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毒親から抜け出したいアダルトチルドレンすい11〜自慢の娘になれるように〜

アダルトチルドレンとして
生きていく覚悟はまだできていない
すいです。

カウンセリングで新たな気づきがあったので
ここに記しておきます
(前回の記事はこちらから↓)

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私は社会人になってから
何度か休職している
鬱と診断された時に始まり
前職では上司のパワハラ
退職してからもバイトを始めては
メンタル不調で辞めざるを得なくなる
頑張って働きたいのに
体が言うことを聞かない。

そうやって職から離れるときに
決まってまみ(母)とおと(父)に言われるのは

「また辞めたの?」
「そこも合わなかったのかあ…」
「どこなら働けるの?」
「もういっそ(精神)手帳もらって、障害者雇用に行ったら?」
(↑手帳を持つことが悪いとかのニュアンスではなく、会社が鬱を理解したうえで配慮をもらいながら働くには障害者雇用しかないんじゃないか?と言っています)

そして大きな溜め息と沈黙
ずっしりとした時間が電話越しに流れる。
私の頭は混乱してパンクしそう
働きたいのに働けない
そんな自分を解って欲しい
だらけている訳ではない
本当に続けることが困難なのだ

しかしついこの間バイトを辞めた。
辞めるって自分で決めたのに
私はその決断に自信が持てなかった。
それは心の奥底に
まみとおとからの批判を恐れる
私がいるからだった。

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家族3人で川の字で寝転がっている時
おとはいつも私の将来の話を持ち出しては
「医者か歯科医師になれ」と言った。
別の日には同僚の子供の話を持ち出しては
こんな大学に入学した、
地元でトップの高校に合格した、
あの子は地方銀行に勤めている、
など私にも押し付けるかのように
何度も何度も繰り返していた。 
私は幼すぎて
(何のこっちゃ)とアホらしく聞いていたが
たぶんめちゃくちゃ期待されていたんだろう。

そんな私も中学に入学し
"留学"という目標ができてから
検定や定期試験
ボランティアや部活動
全ての項目で私なりに努力を続け
高校生の時に夢を叶えた。
それはそれはおとにとっては華やかで
自慢できるコンテンツとなっただろう。
年賀状にはきちんと留学した旨を書いていたし
わざわざ私の現地での写真を使っていたからね。

そんな私が行き着いた進学先は
地元でも片手に収まる人数しか行けない
大都会の有名私大だった。
そこでも私はおとの自慢の娘だった。
おとは会社の人に私の大学を言いふらしては
「すごいですねー」
「お嬢さん、素晴らしい!」
と言われたことを私にも報告した。
地元はとても小さいので
私の噂はすぐに親戚やまみの職場にも流れ込み
私はものすごく複雑だったのを覚えている。

小さい田舎だからかなのか、
はたまたおとの性格なのか。

おとは幼少期に増して
就職について口を酸っぱくした
「せっかく良い大学に入ったなら大手に勤めろ」
「留学したから航空業界でもいい」
「国鉄に勤めたら家族割があるから頼んだぞ!」
なーんて言われた。
当の私はそれどころではなく
自分のレベルに見合っていない大学に進学したばかりに
日々の講義について行くのが必死で
将来のことなんて悠々と考えている暇がなかった。

そうこうしているうちに就活期間は過ぎ
私は在学中に関心を持った福祉の業界について
もっと深く勉強したいと思い始めた。
まみとおとに進学したいと伝えた時、
まみは喜んで背中を押してくれたけど
おとは、どんな顔だったかな。

留学にも行かせて
私大にも入れて
都会での生活も助けて
わがままいっぱい聞くのも
将来の投資だと思ってたから、
きっと期待を裏切られたし
投資が返ってこないと分かったのか
諦めた顔をしていた。

自慢の娘コースは終了したと言える。

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そんなことがあったから
余計におとの評価を気にする自分がいる。
もちろん、こんなことになって
申し訳ない気持ちはある。
小さい頃は期待に応えるのが当たり前で
おとの理想の子供であることが
私の目標でもあったし、
私は何の疑問も持たずに
毎日を必死に生きていた。

今ではもうおとの期待には応えられないし
おとの自慢でも理想でもない。
休職と退職を繰り返す
フリーターになってしまったし、
こんな娘がいて恥ずかしいだろうな。

ごめんね、おと。

でも私気づいたよ
おとの期待に応えることが
私の本意ではないって、ね。

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