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アメリカのジェームズ・ボンド / 「インディ・ジョーンズ」

インディ・ジョーンズという名を聞くと、子どもの頃を思い出す。テレビの下の棚に積まれていたビデオテープの中から、「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」と、その続篇の「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」をよく再生していた。エジプトやインドなど世界各地が舞台なので"こんなところに行ってみたいなぁ"という気分で"インディアナ"の冒険を楽しんでいた。映画俳優のなかでも僕がいちばんよく見た顔はハリソン・フォードだろう。
さて、こんな風に考古学に憧れていた少年が今では"インテリ"なのだが、振り返ってみても実によく出来た設定だと思う。
そもそも、インディ・ジョーンズという邦題が付けられているが、この主人公の名前はヘンリー・ウォルトン・ジョーンズ・ジュニア博士である。架空の大学で考古学を教えている教授だが、遺跡の発掘などフィールドワークに出かけると、愛称の"インディアナ"あるいはそれを略して"インディ"と呼ばれている。これは博士のペルソナと言ってもいいだろう。
中折れ帽をかぶって鞭を振り回すヒーローにして、ちょっとドジで激しやすい性格という愛される人物像をどこからひねり出したのか。スピルバーグとルーカスによると、パルプマガジン(米国の大衆向けの雑誌)の主役たちから着想を得たそうだが、最も大きな影響はジェームズ・ボンドと、チャレンジャー教授だろう。
チャレンジャー教授とは、コナン・ドイルのいくつかの小説に登場する学者で、世界各地を探検して困難を解決していくキャラクターである。ただ、この教授はジョーンズ博士と異なり、他人を威圧するような性格でおよそ社会性に欠ける人物として描かれている。
さて、007シリーズも「インディ・ジョーンズ」シリーズも、一見するとシリアスなことを扱っているように見えながら、敵役がとんでもない兵器を持ち出してきたり、罠だらけの施設の中を右往左往したり、要するにバカバカしいことを一生懸命やっている娯楽なのである。「ミッション・インポッシブル」シリーズは主人公のイーサン・ハントをはじめ登場人物たちが"真面目"に敵役を倒そうとしていて、芸が無いと僕は思う。ボンドやインディのような"なんでこんなことをしなきゃいけないんだ"という一歩引いた姿勢がバカバカしさを生んで楽しめる。主人公たちが真面目では、バカバカしさではなく"バカ"にしか見えない。
だいたい、キリスト教にとって重要な聖櫃をナチスが奪って超自然の力を帯びている、なんて、こんなバカバカしい設定をよく思いついたものだ。「ダ・ヴィンチ・コード」も真っ青の娯楽である。
ジョーンズ教授は、アメリカのボンドだ。ちなみに、2008年に「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」、2023年に「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」と2作がシリーズ作品として製作されたが、僕はどちらも観ていない。インディ・ジョーンズは1989年の「最後の聖戦」で終わったのだ。素晴らしい3部作の思い出として大切にとっておきたい。

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