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毒親から抜け出したいアダルトチルドレンすい⑨〜子どもを持つこと〜


私の幼少期を振り返るnote です
①はこちらから↓


"自分の子どもを愛せる自信がない"

これが私が出した
子どもを持つことへの
答えである

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「子どもを持つことが怖い」
小さい頃からそう思っていた
なぜ私は生きているのか
生きる価値はあるのか
自分は必要なのか
ずっと疑問だった
同じ思いをさせるくらいなら
子どもなんて要らない

まみ(母)に
「ねえ、なんで私を産んだの?」
こう尋ねたことがある
「子どもを産んで育ててみたかった」
「家庭を持ちたかった」
(エゴじゃねえか)
と私は率直に思った
バレバレな嘘でも
建前でも構わないから
「あなたに会いたかったから」
そんな愛に溢れた
存在を肯定してくれるような
答えが欲しかったけど、
期待した私が悪かったかも

それから私は
子どもを産んで育てることに
とても不安を覚えるようになった


私はよく、
自分の子どもは要らないと
まみに伝えたことがあった
「赤ちゃんが嫌い」
と言う理由で議論したこともある
その度に
「産んでみたらわかる」
「自分の子どもは可愛いと思えるよ」
とまみは言っていた

たぶん私の本当の理由はこれじゃない
機能不全家庭で育ったが故に
同じ家庭環境を作ってしまうのではないか、
と自然に思ってしまうし
現実的にお金や時間、
心の余裕がないことも事実だ。

しかし何がネックかと言うと
やはりまみとの思い出が引っかかる


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まみは仕事柄
新生児や乳児と関わることが多く
仕事の話を私にしたと思えば
「こんな赤ちゃんがいて可愛かった」
「今日の赤ちゃんはニコニコしていて
お利口さんだった」
など知らない子どもの話題を出しては
とても穏やかに楽しそうに話す
(私と話す時はそんなに嬉しそうじゃないのに)
その度に私の心はモヤモヤしていた
何が原因かは分からない
ただずっと顔を知らないその赤ん坊に対し
恨みと妬みが止まなかった
その理由がはっきりした出来事は
従兄弟の誕生だった。

私が8歳の時
従兄弟が産まれた
彼が生まれた時
まみは、それはもう我が子のように
可愛がっていた。
久しぶりの赤ん坊に
親戚中が盛り上がり
それまで一人っ子で
唯一の子どもだった私の座は
あっという間に彼に奪われ
私は"我慢ができる大人"として扱われた。
まだまだ甘えたいお年頃
トイザらスに行けば
従兄弟の方がプレゼントを多くもらい
待望の男児誕生に大喜びの親戚を見ると
本当に心が痛くて悲しかった
(私は要らないんだ)

従兄弟に会うたびに
私は"良いお姉ちゃん"として
過ごさなければならないし
甘やかされる彼を見るたびに
私は負担にならないでおこう
そう心に決めて
なるべく親戚に負担をかけないように
何よりまみの自慢の娘でいられるように
自分の気持ちを殺して
従兄弟を可愛がる素振りを見せ
親戚に馴染むように
大人の振る舞いをした
(もっと甘えたい)
(私のことも見て欲しい)
そんな思いばかりが
心と頭を埋めて行った

本当は従兄弟なんか
生まれなければ良かった
そんなことも思っていた

私はまみにとって
必要な存在なのか
私は誰かにとって
愛せる存在だろうか
愛情を上手く受け取れない私が
自分の子どもを上手く愛せるのだろうか
そればかりが頭を巡って
私は子どもを産むのが怖い

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