すだちくん

田舎者。

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最近の記事

保身だらけのこんな世の中じゃ / 「羅生門」

日本列島の歴史をじっと眺めていると、なんでそうなるの、と言いたくなるようなことが山ほど起きている。たとえば、有名な例を挙げると、「真珠湾攻撃はなぜ奇襲にすると決定されたのか」という問いに誰も答えることができない。日米交渉をしながら12月1日の御前会議で開戦が正式に決まるものの、そもそも外務省は11月から宣戦布告の有無を含めて検討していたし、一方で海軍の幹部は8日開戦であると把握していた。11月27日の大本営政府連絡会議までの間に、誰かが、開戦するということと、奇襲するというこ

    • 「トレインスポッティング」という単語のおそらく本当の意味

      若い頃に観た映画の中でも「トレインスポッティング」は特に印象深い。とにかくスコットランド訛りが聞き取れず、しかしそのことが妙に可笑しくなり、急いで書店に原作を買いに行ったことを思い出す。僕は家庭の事情で幼い頃から複数の方言に親しんで育ったので、英語の”方言”を耳にしたことがうれしかった。もちろん、原作も読みにくいことこの上なかったが、愉快な英語のレッスンだった。 本作の舞台はスコットランドの首都エジンバラだ。労働者階級の貧しい若者たちがヘロインとセックスとサッカーで自堕落な生

      • 狂気と知性は相反しない / 「羊たちの沈黙」

        登場人物たちの風変わりな言動を通して、人間に潜む”狂気”を暴く作品を数多く残したロアルド・ダールは、晩年に1冊の本を絶賛した。 トマス・ハリスの「羊たちの沈黙」である。ほとんどの人はこの題名を1991年の映画によって記憶しているが、1988年に出版された同名の小説が原作だ。 著者のトマス・ハリスに”シリアルキラー”について教示したのが、FBIの行動科学課(Behavioral Science Unit)に在籍していたロバート・レスラーである。FBIは1970年代から凶悪な犯罪

        • ヘンタイの国のアリス・イン・コスプレランド

          たとえば、4歳から15歳くらいまでの少女の写真を裸体も含めて何千枚も撮り、時にはコスプレ衣装も着させ、撮影した写真の状況などを細かくノートに書き付けている30歳くらいの独身男がいたとしよう。今日なら間違いなくジェフリー・エプスタインの友人としてリトル・セント・ジェームズ島で楽しんでいたに違いない。「不思議の国のアリス」や「鏡の国のアリス」で知られるルイス・キャロルである。この小児性愛者が生み出した”アリス”というキャラクターとその本が、それまでの教訓だらけの退屈な児童書に革命

        保身だらけのこんな世の中じゃ / 「羅生門」

          【超解説】 「バットマン」はコスプレした太宰治

          映画は映像を使った表現方法なので、当然ながら小説を原作にしたものが多い。作り手は文字を読んで育ってきたからだ。そこでよく引用される小説が「白鯨」と「闇の奥」だというnoteは既に書いた。というのも、20世紀以前にアメリカで優れた文学はほとんど生まれていない。ピューリタンの強い影響を受けて建国された国なので、今日の印象からすると意外かもしれないが、もともとアメリカの本流はいわゆる”お堅い”国だったのだ。道徳や倫理に関して融通が利かず、「ハックルベリー・フィンの冒険」は全米の各地

          【超解説】 「バットマン」はコスプレした太宰治

          みんなと一緒に流されないための”見ない”というカウンターパンチ

          ノーベル文学賞の候補だと毎回騒がれているトマス・ピンチョンの小説を原作にした映画「インヒアレント・ヴァイス」は、ヒッピーが全米に山ほどいた頃の話だ。2014年の映画だが、よくこれだけ当時(映画は1970年の設定)の雰囲気を映像で再現したものだと感心した。ただ、これはドン・デリーロの「ホワイトノイズ」についてのnoteでも書いたことだが、優れた文学は得てして映像にしづらい。映像はどうしても時間が流れていくので、文字のように静止して何かを描写することができないのだ。ゆえに映画は小

          みんなと一緒に流されないための”見ない”というカウンターパンチ

          まるでベトナム戦争 / 映画「ザ・ビーチ」

          ピピ・レイ島のマヤ湾を訪れた時、The Beach と口走っていた。上掲の写真は僕が撮影したものだ。いったい世界中でどれだけの人が映画「ザ・ビーチ」を観てここを訪れたのだろう。レオナルド・ディカプリオが「タイタニック」の次に主演した映画ゆえ、タイの観光に多大な寄与をした映画だ。 さて、本作は「地獄の黙示録」の番外篇のような映画だとお気付きだろうか。 リチャード(レオ)がバンコクのカオサン通りの安宿に泊まった際、他の観光客が観ていた映画は「地獄の黙示録」なのだ。つまり、小説「闇

          まるでベトナム戦争 / 映画「ザ・ビーチ」

          キッカケをつかみに / 「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」

          「映画のブログなんてどれもつまらないから、あなた書いてよ」 僕にこう勧めた人は、まさかひと月に48も記事を書くとは予想していなかったかもしれない。5月17日に初めての記事を書いてから、毎日の良い息抜きとなっている。この人は僕のことをいちばんよく知っているので、文章力や考えていることをどこかに発信すればいいのにという気持ちで勧めてくれたのだろうと思う。こうしたキッカケは人生を弾ませてくれる。このnoteは決して読者が多いわけではないが、読んだ人が何かを考えるキッカケになれば幸い

          キッカケをつかみに / 「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」

          自己紹介って何を紹介するの / 「ティファニーで朝食を」

          誰しも”私”というものに対して不安めいた感情を抱いたり、それが空疎であることについて怯えたりする。noteの自己紹介の欄に”どこ大学卒”と書いたり"作家/ライター/評論家/云々"と肩書きをたくさん並べてみたり、そうしたラベリングを通じて居場所を探しているように見える人が多い。僕がこうして毎日、それぞれの記事を数十分かけて書いていると”こいつは何者だ”と訝る方がいるかもしれないが、僕は自己紹介の欄に記した通り"田舎者"ということの他に言うべきことが見当たらないし、そもそも”現在

          自己紹介って何を紹介するの / 「ティファニーで朝食を」

          フィクションとノンフィクションの狭間 / 「カポーティ」

          1965年の秋、雑誌ザ・ニューヨーカーに一風変わった小説が掲載された。 それは数年前にカンザス州で起きたある一家の虐殺事件を緻密に描いたものだった。加害者の生い立ちから事件、そして裁判に至るまで、徹底した取材に裏打ちされた”小説”は飛ぶように売れ、新たな文芸のジャンルが登場したかのようだった。 トルーマン・カポーティの In Cold Blood (冷血)である。 カポーティは加害者2名に何度も接見を重ね、両者が絞首刑に処された半年後の連載だった。本人はこの作品を”ノンフィク

          フィクションとノンフィクションの狭間 / 「カポーティ」

          離れている愛 / 「ひまわり」

          ソフィア・ローレンを見ると、パピルスの巻物に描かれた美女を思い出す。 イタリアの伊達男、マルチェロ・マストロヤンニと共演した「ひまわり」では、ロシアとの東部戦線に派兵された夫を待つ妻の役でその美貌を振りまいた。 さて、この映画は”愛を確かめ合うように別れる二人”という悲哀のドラマとして、ラストシーンのミラノ中央駅が観客の印象に残っていると思う。戦争によって現地に何らかの事情で取り残された兵士たちの中には、そのまま定住する者が少なくないことは周知の事実である。過去を捨てるという

          離れている愛 / 「ひまわり」

          各話解説って正解なんですか / ❤️❌🤖

          TikTokとアニメばかり見ている人でも「ラブ、デス&ロボット」は楽しめるようだ。Netflixで視聴できるし、各話10分ほどのSF短編アニメを集めたものなので、”映画を観ていられない”という多動症の連中でも我慢できる長さなのだろう。インターネットを検索すると「各話解説」などの感想が並んでいる。 SFの世界を好む人は”ここ”ではないところへの憧れがある。「ニューロマンサー」や「ブレードランナー」のようなサイバーパンクは、ネオン輝く歌舞伎町あたりを参考に造形されたものらしいが、

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          あまりに人間的な「ブリキの太鼓」

          第二次世界大戦後にドイツ語で書かれた文学でもっとも重要だとされている作品は「ブリキの太鼓」だろう。もう記憶が曖昧だが、たしか大学のドイツ語の授業でもその一部を読まされたような記憶がある。僕は集英社文庫の翻訳を買ったものの、何度も読みきれず、本の山に積んでいた。 というのも、3歳で成長することをやめた主人公オスカルが、太鼓を叩いて叫び声を上げてガラスを割りながら、戦前から戦後のダンツィヒ(現代のグダニスク)を描くストーリーなのだ。こんなものは背景が分からないと読めない。当時の僕

          あまりに人間的な「ブリキの太鼓」

          「大脱走」は映画より史実の方が感動する

          記憶に残る映画のシーンは人それぞれあるはずだが、「大脱走」でのヴァージル・ヒルツ大尉の逃亡劇を挙げる人は少なくないだろう。バイクの排気音が解放感と爽快感を掻き立て、この映画の”名作”としての地位を決定づけた。第二次世界大戦を題材にしていながら、戦闘ではなく脱走に焦点を当てた単純明快なストーリーであることも人気の一因だろう。 僕はこの映画について、ある史実の話をしたい。 1963年に公開された「大脱走」は、ポール・ブリックヒルというオーストラリア人による The Great E

          「大脱走」は映画より史実の方が感動する

          映画や小説でアラレちゃんにならない方法

          ものすごく単刀直入に言えば、ヨーロッパやアメリカなどの思考や文化、芸術などを把握しようとするなら、キリスト教の素養は必須だ。ルーブル美術館に所蔵されているような絵画も、新潮文庫に収録されている小説も、キリスト教を知らなければピンと来ないだろう。それはちょうど仏教に触れる機会をほとんど失った現代の日本人が、奈良や京都の古刹を巡っても「へぇ」以上の感想を抱かないことと同じである。前回のnoteで取り上げたイニャリトゥ監督の「バルド」にしても、メキシコという国について大まかな知識が

          映画や小説でアラレちゃんにならない方法

          【超解説】 イニャリトゥ監督が「バルド」で言いたかった「欧米か!」

          映画を語るという行為は実に赤裸々なことである。語り手の知性や感性が否応なくさらけ出されるからだ。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥというメキシコ人の作品は、最近の映画監督の中で特に語り手の力量を問うものである。 2022年の作品「バルド、偽りの記録と一握りの真実」は、アメリカで活躍してきたイニャリトゥ監督が22年ぶりに母国メキシコで全篇を撮影した作品だ。「バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡)」と「レヴェナント:蘇えりし者」で2年連続のアカデミー監督賞を受賞

          【超解説】 イニャリトゥ監督が「バルド」で言いたかった「欧米か!」