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キリスト教の空に? / 「ショーシャンクの空に」

I am the light of the world.
(わたしが世界の光だ)

ヨハネによる福音書 8章 12節

映画が好きだという人と話していると、かなり高い割合で会話に登場する作品が「ショーシャンクの空に」だ。僕は大学生の頃、周囲の映画ファンがしきりに本作を勧めるものだから、反発するようにしばらく観なかったほどだ。無実の罪で投獄された男が刑務所で耐えて、やっと解放される、というシンプルな筋書きも然ることながら、主演のティム・ロビンスとモーガン・フリーマンがハマり役だったことも大きい。本作については多くの人が語ってきたと思うので、僕は日本人が気付かないであろう事柄にしぼって書く。
まず、本作のフランク・ダラボン監督は"意図した訳ではない"と後に述べているものの、本作は明確にキリスト教における mysticism (神秘主義)を投影している。アンディ(ティム・ロビンス)はあたかも刑務所に現れたキリストのように描写され、レッド(モーガン・フリーマン)たちとの会話には聖書を思わせる言い回しが頻出する。アンディが看守の世話をしてやったことで、"12人の囚人"たちが刑務所の屋上でビールを飲むシーンは、最後の晩餐そのものである。ワインがビールに変わっただけだ。
なによりも、ノートン所長がアンディに対して聖書でのイエスの発言を引用して"私が世界の光だ"と語るシーンがある。ところが映画を観ていれば分かるように、ノートン所長の言う"光"とはルシファーのことだと分かる。ルシファーとは字義通りには"明けの明星"であり"光を持つ者"だからだ。つまり、神(ここではアンディ)の敵対者として所長が描かれていることになる。実際に新約聖書においてイエスは、サタン(ルシファー)のことを"真理がない"とか"偽りの父"と呼んで、ユダヤ人たちにこう語りかけている。

あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責めうるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜあなたがたは、わたしを信じないのか

ヨハネによる福音書 8章 46節

裏帳簿をつけて着服しながら囚人たちに偉そうに語るノートン所長の姿をニクソン大統領になぞらえる方もいるようだが、確かにそれも一理あるだろう。しかし、主眼がサタンであることは明白だと思う。
映画の題名にもそれがよく現れている。The Shawshank Redemption だ。
この redemption という単語が実に日本語に翻訳しづらい理由は、これはもともと宗教つまりキリスト教において"道徳として悪いことや、罪がある状況からの救済"を意味するからだ。これが後に経済や金融で"買い戻し"や"償還"も意味するようになったため、本作を「ショーシャンクの償還」と訳してしまうと、満期にでもなったんですか?となる。これは救済である。アンディはみずからを救い、刑務所をノートン所長というサタンから解放し、ジワタネホというメキシコの海岸の街へ行く。この redemption を金融の方の意味でとらえるなら、ジワタネホがアンディに"弁済されたもの"であり、レッドにとっての天国でもあるだろう。
ちなみに、こんなことを書いているが、僕は"なんとなく仏教徒"である。

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