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才能を勘違いした15年前


私は幼い頃から勉強が嫌いだった。学ぶ事に後ろ向きで特に算数なんかは毛嫌いしていて数字を見るだけで頭がクラクラしてきてしすぐに教科書を閉じてしまうような子供だった。
人より覚えるのが遅く何をするにも不器用で
鈍臭かった。

そんなある日担任の先生に帰り際呼び出された。クラスには先生の指導に率直に従う素直な生徒と反抗心剥き出しのいわゆる問題児生徒など、様々なタイプが存在するだろう。


私は間違いなく後者であった。
そんなわけで今日はどんなお叱りかなと
少し緊張しながら職員室の扉を開けると
担任の先生に一枚の紙を差し出された。

夏休みの宿題で私が書いた詩だった。
厳しく生徒達に恐れられていた先生が
たった一言、「素晴らしい」と初めて、
褒めてくれた。

なんの取り柄も無くお叱りを受ける生徒ナンバーワンだった私は褒められ慣れておらず拍子抜けしてしまった。その後先生に詩を添削され、その作品はコンクールで入賞した。出来上がった作品はあまりに初めに書いた私の作品と異なりいや誰の作品やねんと心の中でツッコミを入れながら表彰台に登った事を今でも覚えている。

それまで言葉について深く考えた事は一度も無かった。しかし自分の思うがままに詩を書き、誰かの心が動いた瞬間今までに無い感覚を覚えた。嬉しくて心の中がじんわりと温まって、どこか小っ恥ずかしい様な気持ち。


そして私は大学生になった。大学卒業が迫り卒業制作に取り掛かっていた。私のゼミではジャーナリストである教授のもと、「他者のライフストーリー」というテーマで特定の人物に取材をし文字起こしをしていた。同級生たちが次々と取材する人物を決めていく中、私はボーッとしばらく考えていた。そしてある一人の教師の存在を思い出した。

その教師とは高校2年の時に偶然再会していた。ヤンチャ代表で学校帰りは友人と二人乗りをしていた私だったが、ある日タイヤに足を巻き込まれ踵の神経を壊し9針縫った。

夏休みで友人たちが海やらバーベキューやらに出掛けている中、松葉杖をつきながら通院の毎日。やるせない気持ちで途方に暮れていると、待合室に座っていたお婆さんに突然声をかけられた。それがその先生との10年振りの再会だった。先生は私の通っていた高校の近くに住んでいるらしく、またいつでも遊びに来なさい。お菓子ぐらいならあるから。と連絡先を渡してくれた。

それからというもの、先生の事を特に気に留める事は無かったが

大学生の頃、ふと先生の存在を思い出し、先生の話を聞きたい。取材はあの人しかいない。と猛烈に引き寄せられ、いてもたってもいられず頂いた番号に初めて電話をかけた。

忘れられていたらどうしようと少し緊張しながら数回コールする。変わらぬ明るい声に安堵しながらゼミの卒業研究に協力してほしい旨を伝えた。

数日後先生の自宅を訪れた。厳しかった現役教師の頃に比べると柔らかい印象だったが、喋り始めたらあの頃と変わらぬキレッキレの毒舌だった。月日が経ち変わった部分も多かった。
それでも変わらぬ先生の温かい眼差し、淡々としている話し方に、ただそれだけでまぶたの奥がジーンとなったのを覚えている

取材は4時間にも及んだ。ひたすらに先生が産まれてから、現在に至るまでの歴史やエピソードを、猛スピードでメモを取りながらとにかく夢中になって話を聞き続けた。ザ・キャリアウーマンという印象の先生が、幼少期は引っ込み思案で自閉症を疑われるぐらいにコミュニケーションを取ることが苦手だったと知った。

先生を取材対象として、協力を依頼したのは、15年前先生がくれた何気ない一言が何年経っても、間違いなく私の前を向く糧や、自信、潤いであり生き続けていたからだ。23歳になった今でも、日々思い出す大切な言葉だった。何者にもなれず胸を張れる事が何一つ無かった自分に降り注いだ一筋の光だった。

4時間の取材を終えて分かった事がある。先生にも、先生の人生を大きく変えた「教師」がいた。実家が裕福では無く進学する同級生も少なかった時代で当たり前のように卒業後は就職を考えていた先生の自宅へ、当時の担任教師が押し掛けてきて、両親に向かって「この子は進学させるべきです、この子は賢い、学ぶべきだ」と強く主張した。

漫画の世界かと思う展開だが、本当にお金に困っていたご両親は教師の想いをかって、飼育していた動物を売り教育費にあてたそうだ。

まず、牛を自宅で飼っていたことに驚きを隠せない。その教師の想いもあってか、教員を志したという。

汚い言葉や罵声を浴びせられいつまでも鮮明に思い出し深く傷ついた経験、心温まる一言を何度も思い返し笑みが溢れる経験、誰しもあるだろう。

無事卒業制作が終わり、就職活動を始めた。乏しい文章力ではあるがあの頃の一言が私をいつまでも誇らしく勇気づけてくれた。先生に救われたように、烏滸がましいが自分の言葉で誰かの人生を少しでも色付ける事ができたら、、

そんな想いで広告会社に入社をした。正確には求人広告会社である。楽しいことばかりではない。数字に追われ「人対人」という事を忘れて理屈ばかり並べてしまう一日もある。売上金額にしか目がいかず、本来の目的を忘れかける自分に嫌悪感を覚え、全てを投げ出したくなる一日もある。それでも書くことを辞めずにいられるのは、間違いなく15年前のあの日、先生と話した放課後があったから。



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