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理系離れの原因は教職課程です

上掲の画像が何なのかお分かりだろうか。ドブに落ちたパインアメではない。
これは2019年に発表された、M87という銀河の中心にあるブラックホールの photon sphere (光子球)である。人類が初めてブラックホールを”間接的に”目撃した瞬間だ。かつて物理学を専攻していた僕は何とも言えない感慨に耽った。
ここで”間接的に”と書いたのは、光子球のなかの黒い部分(俗にシャドウと呼ぶ)は黒い球があるということではなく、そこから一切の情報(光)が得られないことによる黒だ。ニュートンやガリレイの頃から進歩してきた物理学は、ついにブラックホールの”ほぼ計算通り”の姿を観測するところまで到達したのである。
「え? インターステラーで同じもの見たよ?」
この画像の数年前に公開された映画「インターステラー」は、キップ・ソーンという著名な理論物理学者をコンサルタントに迎え、回転ブラックホールをシミュレーションしてCGにするという力技をやってのけ、これをもとに論文が何本も書かれたほどだが、あくまでもシミュレーションである。この画像は本物だ。
さて、物理学は ma=F などの簡単な式から数学などを援用して発展してきたが、ほとんどの人にとって理科の授業が苦痛でしかないということの原因は、完全に教員である。理科の授業で必要なことは「どうして?」という子どもの疑問を大切にすることと、身近な例を挙げて説明することだ。無味乾燥な教科書なんてほとんど必要ないし、板書もいらない。話をするだけで興味を持たせることなんて簡単だからだ。ところが、きちんと理解していない者を”制度として教員に仕立て上げる”ものだから、生徒の理解を助けるようなたとえ話ができないのだ。
僕は大学生の時にとある予備校で年齢がさほど変わらない生徒たちに数学や理科や物理を教えていたが、授業の大半はたとえ話やイラスト解説だった。ずいぶん人気講師になり、成績が急上昇する生徒ばかりだったが、みんな口を揃えて「学校の先生の授業は黒板に式を書いてばかりでつまらないし分からない」と不満を言っていた。僕も中学と高校で板書を書き写したことなんて一度もないので、気持ちがよく分かると同時に、なぜ教員の制度を変えないのかと腹が立った。
物理や数学などの自然科学は、とにかく基礎から積み上げていかねば先へ進めなくなるので、中学校の数学と理科で躓く子どもが続出すれば”理系離れ”なんて当たり前である。こんな事態は全て教員と、指導内容を決めている連中のせいである。
公立も私立も、学校が多すぎる。教員も多すぎる。そもそも、高校レベルのことすら大して理解もしていないくせに、大学で教職をとってハイ教員ですなんて冗談に近い。こんな制度は即刻廃止すべきだ。そして、全国のまともな大学の理工系の学生の希望者には、テスト1回で数学と理科の教員免許を付与すればいい。ちゃんと理解している者が教えないといけない科目だからだ。
理系離れ、英語が苦手、全て中学校の教員のせいである。指導内容ももちろん悪いが、文科省のせいにしている場合ではない。数学や理科の教員になれる者は全国の理学部や工学部に山ほどいるし、TOEIC800点以上は英語の教員免許をやればいい。
僕は公立中学校に通っていたが、数学の教員は数学を教えるようなレベルの者ではなかった。たまに僕が説明の誤りを指摘していたほどだ。なぜこんな連中が、中学校という子どもの教育にとって重要な時期の教員になれるのか、理解に苦しむ。僕はともかく、他の生徒がかわいそうだった。
文科省がどうの、教育委員会がどうの、そんな組織を指差していても物事の本質には行きつかない。子どもが”興味を持つ”ためにいちばん必要なことは、どう考えても現在の教育制度を支えている教職課程の改造である。教員を既得権にしてはいけない。

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