性が高い。

それは「(母を殺した)地震を防ぐ旅」を通して丁寧に二人のバディとしての仲を深めていく過程が描かれるからだ。

ヒロイン「すずめ」とロマンスキャラクターである「ソウタ」の関係は、「旅の仲間」であり、旅に導く「門番」であり、教えを説く「メンター」でありながら、重大な決断を迫る「敵対者」でもある。

これが『そばかす姫』のヒロインとロマンスキャラクターである竜との関係の「なんだかイマイチ納得できねえ」感じとの違いである、と私は思う。

二人の旅を応援しようという気持ちが湧いて、
それでいて二人の別れと、再開を素直に喜べる。

王道の「行って帰ってくる」旅の物語の軌道を使って、少女の葛藤と成長を描けている本作。
もはや細田守やジブリ作品以上に、子供も大人も楽しめる、明快なエンターテイメント作品だと断言できる。

結論

本作をもって、私は新海誠を現役ナンバーワンのアニメーション映画監督だと認識すると共に、
歴代のアニメ映画を並べてみても、前作『天気の子』と本作『すずめの戸締まり』は上位に来るという確信を持った。

『君の名は。』までの私のような新海誠アレルギーの人以外の「見よっかな、どうしよっかな」と悩んでいる人には間違いなくお勧めできる作品だ。

どうか躊躇せずに見てほしい。

私もあと四回は劇場に足を運ぶし、ブルーレイディスクは絶対に買う。

(抽象化した)あらすじ

(まだ一度しか劇場で鑑賞していないので、抜けや解釈違いはあるかもしれません)

1:平凡な日常
九州の港町に住む少女スズメは平凡な暮らしをしている。
ある日、廃墟を探しているソウタという男と出会う。
ソウタに不思議な縁を感じたスズメは学校ではなく、ソウタが向かった廃墟へと向かう。(境界を超えるシーン)

2:日常の崩壊
廃墟で謎の扉を発見するスズメ。導かれるようにして封印を解いてしまう。
それが原因によって日常が崩壊する。(脅威が迫る)
しかし、『日常の崩壊』にはスズメしか気がつけない。
崩壊の原因へ向かうと、そこには崩壊を止めようとしているソウタの姿。
彼に協力することで予期せず、『新たな日常』に導かれるスズメ。

3:冒険への誘い
ソウタの『使命』を知るスズメ。
それは日常に迫る『脅威』を排除すること。
しかし、ソウタは椅子に姿を変えられてしまう。
『日常の崩壊』を食い止めることが困難になる。
スズメとソウタは冒険に出ざるを得なくなる。(境界を越える)

(第一ターニングポイント)

4:使命の自覚
愛媛で再び『脅威』(=地震)を防ぐスズメとソウタ。
「やった、できた」と自分のしたことにはっきりと喜びと達成感を得るスズメ。(報酬)
スズメはソウタのしてきた『脅威』を排除するという使命は「大事なコトをしている」と他者との会話の中ではっきりと自覚する。

5:試練
一人で『脅威』を排除するという『試練』を受けるスズメ。
しかし、その家庭で死んだはずの母親の姿を見つけてしまう。(清算できていない過去)。
『試練』に失敗しそうになる。
が、ソウタの手助けによってなんとか成功する二人。(バディの仲が深まる)

6:報酬
『試練』を達成したことによって二人の仲は明確に深まる。
肉体的な接触。キス。

7:決断と喪失
スズメは『重大な決断』を迫られる。
ソウタかさもなくば世界か。
スズメは決断し、世界を選ぶ。
その『代償』として、ソウタを失う。

(第二ターニングポイント)

8:準備
ソウタを取り戻すための旅の準備。
死ぬのは怖くなかったが、ソウタのいない世界は怖いと自覚する。
髪を結え直し、一人で旅立つ。
仲間と合流し北へ向かう。

9:試練(2)
旅の途中でスズメは何度も『清算できていない過去』(311=母との別れ)と向き合うことに迫られる。
走る。
過去と直接触れ合う。

10:最終決戦
『清算できていない過去』と直接対峙する。
旅によって新たな価値観を得たスズメは『最終決戦』に勝利してソウタを取り戻す。
過去と『決別』をして、新しくなった世界に生きることを決める。

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