砂噛匙拾(すなかみさじひろう)

砂を噛むようなできごとも スプーン人匙の🥄喜びでまぎらわせるかな。 音楽や表現、コミュ…

砂噛匙拾(すなかみさじひろう)

砂を噛むようなできごとも スプーン人匙の🥄喜びでまぎらわせるかな。 音楽や表現、コミュニケーションのことを綴る雑記帳。

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最近の記事

マイナスを埋めてもらうだけじゃ良いものできないわ

尊敬するセンパイのイベント。 毎回毎回、お客さんいっぱい入ってて 演者も含めてすごい楽しい時間だった。 なんか胸が熱くなるんだよなー。 グッとくるのはなんでだろ。。。 Liveはもちろんとてもよかったんだけど、久しぶりにMくんと会ってバンド談義してたときのこと、書き残しておこう。 みんなそれぞれソロでもやってて、あたしもソロでやってた時代のこと。 ソロ活動はだいたい一年。 なんでソロでやろうと思ったのかー。 っていう話になって。 それまでの自分は、知識も技量もないくせ

    • 「うつ病は伝染する」の理由は「ごめんなさい」にあった

      うつ病は周りの人にも伝染する。 実感として、それわかるなーという感じ。 薬や天気によって症状が毎日変わるから、本人の体調に周りが振り回される。 けど、それだけじゃないなと思った。 原因て「ごめんなさい」にあるんじゃないかな。 家族がうつ病になって、「ごめんなさい」っていう言葉が自分に投げかけられることが増えた。 事あるごとに「ごめんなさい」。 きっと本人からしたら、「自分ができないばっかりにやらせてしまって申し訳ない」とか「重荷になってごめん」とか、自分の不甲斐なさか

      • 「大丈夫」がほしかった私と、ネガティブケイパビリティ

        崖っぷちでギリギリ踏ん張っている人に正論とか対策は必要ない。 ただ「大丈夫」の一言がほしかったんだ。 支えたいと思う人に対して、そしてその人がいまにも倒れそうで助けを求めている時、みなさんはどうしますか。 どんな声をかけますか。 私は、「大丈夫だよ」と言ってほしかった。 パンパンに膨らみ切った風船が破裂しそうで、そのときはどうしても落ち着く必要があった。 そう言ってほしいとわざわざ口に出して伝えたのだけれど 「『大丈夫』という言葉に責任が持てないからそんなことは言えない

        • ゼロベースで創作したい

          作品をつくる、とか 何かのため、とか 誰かのため、とか そういうことじゃなく、何のためかわからないけど溢れてきたものを「言葉」なり「絵」にしたい。 それが日の目を見るかどうかわからない。 何かを作る時、例えば曲を作る時 小説や映画、アートとかのモチーフがあって、そこからインスパイアされて歌ができることもある。 それはそれでいい。 でも、自分の泉が枯れていると、何を見てもうまく言葉につながらなかったりする。 言葉にしたいのに、「なんていう感情だっけ?」ってなる。 考える前

        マイナスを埋めてもらうだけじゃ良いものできないわ

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        • すきまが
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          コンセント さしても充電されないが 窓辺にてさす秋の茜陽

          あぁ、もう充電切れそう。 コンセントにさせば充電できるスマホが羨ましい。 職場でのゴタゴタ、恋人とのすれ違い、家族の心配ごと、、、 ダメな時は重なるもので、虫に刺されただけでもダメージを受けてしまいそう。 何をしても楽しいと思えず、愚痴ったら愚痴ったで何倍もになって返ってくるのかと思うと、ためらってしまうし。 HPほぼゼロカウントの状態でぼーっとしてるうちに、気づけば秋。 窓辺からは茜色のヒカリが差し込んでいました。 季節は変わってゆく。 人も変わってゆく。 同じ日な

          コンセント さしても充電されないが 窓辺にてさす秋の茜陽

          柔らかい大人になるために

          大人になってずいぶんと時間だけが経ってしまった。 大人ってなんだろう。 オトナ。おとな。 いろんな現場で自分が1番年上という場面も増えた。 今の若い人ってすごいね。 ちゃんとたててくれる。 謙遜とかでもなく、先輩として、こんな不甲斐ないブレてばっかのオトナのわたしを。 わたしから見たら、もう君たちの成長っぷりがすごすぎて自分がとてもちっぽけに思ているというのに。 というような話を飲みの席で先輩に話した。 「いやぁ、ほんと今の若い人たちすごいよね。純粋に尊敬しちゃうから

          【自由詩】ジャム

          瓶の底に残ってどうしてもすくえないジャム 靴の中にはいった小石 人差し指にできたささくれ ずれた三拍子 不確かな足取りのまま 僕の知らない夏が終わった ひっかいて滲んだことば 使い古されたタオル あからさまな賞賛を得たいがため またかさぶたをはがす 歪んだ太陽が沈んでゆく 僕の知らない夏がおわった

          「長く続けることに意味がない」はウソ

          週末ライブを見に行った。 10代の頃からずっとバンドをやり続けてる先輩の。 「売れたい」「売れない」とずっと言いながらもやめられないから続けてる。 そんな姿を、笑う人もいるよね。 「いい加減見切りつけて新しいことしたらいいのに」とか。 きっと言葉で言われなくとも、周りのそんな雰囲気を肌で感じてしまうこともあっただろうな。と思う。想像だけど。 実際、30代にもなるとみんな結婚して子どもができて、「夢ばっか語ってられない。音楽なんてやってる場合じゃない」ってなる人が多いし、

          「長く続けることに意味がない」はウソ

          【自由詩】不確かなジャム

          瓶の底に残ってどうしてもすくえないジャム 靴の中にはいった小石 人差し指にできたささくれ ずれた三拍子 不確かな足取りのまま 僕の知らない夏が終わった

          “欲しい欲しいオバケ”とネガティブケイパビリティ

          「真夜中の読書会〜おしゃべりな図書室〜」というポッドキャストの過去回を聴いていて、「いまそれ!そこ!」という話が流れてきた。 ネガティブケイパビリティとは、簡単に言うと“マイナスの状況に耐える力”みたいなことらしい。 あー、いま、その力欲しい! と思った。 心療内科医が書いた本を紹介する流れの中で出てきた言葉「ネガティブケイパビリティ」。 ポッドキャスト内では、 「宙ぶらりんの状態に耐える能力。答えをすぐに求めがちだけれど、耐えた先には深い理解が待っている。未来に希

          “欲しい欲しいオバケ”とネガティブケイパビリティ

          【散文詩】きょうのもよう

          特急に乗って 猫から離れないハムスターを見て 涙がこぼれる回数を数えようとしても コーヒーカップの揺らぎに負ける どうしようもなく泥の中にいて AIにはできないであろう愛嬌を習得するすべを探している どうしようもなく虚無のなかの 虚なのか無なのかもわからなくなるのだけれど アナログな回線をまとって金魚が散歩して ウサギが飛び跳ねる夢を見た 飛び起きたのは漆黒の朝 即時型アレルギーの末端に位置する地球儀 荒れ狂う波にバスタブが浮かんでいる

          なぜかB型がついてまわる

          血液型ですべてを語れるわけじゃないと思ってる。たった4種類で人間が分けられるとは思っていない。 だけど、やっぱりそれぞれの特性ってあるのかなーと思った話。 わたしのまわりにはなぜかB型が多い。かく言うわたしはO型だ。 そんなO型のわたしから見たB型の特性はこうだ。 楽観的 気分が乗らないことは絶対やらない 1人の時間を満喫できる 気分屋 芸術家 動物が好き 好きなモノ、コトがずっと同じ ざっとあげるとこんなところ。 ほんとにみんなそう。 わたしはあれこれ不

          1年の終わりが近づくとなんで焦るのか

          もう2023年の終わりが見えてきた。 こうなるとなんでか気持ちが焦る。 「年内にあれやらなきゃ、これもやらなきゃ」 なんで5月や6月にやっておかなかったのか、、、。年明けは寒いし、梅雨時期は雨だし、夏は暑すぎるし、とか言ってる間に、もう年末が近づいてくる。 まだ時間があると思って、先延ばしにしていたものがもう期限が切れてしまう、そんな気分になる。 「あれもこれも」と思っているものを思い浮かべると、「歯医者に行こうと思ってた」とか「あの店のカレーうどんを食べに行こうと思っ

          1年の終わりが近づくとなんで焦るのか

          「小さい頃から好きなものが変わってないの」という人に嫉妬してしまう

          「好きなものはなに?」と聞かれて答えにつまる。 お菓子が好きだし、音楽も好きだからやってるんだし、本も好きだ。 けれど、「好き」って言ってもいいのかな?と躊躇する。 わたしにとって「好き」とは、時間を忘れて没頭することだったり、疲れていてもそれがあれば元気になれる、とか、逆に好きなもののためならヘトヘトになっても構わない、というような“真剣さ”がないとダメなんじゃないかと、たぶんそう思っている。 「すでに知っていること」に冷めてしまう わたしの友人は「小さな頃から好きな

          「小さい頃から好きなものが変わってないの」という人に嫉妬してしまう

          線なら描ける。から始まった作品づくり

          わたしの周りにはアートに精通した人がたくさんいて、それは素晴らしい作品をどんどん生み出している。 わたしは、というと幼稚園の頃 みんなでニワトリを描きましょう的な時間があって、好きな色で塗ったら先生に「ニワトリは白でしょ」と言われたことをキッカケに、絵が苦手、アートが嫌い、となった。 その後も、地面から生えている木がまっすぐ描けないとか、(たぶん水平とか垂直が頭で分かっていても描けない) いろいろあって苦手意識はどんどん募っていった。 当然、美術館なんていかないし、自分

          線なら描ける。から始まった作品づくり

          リヒター展で何が変わったのか

          ゲルハルト・リヒター展。 はじめてアートが存在する意味を考えた。 もちろん自分なりの解釈だけど。 抽象画のなかに自分のカケラ(自分とリンクするもの)を見つけた。 これは、あたしのなかのドロドロしたものと似てるなとか、あたしの血と肉みたいだな、とか。 そうなると、作家が何を表現したかったのか、何を問いかけてるのか、みたいなものを考えるようになって。 そんなこと、完全に理解できるわけないんだけど、それを考えること=自分と向き合うこと、のような気がして。 それを見て自分のなか

          リヒター展で何が変わったのか