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愛情の飢餓が離れない自分が思う愛情の伝え方



愛情についての考察をしてみる


私には、愛情を欲してしまう自分がいる

結婚して、家庭を持ち、子どもに恵まれ、友人にも恵まれ、
やりたいことが出来、不自由なく過ごしている
これといった問題もなく、むしろ幸せといえる環境で暮らしている

私自身も幸せに暮らせることに、感謝をして日々過ごしている

それなのに……
どうしても消えない気持ちが私の体の奥底で、息を潜めて眠っている
自分の中に潜むその想いは、消えることがない

私の中で眠っている、飢餓の私を抱えながら生きている
それを感じないようにして生きている


たくさんの愛に囲まれている
愛情を感じることができて
幸せを感じている

それでも……

それとは別のものが
どこからか
渇き切ったカラカラになった何かが
水を求め、潤いを求め、満たされることを待っている


どちらも愛情なのだけど
どんなに注がれたとしても
小さな頃に刻まれた飢えた自分の心は消えない……

何かに変わるものではない
上書きされていくものではない

それはトラウマのように
体に刻まれて離れない


私の母が、私に愛情がなかったわけではない
母は母なりに一生懸命やっていた
ただ、鈍感だった
あるいは、共感する力が足りていなかった

母が、私をどこまで理解していたのかはわからない……
理解しようとしていたのかもしれないが
母はその方法を知らなかったのかもしれない

そんな風に、たくさんの視点で考えることができても
頭で理解したところで
体に刻まれた記憶は消えないのだ……

幼少期の母親の存在は絶対的なものだ
自分の生死に関わるほどに脅かされるものともいえる
何気ない、母の言動に
小さな子は、生死を脅かされるほどの恐怖を味わっている

だからこそ

母親の表情、声、態度、眼差し、愛情は大事だ
出来事に対しての反応、フォロー、安心を与えることは大切だ


私には、注がれている愛情と過去の飢餓の愛情の区別と自覚があっても尚、

渇いて水を欲している自分を感じることがある
それと向き合うことが
私の課題になっている


一言に、愛情というけれど

その愛情は、独りよがりのものですか?
相手が幸せに感じるものですか?


上書きできる愛情などないと思っている

その時の出来事に

どのように愛情をかけることができるかだと思う

その瞬間を真摯に向き合えることが

一番の愛情なのではないのだろうか……


上書きできない愛情を感じる自分がいる

だから、私は、瞬間を向き合う

愛を注ぐことを目指す




愛情はそれぞれだ

あなたの考える、愛情はどんなのもですか?



私は、その瞬間を向き合う

あたたかな愛を与えられる人でありたい……




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