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【超解説】 「オデュッセイア」はパイレーツ・オブ・エーゲ海

この noteを始めて1ヶ月ほど、ふとした時に「映画でよく引用される小説は何だろう」と考えていた。聖書を除けば「白鯨」と「闇の奥」は間違いなく頻繁に言及されているので、リンク先の記事に書いた。ところが今日、クルマを運転している時に気付いた。「オデュッセイア」だ。小説ではないし、引用ではなくモチーフとして用いられているので見落としていた。
古代ギリシアの叙事詩にして、"名前は知っているけど読んだことない本ランキング"のトップ10に必ず入る長篇だ。これを読破したことのある方はほとんどいないと思うので、学生時代に読んだ僕が超解説する。きっとこれから映画を観たり小説を読んだりする時の参考になるはずである。
まず、物語の時代はトロイア戦争(紀元前13世紀ごろ)の直後である。この戦争では、アカイア人(大雑把に言えば古代のギリシア人)たちが、トロイアというトルコ沿岸のどこかの町をやっつけた。原因は、美女ヘレネーがトロイアに誘拐されたからである。はるか昔から人間は誘拐しているわけである。
さて、オデュッセイアの主人公はオデュッセウスである。この男はイタケーという島の王だ。この名前を英語では Ulysses (ユリシーズ)と呼ぶ。アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの代表作は「オデュッセイア」のパロディである。
トロイア戦争に参戦していたオデュッセウスがイタケーに帰ろうと船を出したところ、とんでもないトラブルに巻き込まれ続け、なんと10年も故郷へ帰れず彷徨っていた。海と地震の神ポセイドーンを激怒させたからなのだが、理由は割愛する。「オデュッセイア」という作品はこの放浪譚がメインである。航海の途中で訳の分からない民や化け物や神に出会う"パイレーツ・オブ・エーゲ海"をするのだが、詳細を知りたい方は検索してみてほしい。
故郷イタケーでオデュッセウスを待ち続ける妻の名がペーネロペーだ。ハビエル・バルデムの妻ではない。このペーネロペーの元に、オデュッセウスは死んだのだから俺と結婚してくれと言い寄る男たちが年がら年中来ていた。そこで、息子テーレマコスは、俺が親父を探してくる、と出かけることになる。
「オデュッセイア」は22の本(歌)から成るのだが、第1から第4までがテーレマコスの父探し、第5から21までがオデュッセウスの放浪とイタケー帰還の話、そして第22において、オデュッセウスは言い寄る男たちと裏切った侍女を殺す、という話である。
映画や小説で見慣れたモチーフがいくつもあることにお気づきだろうか。「家に帰ろうとすること」「意に反して彷徨うこと」「部下の忠誠」「妻の貞淑」「裏切り者への報復」など、これらが後世に手を替え品を替え繰り返されてきた。なぜなら、これが"ヨーロッパ"の源流なんだ、と17世紀以降は知識人たちによって念を押されてきたからである。なぜ「オデュッセイア」なのかと言えば、これより古い"物語"がヨーロッパで見当たらないからだ。なぜ17世紀以降なのかというと、それまで「オデュッセイア」はダンテの「神曲」に少し登場したくらいで、ヨーロッパにおいてほぼ忘れられていたからである。
つまり、白人たちにとっての「古事記」の再発見みたいなものである。古代メソポタミアの「ギルガメシュ叙事詩」からかなり影響を受けていることが今日判明しているものの、そんなシュメール人なんてヨーロッパの外なので「オデュッセイア」が素晴らしい、となる訳である。
ところで、この作品はホメーロスの作だと言われてきたが、ほぼ嘘である。当時のエーゲ海の世には"歌をうたう人"という職業(アオイドス)があり、それらを取りまとめたものが「オデュッセイア」である。琵琶法師の「平家物語」みたいなものだ。
ちなみに、「オデュッセイア」には日本人に馴染み深いキャラクターの名前が登場する。彷徨う途中で嵐に遭い、とある島の海岸に素っ裸で漂着したオデュッセウスを助けたのは、その島の王女ナウシカアである。「風の谷のナウシカ」の名の由来だ。島の王はオデュッセウスにナウシカアを妻にしてはどうかと勧め、ナウシカアも好意を抱いていたのだが、オデュッセウスが妻と子の待つイタケーに帰ると告げると、「私のことを思い出してね」と送り出す。こんなエピソードもこれまでにどれだけ量産されたことだろう。愛や恋は太古から変わらないのだ。

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