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「小さい頃から好きなものが変わってないの」という人に嫉妬してしまう
「好きなものはなに?」と聞かれて答えにつまる。
お菓子が好きだし、音楽も好きだからやってるんだし、本も好きだ。
けれど、「好き」って言ってもいいのかな?と躊躇する。
わたしにとって「好き」とは、時間を忘れて没頭することだったり、疲れていてもそれがあれば元気になれる、とか、逆に好きなもののためならヘトヘトになっても構わない、というような“真剣さ”がないとダメなんじゃないかと、たぶんそう思っている。
「すでに知っていること」に冷めてしまう
わたしの友人は「小さな頃から好きなものが変わってないの」といつも言っている。
海外のアニメ、F1、ゲーム、音楽や映画。
やり続けられるものなら、1日じゅうだって1週間だってずっとやってられるそうだ。
同じ映画、同じアニメを何度も何度も見て、その度に幸せな気分になれるという。
なんとうらやましいことか。
わたしは、同じものを2度見たり読んだりするのが苦手。もう内容わかっちゃってるじゃん!て冷めてしまう。
1日24時間のなかで、もうわかっていることをまたやる、ということがなんだかもったいないと思ってしまう。
どうせなら、知らないことやりたいし見たいし。
とはいえ、何が好きかイマイチわかっていないから、レンタルDVDもサブスクも何を選んだらいいのかわからない。
音楽も好きだけど、ないならないで生きていける、とも思っている。(音楽作ってライブとかもやるくせに)
そんなスタンスだから、「音楽好きです!」ってキラキラした目で音楽談義とかされると、わたしにはとても入っていけないなとか思ったり。
わたしのまわりの音楽好きな人は、ほんとにずっと音楽聴いてるし、つぎ込むお金も半端ない。Liveもしょっちゅう見に行って、SNSにレビューもあげている。
そんな人ばっかのなかにいると、「好き」なんて言っちゃいけないよな、とか思っちゃうんだよな。
だって、わたし音楽聴かない日もあるし。
中学のときからずっとバンドに憧れてたし、追っかけてるバンドもいたから、あの頃は「好き」と言えたかもしれないけど。
寝るのも忘れて本を読み耽ってた時期もあったっけなー。けど、やっぱりこれも何度も読み返すようなことはしないから、内容を聞かれても語れるほどの感想も残ってなかったりする。
「好き」とは、好きゆえに何度も繰り返して味わいたくなったり、さわりたくなったり、きっとそういうもの。
「すでに知っているもの」に冷めてしまう性質の自分には「好き」なものはこの先あらわれないんじゃないかとすら思ってしまう。
「好き」のハードル
たとえば、自己紹介で「好きなもの」を発表して、「あなたコレが好きなの?わたしも!」とか話しかけられたとして、その人と同じくらい、もしくはそれを上回る熱量で「好き」を語れるだろうか、なんて考えてしまう。
別の友人に話したところ「好き」のハードルが高いんじゃないの?と言われた。
もっと単純に「好き」って言っていいんだよ、と。
たしかに。
「好き」にレベルなんてないんだし、そもそも基準は自分にあるはずなのに、まわりの人と比べた熱量で好きかどうかを判断するのはおかしいよな。
正々堂々「好き」と言えればいいのだけれど、毎回躊躇してしまうのです。
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