見出し画像

虐待、毒親、薬物、多重債務、離婚、夜の世界。

自分の人生を見直し、なかった事にせず、認め、反省し、再出発する為に書き出していきます。

大人になって感じたんだけど子供の頃の記憶って、皆んなちょこちょこ覚えてるよね?
どこに遠足行ったとか。
あたし、ほとんどないんよなぁ。

あたしの中の1番古い記憶は、5歳の時に年の離れた兄から受けた続けた虐待の記憶。 
虐待内容は、記憶をもっと掘り下げれば思い出せそうだけど、いつも片手鍋が目の前に来た所で途切れる。
とにかく、痛みと恐怖以外、殴られてるのか、蹴られてるのか、わからない。
あー、熱い思いもした。

けど、その時間よりも、兄が私を傷めつける準備をしている様子を今でも鮮明に思い出す。
我が家には、あたしをいつも守ってくれる小型犬のポンがいた。
寝ている時も、常に一緒で、母親があたしに布団を掛け直すのでさえ唸り声をあげて守ってくれていた。
兄がポンを棚の上に乗せた後、虐待が始まる。
ポンがあたしを守る為に自分に噛み付くのを阻止した後、虐待し、気がすめばポンを棚から下ろす。
その後、いつもポンはあたしの涙と傷を舐めて寄り添い続けてくれた。

兄は優秀で母のお気に入りだったからか、母に兄の事を言っても対応してもらえず、唯一、虐待の事実を知っている姉が帰宅後は監視してくれた。

ある日、虐待中に姉が帰って来た時に、姉が激高し兄を殺してやるから包丁を持って来い
と言った。
5歳のあたしは、本気で兄を殺して!と姉に包丁を渡したのを覚えてる。

大人になって我が子が出来た後、幼稚園児が自分の兄を心から殺して欲しいと願い、凶器を渡す異常さに気がついた。
当時、兄の足音、声、気配を感じるだけで虫唾が走り、吐き気がするほどの嫌悪感を感じていたから仕方ないっか。

またある日、幼稚園から帰るとそばに居続けてくれたポンが居なくなってた。
母が、あたし以外の家族に攻撃的だからと、ポンを知り合いにあげてしまっていたのだ。
号泣しポンを返してとお願いしたが、戻ってくる事はなかった。

姉は暴力的な虐待はないが、この人も問題があり、家の中で唯一の味方であるポンを失った絶望感は今でも時々、理由なく襲いかかってくる。
虐待が理由か、ポンが居なくなったショックかはわからないけど、あたしの記憶はそこから中学入学付近まで殆どない。

今でも思い出すとポンに会いたくてたまらない。
流石にもう死んじゃってるだろうけど。
あたしが死んだ時は迎えに来てくれるかなぁとか、もうあたしの事なんか忘れてしまったかなぁとか。
せめて離れた後、ポンが心配する事もなくなって幸せに暮らせてたと信じとこ。

生まれて早々から、あたしの人生はおかしな方向へ行ってたんだと思う。
虐待は、まだまだ最悪人生の序章にすぎない事を13歳になったあたしは知らなかったんだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?