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凪の人、山野井妙子さん/Today is 彼女たちの山

【Today is 彼女たちの山/本日発売】

2023年3月14日に出版した『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(柏澄子著、山と溪谷社刊)を紹介するシリーズです。
出版前に20日間かけてSNSなどで拙著に登場する女性たちを紹介したものを、ここに再録します。

『彼女たちの山』は、山野井妙子さんのストーリーから始まります。ヤマケイ連載のときもトップでした(連載時より大幅加筆)。
インタビューは、彼らが伊豆に引っ越す直前、奥多摩の家で。1泊2日をかけて、10時間近く録音を回しています。けれど、妙子さんは過去の登山にそれほどこだわりがなく、忘れていることも多いので、「えー」とか「うー」とか言っている時間も長く、正味はどれほどなのか。

マカルーのあと、ギャチュンカンから生還後、さらに手の指を切断した妙子さんに合わせて
旧知の溝渕三郎さんMIZO)が、アックスの手持ちする部分を削ってくれた

横で夫の山野井泰史さんが、「妙子、あの時のことだよ」と促してくれます。けれどそれでも埒が明かなくなり、とうとうこれまでのパスポートを全部出してもらいました。
パスポートを見ながら、海外登山の履歴を追っていきます。
ふたりともモノにもこだわりがないので、引っ越しの際にあれこれ捨てるのだと言いだし、「〇〇と◇◇、それと▽▽も必ず取っておいて」と言ったものです。

いまでも自宅に飾ってある写真。右のテントの中の山野井夫妻は、ポーランドの登山家
ボイティク・クルティカが撮影したもの

本書の校正のうち最後の2回は、ヤマケイに行き、編集の大武美緒子さんと版元編集の神谷浩之さんと3人で、それぞれ丸一日かけて行いました。神谷さんがゲラを指さし、「わかりづらい」というのです。
妙子さん達がギャチュンカンから命からがら下山し、カトマンズに帰るときの国境越えのシーンです。
チベット側がダム、ネパール側がコダリという町で、友好橋という橋がかかっています。私はココを越えたこともあるし、チベットで登山をするときに国境まで荷物を取りに行ったことがあるので、まざまざと景色が目に浮かびます。
けれど読者の多くは知らないだろうし、神谷さんの疑問は小さいながら、確かに……と思うものでした。

そうなると解決するためには、妙子さんに細部を聴きなおさなければなりません。すぐに電話をかけます。
そんな作業を繰り返していました。

妙子さん夫妻と友人づきあいが始まったのは、ギャチュンカンの少し前からでした。同じタイミングで、私がギャチュンカンの隣の山(チョ・オユー、中国チベット自治区、8201m)に登りに行ったのも、きっかけだったかもしれません。ギャチュンカン後は、多くの時間を共に過ごしました。その時のことはほとんど書かなかったけれど、妙子さんの人柄を知った時間でもあります。
友人の人生を本に書こうと思ったことは、これまで一度もなかったけれど、ヤマケイの勧めで連載のトップにし、思いのほか妙子さんが取材を快諾してくれ、とんとんと進みました。

ここに掲載した写真のうち、妙子さんが写っているのはご本人から預かりました。本書に載せられなかった2枚です。それ以外は私が撮ったもの。ひよこ岩の写真自体も私が撮りましたが、テントの中の二人を撮ったのはクルティカだそうです。

四川で未踏峰の山を眺めながらのトレッキングの旅をした時の一コマ。福岡銘菓の「ひよこ」に似た形だったので、「ひよこ岩」と名付けた。登るのは泰史さん、スポットは妙子さん。ボルダリングマット代わりにした布団は、四川の山奥の村で購入(筆者撮影)。

チョ・オユー南西壁スイス・ポーランドルート第2登は、まちがいなく世界的な記録です。
けれど読者の皆さんにはそれだけではなく、妙子さんの言動に共感したり身近に感じたり、自分の胸の中に大切にしまうものがあることを、願っています。

遠藤由加さんと登ったチョ・オユー南西壁ポーランドスイスルート第2登は
世界の登攀史に残る記録

本書に登場いただいたのは50人余り。その倍以上の方々に取材にご協力いただきました。ありがとうございました。
小さな本にまとめ、書けなかったこと、人がたくさんです。
そんなまだ見ぬ人たちに出会いに、この先も執筆を続けようと思います。

今回の連投に、お付き合いいただきありがとうございました。日めくり投稿は、これにて終了です。
けれど、これは終わりでありはじまりでもありました。
その後、紆余曲折はありましたが、妙子さんが快諾してくださり、妙子さんの半生を描くための取材が始まりました。
琵琶湖のほとりにある彼女の実家は10数年ぶりに訪ねました。
夫・山野井泰史さんのお父様にも久しぶりに会いに行きました。
彼女の幼馴染や親友たちにも会いに行きました。
彼女に大きな影響を与えたであろうクライマー達の幾人かは他界しており、彼らの妻や家族を訪ねました。

妙子さんの半生を描く連載は『凪の人 山野井妙子』というタイトルで、3/14発売の『山と溪谷』より開始しています。
初回は、妙子さんのいまを書きました。
妙子さんの本を作りたいと言ったのは、『彼女たちの山』を編集してくれた神谷浩之さんです。神谷さんと二人三脚、新しい旅を始めました。
読んでいただけたら、嬉しいです。

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社、3/14発売)

「俺たち、相当やばいんだろうな」雪山で遭難した夫妻はとうとう荷物を捨て…リハビリの妻が無言で包丁を握るまで
『彼女たちの山』#1 →文春オンライン

「3回死んでいてもおかしくない」両手の指をほとんど失い、壮絶な登山を経験した女性が“生き延びたワケ”
『彼女たちの山』#2 →文春オンライン


いま気づきました。4年前の今日、妙子さんの記事を書いた(連載)と投稿していました。『彼女たちの山』を本にするのに3年もかかってしまいました。
妙子さんの本が出来上がるのは、いまの連載を終えたからです。
いったいいつになることやら。精一杯、書き続けます。


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