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なんでそんなに必死なの / 「ミッション・インポッシブル」

ブルース・ゲラーという名を知る人はほとんどいないだろう。イェール大学で心理学と社会学を専攻して卒業したこの男が、1966年にCBSで Mission: Impossible (邦題はスパイ大作戦)というテレビドラマをプロデュースした。言わずと知れた映画「ミッション・インポッシブル」シリーズの生みの親と呼べる人物だ。しかしゲラーは今日の大成功を見ることなく、1978年に大好きだった飛行機の操縦をしている最中に墜落事故で亡くなった。
ミッション・インポッシブルは、IMFと呼ばれる謎の組織のメンバーたちがextralegal (超法規的)な活動をして悪い連中をやっつける、という分かりやすい図式なので受けが良い。この列島における「必殺仕事人」である。あるいは、超法規までいかないのかもしれないが「VIVANT」も似たようなものだろう。もちろん観たことはない。
僕がこうした映画やドラマを観ると鼻白んでしまうのは、その"悪者"とやらを懲らしめるために、どうしてそこまで真剣になって命のリスクまで負うのか、という点がどうしても腑に落ちないからだ。だいいち、現代の日本政府および行政組織を見ていれば、こんな連中のために一生懸命はたらくなんて冗談じゃない、というのが率直な感想だ。悪者がんばれ、と思う。僕は大学生の時にある友人から"一緒に国家公務員の上級職になろう"と誘われたことがあるが、国のためにはたらくなんて真っ平ゴメンだと断り、大学院へ進学した。そもそも公務員という職業が好きではないのだ。身近な親戚にも1人もいない。しかし、僕はこの世の中が少しでも良くなってほしいとは強く願っているので、公務員や企業を告発する映画は大好きだ。つまり、public のためと言いながら、ほとんどの場合は公務員こそが public に反した連中なのである。
007シリーズはこの点で異なる。ジェームズ・ボンドは英国の諜報員にして命からがらのシーンだらけだが、これは完全にジョークとして撮られている。劇中のセリフも冗談ばかりだし、ボンドガールも毎回出てきて観客サービス満点である。
悪者をやっつけてもやっつけなくても、ボンドがカッコ良ければそれでいいのが007である。僕は大ファンなのでシリーズ全作品を観ている。
ところで、僕はゾンビ映画も全くダメである。
ゾンビが襲ってくる!
へぇ、大変ですね、である。そもそもゾンビなのか吸血鬼なのか知らないが、それらを片っ端から駆除していくことが何の寓話なり隠喩なのかさっぱり分からない。第二次世界大戦中の"鬼畜米英"みたいなものだろうか。あるいは、民主党員にとっての共和党員みたいなものかもしれない。「ウォーキング・デッド」というドラマもずいぶん流行ったが、僕は第1話だけ観た。これが楽しめる人は精神か性癖のどちらか、あるいは両方がおかしいとしか思えない。いったいどこをどう楽しめばいいのか皆目見当もつかない。次々と襲われることが楽しいのだろうか。こうした夢も見たことがないし、僕には不向きのようだ。
スパイものにせよゾンビにせよ、主人公が善で敵が悪という二元論は好きではない。そういう単純な思考をしているから、今日も世界のどこかで戦争が続いているのだ。

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