私とのおしゃべり

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私の言うことは100%正しい、は本当だよ

私にとって100%正しいこととは、 お母さんが言うことでもなく 友達が言うことでもなく 偉人が言うことでもなく 占い師が言うことでもなく 「私の心が言うこと」だ。 それは間違いないとして じゃあ、その導き出した「正解」を、 他人に「これが正解だよ」と 差し出したらどうなるのか? うん、差し出したいよね。 だって、せっかく正解を見つけたんだもん。 まわりの人にも、 その「正解」を使って幸せになってほしいよ。 でもやっぱり、 その人にとっては その人の言うこ

    • 自己受容の落とし穴

      「自己肯定感を上げるためには まずはどんな自分も許してあげよう!」 「どんな自分も責めない!」 「自分を受容することが大切だ!」 今日は、これの落とし穴にハマっていたお話。 自分を受け入れるっていうことは、 どんな自分のことも好きでいるっていうこと。 例えば、怠け者の自分。 例えば、せっかちな自分。 例えば、ねちっこい自分。 そんな自分も好きになろう。 好きになろう。 好きになろう。 … なれん!! そんな自分普通に嫌!!! みたいなのが、自己受容失敗パター

      • 自分にお悩み相談をした結果

        私: 私はずっと、私の中に二人の人間がいるかのように 相反する2つの意見に引っ張られ、身動きの取れない人生を送ってきたように感じます。 例を挙げると、新しく知り合った方と意気投合し、「ぜひまた1ヶ月後に会いましょうね」と連絡先を交換したとします。 その時は嬉しくて嬉しくて、1ヶ月後にその人に会うことを心待ちにしながらバイバイします。 しかし1ヶ月後の私は、もうその方には会いたくなくなっています。 こんな感じで、いま私には友達が一人もいません。 子供の頃は、習い事を

        • 置かれた場所でも辿り着いた場所でも咲く

          自分の心持ちひとつで 地獄にいても幸せを感じられるし 天国にいても不幸になることはできる。 同じものを見ても、 「へっ、くだらない」と思う人と ワクワク楽しめる人がいる。 そのものに意味はなくて その場所に意味はなくて 意味をつけているのは自分だから。 とはいえ、苦しい時は苦しいし つまらないものは、つまらない。 自分が地獄だと感じる場所に居続ける必要なんて全くないし、 自分にとっての天国は必ずある。 だけど、苦しい時に ふと思い出すだけで救われることがある。

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          地球で生きるための攻略本

          この世には、生き方の攻略本であるかのような内容の書籍や情報が溢れている。 でも、この世を攻略できた人など この世に一人もいない。 一時的に、攻略できている(かのような) 人間がいるだけ。 ゲームの攻略本を書けるのは ゲームの中にいる人物じゃない。 地球で生きるというゲームの攻略本を書けるのは、 地球の外側にいる者だけだ。 ゲームの中にいる人物が書いた、あたかも「攻略本」かのように見えるその本に書かれていることは 一見、真実のように見える。 でも、そこから外れてい

          地球で生きるための攻略本

          価値ある者への接し方

          「あなたは、価値のある人間なんだよ」 その思いは、言葉にせずとも簡単に伝わる。 それは目線から、声色から、文面から、表情から、 毛穴からも発せられるメッセージであり 人は、敏感にそれを感じ取る。 逆に言えば、そのことを感じられない時 つまりは価値のない人間扱いをしたりされたりした時に、 人間関係に亀裂が入るんだろうなと思う。 ディズニーランドや高級ホテルや高級ブランド。 一流の接客は、常に相手をVIP気分にさせてくれる。 でも、本当のVery Important Pe

          価値ある者への接し方

          私のパクチーな部分

          情けなくて消えたくなる日があるほど 自分の中にある嫌いなところは 私のパクチーな部分。 強烈に自分を嫌になるほどの 強烈な個性がそこにはある。 そのせいで嫌われることもあるけれど そのおかげで好かれることもある部分。 自分が「正解だ」「理想だ」と思う何かに 自分を寄せていくことは、 私のパクチーな部分を消すことでもあった。 自分よ、パクチーであれ。 ものすごく臭がられるかもしれないけど(特に自分に) いつかパクチーのようにブームが来るかもしれない。 欠点も愛そう!

          私のパクチーな部分

          言い合いは同じことの言い合い

          私の母は、 いつも父に対する愚痴を言っている。 基本的には 「何度注意しても、 また〇〇ができてなかった(怒)」 という内容になっている。 私は、聞くたびにイラっとしていた。 父は何度言っても治らないんだから、 諦めるか、もしくは母の側が何らかの対策を打ったらどうかと提案する。 すると、 「説教してこないで!」と言われ、 さらにイラっとする。笑 人にはできることと、できないことがある。 同じ愚痴を何度も口にしていないで、 できないことは求めるのはやめて 自分

          言い合いは同じことの言い合い

          争う理由がある人

          今、多くを手に入れていて 毎日幸せに暮らしている人は それを奪おうとする何者かが現れたとき、 その幸せな日々を守るために敵と戦うんだろう。 今、大切な人がいる人は その人を傷つけようとする何者が現れたとき、 その人を守ろうとして敵と戦うんだろう。 今、自分は不幸だと思っていて 何も持ってない、そばに誰もいない人だったら 何者かに戦いを仕掛けられたとしても もういいや、と投げやりになって 争いを放棄するかもしれない。 争っているのは、何かを守りたい人。 守りたい何

          争う理由がある人

          なりたかった自分になるきっかけ

          最近、ひょんなきっかけから なりたかった自分にぐっと近づけたような気がしている。 なりたかった自分とは、 今の現実も、過去に起きたことも、 どんな自分のことも、どんな他人のことも、 まるっとそのまま受け入れられる人間でいること。 すべてを受け入れる大切さは頭では理解できても、 どうしても嫌な過去は嫌だし、 現実を変えたいし、自分が変わりたいし、 他人にも変わって欲しいって思ってた。 でもなぜかここ数日で『これでいいやん』と思い始めている。 きっかけは、 Xのタイム

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          悪だと思ってたものが善だったとき

          子供の頭を叩く。 むかしむかし、それは躾であり、善だった。 今の時代で考えると それは虐待で、悪でしかない。 しかし最近、頭を叩くと血流が良くなり、脳のシナプスが活性化し、頭が良くなると聞いた。 もしかしたら、また頭を叩く=善の時代が来るかもしれない。 そして、また悪の時代に戻り、その後にまた善の時代がやってくるのかもしれない。 そう考えると、本当に全ての出来事への意味付けは無意味だなと思う。 ましてや、善だ!悪だ!と思い込んで 人と争うなんて、無意味すぎること

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          お金や時間を無駄にした人

          多くのお金を無駄にしてきた 多くの時間を無駄にしてきた よく聞く後悔だけど、 無駄がどうかなんて、どうしてわかるの? 無駄だったと思い混んでいる そのお金や時間を、 もしもその時別のことに使っていたなら そこで命を落としていたかもしれないよ。 無駄だと後付けしてるのは自分自身で 本当は、それは人生において とてつもなく必要な出費と時間だったかもしれない。 無駄にしなかったほうの人生を、見てみたことがあるの? もっと悲惨かもしれないよ。 無駄なんてない。決めつけでし

          お金や時間を無駄にした人

          あ、今日雨だ。

          いつもは気にならないことが 今日はものすごく気になる。 自分のすべてが嫌になって 不幸な日々を送っているような気がしてくる。 なんでだろう?と、原因を考え始める。 それを突き止めて、対処をすれば このモヤモヤが吹き飛んでいくと信じて。 でも、ハイ残念! 原因なんて、いくらでもでっち上げられる。 そこには真実はないんだよ。 そんな日に、早く気付いて欲しいことは 今日は雨の日なんだっていうことだけ。 理由なんてなくても、どれだけ幸せでも、 心の天気は嵐になる時がある。

          幸せは気分でしかない

          なんにも良いことがなくても なんか幸せだなーと感じる日がある。 何も起きてなくても わざわざ探してきてまで(大抵は無意識のうちに) 不幸を感じる日がある。 結局のところ、幸せは気分でしかない。 自分の持っていない、それを手に入れれば 未来永劫幸せでいられるかのように見えるし、 自分の持っているものを失ってしまえば 未来永劫どん底が続くかのように見えるけども どちらの日々の中にも きっと幸せと不幸は入り混じっている。 だって気分なんだから、 天気みたいなもの。 そ

          幸せは気分でしかない

          なんにもできない

          自分へ。 失敗してもいいよ 失言してもいいよ うっかりしてもいいよ 迷惑かけてもいいよ ポンコツでもいいよ 間に合わなくてもいいよ 恥ずかしい思いしてもいいよ 逃げてもいいよ 嫌ってもいいよ 怒ってもいいよ 無駄になってもいいよ 絶対にダメだ、って思ってたこと 全部やっていいよ。 そんなの、なんてことないから。 「絶対にやっちゃダメだ」と思うことを大量に抱えたまま できることなんて、 ほとんどないから。 何にでも「いいよ」って許可を出しさえすれば

          なんにもできない

          好きがわからない

          心は肌にある。 風がやわらかく肌に触れる時 洗われるような感じがするから。 心は耳にある。 心地の良いリズムを聴いた時 ほぐされるような感じがするから。 心は鼻にある。 懐かしい匂いを嗅いだ時 ぎゅっとなる感じがするから。 心は目にある。 好きな人を見た時 弾むような感じがするから。 心は舌にある。 美味しいものを食べた時 満たされた感じがするから。 触れた時、聴いた時、嗅いだ時、見た時、食べた時、必ず心は動いている。 その振動数が大きいものは何だろう?と 注意

          好きがわからない