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Episode 075 「違和感の正体とは」

夏と言えば、やはりオーストラリアはビーチである。泳ぎに行くも良し、浜辺に寝ころがりながら日光浴をするも良し。また、ビーチサッカーもよくしたものである。アデレード(Episode003参照)には綺麗なビーチが複数あり、また、街中からのアクセスも良い。車で15〜20分も走れば、気軽にビーチに行ける。

ハイスクール時代、よく行ったグレネルグビーチ。
同じく、よく行ったセマフォービーチ。

尚、今になって思うのは、何故サーフィンをしなかったのか、という点である。スケボーの流れからサーフィン、という路線もあっただろうが、なぜかそうしなかった。日本に帰ってきて、オーストラリアで思春期を過ごした旨を伝えると、多くの場合、「オーストラリアって、ビーチとか良さそうですね。サーフィンとかやってたんですか?」という質問をされる。オーストラリア=サーフィン、というイメージがあるのだろうか。ブラジル=サッカー的な。

大学生の時(2003〜2006年頃)であっただろうか、クイーンズランド州の州都であるブリスベン(有名なゴールドコーストがある街)という街で日光浴をした事があった。オーストラリアの日差しは日本のそれとは大きく異なり、ジリジリと肌が焼ける様な(熱による)刺激を伴う。そんな事は充分に理解していたはずなのだが、どうやらその日差しの強さを軽視していたのか、肌を焼きたいという気持ちだけが先走ってしまったのか、なんと日焼け止めを塗らずに浜辺に寝そべって眠りについてしまった。

実際に眠っていた時間はそれほど長くなかったと思うが、起きあがる際に体に異変を感じた。完全に焼け過ぎたのだった。低温火傷である。起きあがる際に腕や脚を曲げると激痛が走り、上着を着る際にも洋服が肌に触れるだけで激痛が走った。家に帰り、シャワーを浴びる際もほぼ水に近いぬるま湯でないと痛くて我慢ができなかった。自分の馬鹿さ加減に呆れたのを憶えている。

数日が経ち痛みは少しずつ治まったものの、今度は皮膚の皮がポロポロと剥け始めた。尚、その剥け方は尋常ではなく、つまり、朝起きると剥けた皮でベッドのシーツが覆い尽くされていた程だ。コロコロ(ちなみに、この「コロコロ」の正式名称は何なのだろうか)を使い掃除したものである。因みに、妹がふざけて掃除機を直接私の身体に当て、剥けた皮を吸い取っていた。後に知った話なのだがオーストラリアの紫外線の異常なまでの強さはどうやらオーストラリア大陸の上空のオゾン層が薄い為、との事である。従って、多くの人々が紫外線の悪影響にさらされており、皮膚ガンの発症率は世界一、らしい。

コロコロ

幸いな事に、オーストラリアに長く(1996年〜2010年までの14年間)住んでいたが(Episode001参照)皮膚ガンにはならなかった。この様なこともあり、ネイルスワースプライマリースクール(Episode004参照)及びペニントンプライマリースクール時代(Episode014参照)は、外に出る際は常に帽子を被る様にと言われていた。日本で言うところの「外から帰って来たら、“先ず手洗いうがいをしなさい”」と同じ様な感覚である。

尚、オーストラリアには“外から帰ったら手洗いうがいをする”という習慣は無い。故に、2020年の2月頃から世界的にパンデミックとなったコロナ(COVID-19)騒ぎでは、(手洗いうがいをする、という習慣が無いが故)色々と苦労したと想像される。

また、オーストラリアでは子供が被る帽子には、帽子の後ろの部分に長方形の形をした布が付いている。首の後ろが焼けるのを防ぐためである。日焼けを防ぐ為にと野外のプールに入る際もTシャツを着たまま水に入っていた。そして、ご想像の通り、(プールにTシャツなんて着用し入ると)非常に泳ぎにくい。併せて、日焼け止めをたっぷりと塗って水に入るのである。全ては、日焼け(皮膚ガン)予防である。

そうそう、こんな感じ。見た目に関しては、控えめにいってもダサい。

しかしながら、やはり日焼け止めを塗りたくり、その上にTシャツを着用し水に入るという行為は、最初は躊躇した。この感覚は、例えて言うなら、故障して止まっているエスカレーターを(つまり自分の足で)歩いて上る(または下る)時に感じる「違和感」である。階段とも異なる、何とも言えない違和感がある。通常、服を着用して水の中には入らない為、そこには大いなる「違和感」が存在するのだ。そう、感覚的に感じる「違和感」である。尚、どうやら脳科学的観点から見た際、人間の脳が我々に伝達するこの「違和感」の正体はまだ突き止められていない、とか。

尚、中には帽子(水泳用のキャップではなく、普段被る帽子)まで被って水に入る子供もいた。因みに、日焼け止めと言っても日本に売っているような「塗っても、お肌サラサラ」的な要素はゼロである。ベトベトである。少なくとも当時(1997〜2000年頃)はそうだった。ただ、日本の学校の様に、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ等をしっかりと泳ぐ、という様なことはせず、(オーストラリアの小学校では)単純にプールではしゃいでいるだけなので、少しくらい泳ぎにくい状態(つまり、水中でTシャツを着ているという状態)にあってもそれほど困ることはなかった。いい加減なのである。

ただ、大人になって改めて感じているのだが「いい加減」とは、常に「悪い事なのか」というと、必ずしもそうでない様な気がしてきている。「いい加減」が正に良い塩梅で「良い加減」な場合もある。たぶん。

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