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挨拶さえできないカラス未満の大人たち まともにコメント欄も使えないクリエイター (note・常識の探求)

noteを書いている大人たちには、まともに挨拶さえできない人が多いです。挨拶をする機会が多いところはコメント欄です。そこで挨拶もなしに突然ぶっきら棒にコメントをされても、こちらは不愉快な思いしかしません。

昨夜私の記事にコメントをした某(ぼう)は、私の記事を全く読んでいませんでした。そして、挨拶はなく、記事とは全く関係のないコメントを書いてきたのです。

<追記>
某さんへ
私はあなた様を許します。私は決して鬼ではありませんので。
今後はできる限り気を付けて下さい。
しかし、今はまだ頭と心の整理ができませんので、
しばらくの間はあなた様をブロックさせていただきます。
いつかこのことをお互いに笑い話で楽しめるといいのですが・・・。
<追記ここまで>


今回は、挨拶とコメント欄について書きます。
非常に大切なことですので、最後までご覧いただければ幸いです。

なお、今日4月6日(水)から1日1投稿に変更しました。他に「やりたいこと」や「やるべきこと」が見つかりましたので、そちらに時間を割り当てることにしました。また、投稿時間は午後6時または午後8時を予定しています。今後も細々と投稿していきますのでよろしくお願いいたします。


カラス未満の大人たち

犬同士や猫同士でさえ出会った時に挨拶をします。少なくとも私にはそうしているように見えます。犬や猫よりも下等生物かもしれないカラス同士も、毎朝五月蠅く挨拶をしています。しかし、人間の大人の中には、カラス以下、いやカラス未満の低レベルの者が混じっているようです。

要するに、最低限のマナーのない大人が大勢いるということです。

そして、noteの大人たちも例外ではないです。

そういう大人たちは、もしかすると女性に多いかもしれません。おそらく社会人としての経験が全くないか、余程育ちが悪いのでしょう。ただし、今回はたまたま女性が二人続いただけかもしれません。

今朝もそんな最低の大人のコメントを発見しました。とても不愉快な思いをしましたので、理由を書いてすぐにブロックしました。


6日(水)朝に発見した不愉快なコメント

数日前に下の某女性の記事をマガジンに追加しました。私自身はそれさえも忘れていたのですが、6日の夜中に下のようなコメントをしてきたのです。


<ここにあった画像は、都合により削除しました。>


私はこの人を知りません。
お互いに全く知らない関係なのです。

一度も会話をしたことがない人間に、突然上記のようなことを書かれても怒りしか覚えません。結局、上の女性は自分のことしか頭にないのです。

その文章を書いた時に、投稿する前に「相手がどう感じるのか」に思いを巡らし、優しさや思いやりのあるコメントを心掛けることが大人の使命です。しかし、こういう基本的なことが全くできないのです。

さらに、コメント欄の上にある記事に関しては、全く触れていません。これもまた、非常に非常に非常に失礼な話なのです。記事を全く読まずに、記事のコメント欄にコメントを書くことが、どれだけ人を侮辱しているかが全然わからない最低の人間なのです。

こういう人間は、脳に異常があるのかもしれません。すぐに病院へ行った方がいいですよ、本当に。冗談では済まされない話です。

コメント欄の1行目には何を書くべきか?

人それぞれ考え方が異なります。ですから、以下は参考程度にご覧下さい。「これが絶対的な書き方だ!」とは一言も言っていません。

私ならば、「初めまして」や「おはようございます」、あるいは、「こんにちは」や「こんばんは」などの挨拶の一言を書きます。初対面で私が一番多い書き方は、「初めまして。上達の探求と申します。」です。

その次に書く文章は、「いつもスキありがとうございます」などの感謝の文章です。これで相手が気分を害するようならば、その方とは縁を切ります。今のところ、この書き方でいきなりブロックされたことはないです。

私はコメントをいただい時に、最初の三文を非常に重視しています。その三文で、その人の生きてきた蓄積を見ます。

最低限の常識的な蓄積を見るのです。

これでその方とのその後の関係が決まると言っても過言ではありません。

コメント欄の常識的な使い方を知らない恥ずかしい大人たち

コメント欄は記事に対するコメントを書くところです。

記事と全く関係ないことを書くことは、非常に失礼に当たるのです。それが全くわからない愚かな大人たちが大勢います。

昨日ブロックした女性は、過去に何度もそのことを本人に伝えました。他の見かねたクリエイター様も、そのことを書いてくれました。ですから、最低3回は伝えているのですが、三日、いや三分過ぎるとそのことを忘れてしまうのです。カラス未満のニワトリ並みの知性しかないのです。


不愉快な毎日を過ごしたくないので

昨日も今日も不愉快な1日を過ごしています。noteは自己表現を楽しむために始めました。しかし、非常識的なコメントのせいで、noteを楽しめていません。今もこの文章をイライラしながら書いています。そして、怒りを文章にぶつけています。

こんなことが何度も続くようならば、noteをやめます。
絶対に。
不愉快な毎日を過ごしたくはないので。

人生はそう何度もチャンスはありません。あまりにも自己中心的で酷い時には最初のコメントでブロックします。

以上です。
最後までご覧いただきありがとうございました。
また、いつもスキありがとうございます。


あとがきにかえて

できれば、noteの投稿は最低3年は続けたいです。3年という数字に特に意味はありませんが、それだけ続ければ何かが見えてくるかもしれないと勝手に思ったからです。

幸い、心臓の方は今のところ無難に動いています。この心臓がいつまで元気かどうかはわかりませんが、可能な限り自己表現を楽しみたいです。





追記

上で言いそびれたので追記で書いておきます。

日本の義務教育では徹底的に挨拶の教育を行ってきました。例えば、小学1年生の時には、授業とホームルームが終わりますと、「先生さようなら。皆さんさようなら。」の挨拶で終わりました。そこから、生徒の下校が始まりました。

家庭教育でも、母親たちが「おはよう」や「こんにちは」を何度も教えてきたはずです。

この挨拶の大切さが染みついていない大人たちには、怒りを通り越して呆れ果ててしまいます。

私はかつて教育関係の仕事をしていました。私塾です。その際に、どんな学力の生徒にも挨拶だけは徹底的にやらせました。そして、そのおかげで生徒たちには「挨拶」が体に染みついたと思います。

893の世界でさえ、あれだけ上下関係が厳しく、挨拶も徹底しています。893よりも劣るカラス未満の大人たちには、救いようがありません。

挨拶もろくにできない大人たちは、即刻、noteをやめるべきです。


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