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これもまた歴史の1ページ / 「アイリッシュマン」

I heard you paint houses.
(おまえ、ブッ殺してるんだってな)

Jimmy Hoffa

才能豊かな映画監督マーティン・スコセッシの作品の中でも、2019年の「アイリッシュマン」は特に素晴らしい。これは、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシというイタリア系の俳優の"御三家"が揃い踏みしているマフィア映画でありながら、アメリカの歴史を別の視点から眺めた一作だ。スコセッシ監督作の「グッドフェローズ」や「ギャング・オブ・ニューヨーク」とはそこが異なる。
1950年代のフィラデルフィア。フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)というアイルランド系のトラック運転手が、バファリーノ・ファミリーというマフィアに加入するところから物語は始まる。この映画が他のギャング映画と異なるのは、フランクがまもなくジミー・ホッファ(アル・パチーノ演じる、全米トラック運転手組合の委員長)の用心棒となったことだ。ジミーは組合におけるライバルにしてマフィアのトニー・プロと対峙するためにフランクたちとの結束を強めていく。
ケネディ大統領と不仲だったジミーへの圧力や収監、またそれに対応するフランクたちの姿を通して、観客は50年代から70年ごろにかけてのアメリカの歴史を追いかけることができる。すなわち、有力者たちはマフィアと強い繋がりを持っていたということが次々と明らかになる。
そして、フランクがホッファを始末することになるーー。
ホッファがフランクと初めて電話で会話した時の I heard you paint houses というセリフが、映画の終盤でホッファ自身が被害者となることにつながっている。この paint houses という言い回しは、銃殺した相手の血飛沫が飛び散る様を表現した婉曲(euphemism)である。"おまえ、殺し屋なんだってな"と訳してもいい。
さて、この映画はあくまでもフランク・シーランというヒットマンの回想録であり、これが事実とは限らない。実際にこの映画の原作が世に出ると、公式には行方不明とされているホッファを暗殺したのは他の人物だという反論も多く出された。これが歴史の面白さだ。語られたことは全て検証できない限りフィクションなのである。それはちょうど改竄だらけの日本書紀を"史実"と捉えるなら馬鹿者の仲間入りということに等しい。歴史とはフィクションを言い換えた単語だ。
多くのことが闇に葬られていく。それもまた全て保身のためである。フランクたちにはフランクたちの都合があるし、ケネディ家にはケネディ家の事情がある。これがうまく噛み合わない時に、何かが起きて、"羅生門"が始まる。それが歴史だ。だからこそ、なるべく多くの証言を聞いた方がより真実に近付くことができる。こういう映画もまた、アメリカの現代史に大きな貢献をしているし、観客も政治とマフィアの関係を楽しみながら知ることができる。ただのエンターテイメントに留まらない、優れたメモワールである。

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