もっとわがままに生きていい
「風俗嬢の収入を捨てて会社員になった理由」というnoteでも ちらっと書いたのですが、私は時間に縛られることが苦手。
予定をびっしり組むことも嫌いだし、「今週の日曜空いてる?」というお誘いを受けても、「当日になってみないと行きたい気分になるかどうか分からない」なんて思ってしまう。世間ではこれを「わがまま」や「気分屋」と呼ぶらしいので、これまでに何度か悩みのタネになった。自分はわがままで、人様に迷惑をかけてしまうのかもしれない。そう思うと人と関わることは億劫になっていく。私がひとりの時間をこよなく愛するのも、こういった性質のせいなのかもしれない。
仕事に関しても「時間」という概念が苦手。これはタイムキープができないとか、スケジュール管理ができないとか、そういうのとはまた違う。「何時間働いたか」よりも「どれくらいの作業をこなすか」ということに重点を置く方が好きで、その為の時間管理はいとわない。
そんな私も週5日8時間働く生活が5年ほどになり、いよいよ「もういいかなあ」と思うようになった。もういいかなあ、っていうのは、「もうそろそろ8時間働く生活をやめてもいいかなあ」という気持ち。
大学を出たあと就職をせずに風俗嬢を続けることもできたし、パトロンからお金をもらって生活することもできたのだけど、その道を選ばなかったのは「経験する」ことが大切だと思ったから。
週5日も働きたくない、1日8時間もデスクに座りたくない、通勤ラッシュに巻き込まれたくない・・・そう思っている気持ちは今も昔も変わらないけれど、経験もせずに否定するのはおかしい。それは「風俗嬢」を「汚い」と言う人と同じこと。やってもいないことを否定する、そんな大人にはなっちゃいけない。自分がやっていないこと・できないことをしている人は、みんなすごい。私はそう思っているから。
高卒で居るより大学に行くべきだとか、大学を卒業したら働くべきだとか、「~すべき」みたいなことって、世の中には実はひとつも存在しないのではないかと最近は思う。
もちろん人を傷つけてはいけないし、生きていくのにお金は必要だから稼がないといけない。でも、その方法は「大学に行く」とか「大企業で働く」とか、そんな小さなスケールでは、とても語りきれない。
私は「どうして週5日も働かないといけないの?」「どうして好きなことをする時間より、仕事をしている時間の方が長いの?」と常々疑問だった。自分がそれを望むのならいいけれど、望んでいないことを無理やりやるなんて、それが「社会人」で「立派な大人」だなんて、とんだ固定概念。そうするしかなかった大人たちが提唱しているだけで、一種の苦労をバケツリレーで引き継ぐみたいで、なんとも言えない気持ちになる。
きっと何年かすれば8時間労働は黒歴史になる。そう信じてやまない。
でも世間では「8時間働くのは当たり前」で、それを嫌だと言えば「甘ったれるな」と言われる空気が満載。外国に行くことも何度か考えたけれど、私は日本が好きだし、なにより英語よりイタリア語より中国語より日本語が好き。日本語は美しい。だからそれに触れていたい。
働き方について諸々考えていたある日、職場の先輩とランチを摂った。
その先輩は周囲から「変わり者」とよく言われていたけれど、古臭い伝統がまだまだはびこる職場で新しい発想を生み出す姿はかっこよかったし、このご時世では稀有な喫煙という共通の趣味があったから、私はとても慕っていた。
話を聞く。相槌を打つ。好きなものを引き出し、それについて話す。
人と話す時、ほとんど無意識に私はこうしている。風俗嬢というキャリアで培ったそれらは、会社員になったあともたくさん役立った。でもそんなことは「うわべ」だった。本当はだれだって自分の話を聞いてほしいものだし、自分の信念や意志に共感してくれる人をいつだって求めている。もちろん、私も。
この日もいつも通り「相手の話を聞き、さらに話を引き出す」というルールのもと会話をするはずが、慕う先輩の前で私は少し無防備だった。
先輩は私に休日の過ごし方を問うたので、冒頭の【約束をしたり予定を組むのが苦手】という回答をし、「世間ではこれをわがままと言うのですね」と笑いながら言った。
この時 先輩が私に返した言葉を、たぶん死ぬまでずっと忘れない。
「わがまま、上等です。俺たちは世間のために生きているわけじゃない。」
先輩は明るく強くこう言ったので、私はケタケタ笑ってしまった。確かにそうだ。私は世間の為に生きてない。きっと、「8時間働くべきだ」と思っていたのは世の大人でも誰でもない、私自身だった。自分が作った「世間体」という波に、ぶくぶく溺れていただけのこと。
それから私は、やりたいことをどんどんやった。
やりたくないことは、全部はやめられないから、ちょっとだけやめた。
自分の気持ちに正直になることがわがままなら、わがままでいい。なにも怖がる必要はない。「敵」に見えるものは全て、虚像みたいなものだから。
やりたいことを突き詰めたら、完成したのが「ましゅまろ すみれ」だった。そしてこのnoteを始めた。
いつだって、新しいことはわがままから生まれる。だれもやっていないことは好奇の目に晒されるけど、気づけばそれがスタンダードになる。
いつか私が8時間労働を脱ぎ捨てられたら、それは私の記事を読んでくれている皆さんのおかげかもしれません。いつも読んでくれてありがとう。そんなこと思いながら、今日も書いています。
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大好物のマシュマロを買うお金にします。