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【超解説】 「闇の奥」 / 地獄の黙示録

ハリウッド映画で頻繁に引用される「白鯨」についてのnoteを書いてから、「他によく引用される書籍は何だろう」と考えていたのだが、聖書を除けばジョゼフ・コンラッド「闇の奥」ではないだろうか。洋画を吹替版でしか観ない方はご存知ないと思うが、Heart of Darkness というタイトルはいろんな映画の登場人物が目的地や敵地を指して使用している。1902年に発表されて以来、この作品はその後の文学に大きな影響を与えた。とはいえ、この列島はフランスおよびドイツ文学に偏重する嫌いがあり、「白鯨」や「闇の奥」などの英米文学は知名度があると言い難いので、このnoteを見ている方がGoogleする手間を省くために簡潔なあらすじを書く。

船乗りのチャールズ・マーロウが語る、若い頃の話ーー。
アフリカに行きたくなってベルギーの貿易会社に入って現地に着くと、黒人が象牙を運んできて白人と貿易している。そこでマーロウは、ジャングルの奥地に住むクルツという優秀な社員の話を聞く。大量の象牙を送って寄こすのだという。
会社の出張所へ行くと、クルツが病床に伏して云々という話を聞く。マーロウと数人の一行が蒸気船に乗って川を遡り、クルツのいるらしき所へ近づくと、矢とか槍が降ってきて乗組員が死ぬ。奥地の出張所に着くと、クルツを崇拝する白人の青年が「あの人は神のような人だ」と語る。マーロウたちが病んだクルツを運び出して船に乗せると、クルツは「The horror! The horror!」と言って息絶える。

あらすじを読めば、どうしてこの話がその後の世界に強い印象を残したのか分からないと思うが、そこで映画「地獄の黙示録」を観ると良い。なぜなら、「ゴッドファーザー」のコッポラ監督が撮った本作は「闇の奥」が元ネタなのだ。舞台をコンゴ川流域からベトナムに移し、タイトルも Apocalypse Now とした。クルツというキャラクターは、ジャングルの奥地で独立した国を率いるカーツ大佐となった。Kurtzというスペリングを米国人はカーツと発音するからだ。

さて、前置きがずいぶん長くなってしまったが、小説「闇の奥」にせよ映画「地獄の黙示録」にせよ、その感想はコピペのように”西洋の植民地主義の批判”とか"人間の心の闇"などの単語が並んでいる。もちろんそういう側面があるに決まっているのだが、では植民地主義って何ですか、と僕は訊きたい。
大日本帝国がアイヌに対してやったことですか?
植民地がどうの、という言い回しによって「闇の奥」のストーリーはどこかでじぶんたちに関係がないかのような気になっていないだろうか。あるいは、”人間の心の闇”なんて表現で感想を書いた気になれるような語彙力の人物は、そもそも文章の読み書きに向いていない。
僕の感想は極めてシンプルだ。タイトルに全て書いてある。Heart of Darkness のheart とは、ここでは「重要な部分」または「中心」の意味で使われている。日本語訳はなぜかいまだに「奥」と訳しているが、これは闇の心だ。実際に、中国語圏で本作は「黑暗的心」である。
では、何が darkness に当たるのか。人間だろう。文明でもいい。つまり、人間の重要な部分、中心が「The horror」なのだ。なぜ中心が the horror になるのか、そのことについて小説「闇の奥」や映画「地獄の黙示録」を読んだり観たりするなかで、各人に考えたり感じて欲しいからこそ、物書きや映画監督という職業が存在するのだ。
ベルギーがコンゴで行ったことや、ベトナム戦争だけが heart of darkness なのではない。これは例に過ぎない。日本列島でも世界のどこでも、歴史を少し振り返ってみれば、我々のやってきたことは片っ端から the horror ではないかと、ロシアに追われたポーランド貴族出身のコンラッドは人一倍感じていたに違いない。理性に導かれて云々などという御託の逆を書いたとも言える。
この小説の読者ひとりひとりが、自らの darkness に少しでも光を照らすことができるとすれば、それは理性なのか、何なのか。そういうことを突きつけられたと感じた主に英米の作家たちは、本作に影響された作品(「1984」や「グレート・ギャツビー」など)を残し、Heart of Darkness の提示したことを次世代に引き継いだ。
つまり、人が生きている間はずっと終末(apocalypse)みたいなもんじゃねぇか、ということが本筋なのだ。

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