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#047学芸員、研究者の仕事をするには、何が役に立つのか?

 今回は、近く高校生を前に、学芸員や研究者のお仕事とはどのようなものか、ということについて講演をするので、その整理を兼ねて書いてみました。講演に際して事前の質問があり、若い頃にはどのような意識でいたことが現在の役に立っているのか、などを答える必要があり、これからのために何をすればいいのかという視点で、若い頃にどんな意識でいたのかについて少しご紹介してみます。

 学部生のころ、ちょうど戦後50年の節目の年にあたったので、大学のゼミは近現代史のゼミを選択する人が結構多く、筆者はの所属する大学では、まるで高校の1クラス分のような様相を呈しました。そのため昭和の事象についての卒業論文を書く同級生が多かったです。筆者は、高校時代に司馬遼太郎の小説を愛読していたこともあり、明治維新に関わる研究が出来たらいいなと思い、近現代史のゼミを選択しました。前回の「どうすれば古文書が読めるようになるのかー続・AIに古文書は読めるのか?」にも書いた、霊山歴史館に通い詰めていたのもこのころに当たります。筆者は一年浪人して大学に入学したので、浪人の期間は受験勉強をしていたこともあり、一年間好きなことを出来ずにいたという状態でしたので、大学に入学してからは好きなことを思いっきり出来るということで、非常に期待に溢れていました。しかし、個人的な問題として、自身には非常に知識が乏しい、見識が低い、という引け目を持っていたので、それをどうにかしようと考え、学生生活の中でいろいろと自分に義務を課しました。それらは、毎週一本は映画を見る、毎週一箇所は博物館、美術館、ギャラリーで展示を見る、より多くの人に合って話を聞き、交友を持つ、といったものでした。これは、何せ自分では物を知らないなと痛感したためで、実際にこの映画を見た、この絵画を見た、という実体験があれば、少なくとも自身の見聞きしたことについては実感を持って語れるので、そういう蓄積を意図してのものでした。また、人との付き合いについては、自身のみの知識や経験で物事を判断、解決するのではなく、いろいろな人との交流の中から、門前の小僧ではないですが、耳学問をする、あるいはいざとなれば自分よりもより専門性の高い友人に助けてもらう、ということも意識してのものでした。これらは結果として、前回のお話に書いた通り、インプットしていないものはアウトプット出来ない、ということにもつながっていきます。個人的には、非常に読書の速度が遅く、論文一本を読み終えるのにいつも二時間ほどかかってしまうので、どうしても物理的な速度を上げて読書量を上げるということには限界があるので、読書はするものの、それ以外の知識、経験の仕入れ方の方に工夫を凝らす、という方向で学部の4年間を過ごしました。

 そのころのことですが、実際に体験した一例を挙げたいと思います。筆者が学部生だったころ、京都近代美術館にフォービスムの展覧会が大々的に行われました。その時に展覧会を見に行ったのですが、展示されている絵画を、画集で見るのと現場で観るのとでは大違いなことに驚きました。それまでは同じ「ものを見る」という行為なので、それほど現地で見る有用性というのを気づかずにいたのですが、画集や写真などでは判らない、絵の具の盛り上がりなども利用して絵画表現をしている、ということに現地で実際に絵を見て気づきました。確か、モーリス・ド・ヴラマンクの作品だったように記憶しています。勿論これは平面の絵画表現としてどうか、という問題点ははらんでいますが、画集や写真などでは絶対に気づかない、現場でしか気づけないポイントになるかと思います。この時に実際に現場で物を見る大事さ、現物の持つ力というのを知り、痛感させられたことをよく覚えています。このことは、インターネットなどが広く普及した現在においては、広く、多くの情報が簡単に得ることが出来、移動時間などを割愛したりすることで省力化されることがままあるかと思いますが、現場、現地でしか得ることが出来ない知識、現物の持つ力といえるかと思います。

 一日の時間に限りがあるので、人との付き合いでの耳学問も重要になってきます。筆者はそれほど人付き合いが良い方とはいえないのですが、飲みの席などでの話を聞いて、この人はこういう特技があるんだ、こういう方向性に興味があるんだという情報を仕入れることに注意を払うようにしています。そのことで、自分では解決出来ないような問題に当たった時に、その分野での得意な人に助言をもらう、あるいは助けてもらうということも可能になります。以前に「棚から牡丹餅で研究テーマが決まる?ー論文執筆、落穂ひろい」でご紹介した戦没者慰霊碑の話で、ある地域では南北朝時代の、南朝方の史跡に慰霊碑があるという特徴がありました。これは恐らく後醍醐天皇に対して忠誠をつくした功臣に関係する史跡に慰霊碑を建設することで、その戦没者に対して国家への功労者であるという評価を与えることにあたると考えられます。こういう考えに至ったのも、先輩研究者で中世史を専門にされている方が身近に居り、門前の小僧で雑談で話した内容も耳学問として記憶していたことによります。

 少々年寄りの説教くさい内容になってしまったかも知れません。結局は仕事の現場では、何が役に立つのかは判らないので、様々なことをインプットしておく必要がある、とまとめられるかも知れません。人は打ち出の小づちではないので、見知ったことしかアウトプット出来ません。いつ何時にどのような事に出くわすか判らない。そのため、普遍的な話ではないかもしれませんが、どんな情報でも貪欲に吸収するという姿勢が、学芸員という仕事には役立つのではないかと思います。

いただいたサポートは、史料調査、資料の収集に充てて、論文執筆などの形で出来るだけ皆さんへ還元していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。