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「それは親が子どもにかける言葉ではないよ」「では親を辞めます」と吐き棄てた親父とのやりとり全文公開。親子の愛の考察。

まあまあ、ひとまずこちらの記事を読んでいただきたいのでリンクを貼ります。読んだことのある方もぜひもう一度読み直してから今回の記事に挑んでほしいのです。

この記事を要約すると
・両親が離婚し親権は母の元へ
・24年間まったく会うことがなかった(当時は今みたいに子どもに会わせないといけない権利はなかったそうです)
・父は私に会いたかったため、私が中学生のときに弁護士を通して正式に面会を依頼した
・私本人が断った
・それから時が経ち、私が作文で賞を取ったというのをたまたま見た新聞で発見し、通っている高校を知った
・上京後、なぜかよく分からないタイミングで父から弁護士を通して、再び面会の要請
・しばらく放置していたが、きっかけが重なり(このきっかけについては追追また書いていきたいです)弁護士事務所で会うことを決意
・結果(このときは)会ってみてよかった
・生きづらさを感じていたこの世にも希望はあったのだと締めくくる…

…なんつー美談なんでしょう。
この時は、本当に会えてよかった、会うという決断をして良かったと思いました。
この話自体、文字数制限のため書ききれていない細かい部分がありますので、タイミングがきたら書こうと思っています。
これが昨年1月の話です。

時は経ち令和4年、8月。
自己紹介にも書きましたが「食道裂孔ヘルニア」「逆流性食道炎」「適応障害」のおかげで絶賛休職中の私は、同級生の結婚式のために帰省。
残念ながら結婚式自体はコロナの影響で流れたものの、私は母にバレないようにこっそり弁護士さんと連絡を取り合い、父親と連絡先を交換。弁護士抜きで会うことにしました。
1回目の面会の様子から、2人でも大丈夫だろうと判断しました。

なぜ父親と2人で会うことにしたのかというと、父は個人事業主のため、休職中の私になにか必要なアドバイスをくれるのではと期待したからです。
病気の話、お金の話などなどセンシティブなものかなと思ったので弁護士さんには外れていただきました。

実際、彼は傷病手当や障害年金、休職に関することなどとても詳しく参考になることばかりでした。
その日は私のお気に入りカフェでランチをして、車で市内をドライブしながら上記の件に関することを聞いてメモしたり、父側からの母方に関する悪態を聞いたり、普通の父娘の会話というのが分かりませんが、まあ父娘にしては事務的な話と愚痴が多かったなという印象です。

「それにしても”適応障害”ってアンタいい病名もらったね〜」と嬉々として語る父。父からすれば障害手当が申請しやすいという意味で言ったのでしょうが、できれば健康に楽しく働いている方が本人も周囲の人間も嬉しいはずでは?
実際この時の私は暑さもあり、かなり体力的にも精神的にも消耗し、テタニー(手足の痙攣)も起こすほどでしたし、虚無感しかなく、死にたい、砂粒のようになってサラサラと消えたいというのが拭えませんでした。

そして彼はランチ中に私に向かって言いました。
「おまえ彼氏はおらんのか、モテるんじゃないんか」
「おらんよ」
「なんか、おまえもしかして処女か!」

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