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vol.1 京西陣菓匠 宗禅を強くした、コロナ禍のV字回復を振り返る。

こんにちは。京西陣菓匠 宗禅の店主、山本宗禅です。
前回、自己紹介に代えてこれまでの事業展開をご紹介しました。初めてのnoteでドキドキしていたのですが、旧知の経営者仲間だけでなく予想外の方々からご好評をいただくことができて、とても嬉しいです。ありがとうございます。

さて、今回からは、vol.1での予告通り『コロナ禍の軌跡 泣き虫社長の大奮闘記』と名づけ、コロナ禍の経営困難を私がいかにして乗り越えてきたかを紹介していきます。

新型コロナウイルスに関連する自粛も解除され、私たちは元の日常を取り戻そうとしています(もちろん、元あった姿そのものに戻っているわけではないし、元の姿に戻ることが必ずしも正解とも限らないですが...)。

そんな日常を送りつつも、事業においては他の理由でいつ、どんな壁が立ちはだかるかなんて誰にも分からないわけです。

コロナ禍での経営困難という壁を前にして、私がどんなことを感じ、どんなことを考え、どのように乗り越えてきたのか。しっかりと書き留めておくことで、同じような悩みを抱えていたり、経営困難に立たされた経営者の方のお役に立てたら幸いです。
同時に、私自身もこのタイミングで思考の整理をしておくことで、今後に活かしていきたいと思っています。

少し長くなりますが、何度かに分けてシリーズにしていきますので、お付き合いください。


コロナからのV字回復は必然だった⁈ 泣き虫社長の大奮闘記、スタートです

COVID-19、この得体も知れない感染症により、私は倒産ギリギリのところまで追い込まれ、そこから這い上がりました。

多くの方々にとって苦しい状況。自分だけではないと理解はしているけれど、理解したといって解決するわけでもなく。あまりに不甲斐なくて眠れない日々が続き、お酒や睡眠薬、胃薬なしでは今日を乗り越えられない精神状態が日常となっていました。正直、二度とあんな経験はしたくないです。

毎日の出来事に気持ちが大きく揺さぶられ、死をも覚悟するような中で「感情がジェットコースターのようという喩えは、こんな感じなのかもな」と思い浮かべた記憶があります。

家族や働き手(スタッフ)とともに戦ってきたひとつひとつが、誰かの何かのお役に立つことを願います。

私の人生を翻弄することになる激動の三年間は、ひとつの大きな決断から始まりました。ここからは時系列で何が起きたか、どう対応したか、その時どんな気持ちだったかを綴っていきます。

2019年12月 本社移転の決断と契約

2019年12月。世間の経営者と同じく、2020年の東京オリンピック開催、2025年の大阪・関西万博に向けて事業のアクセルを踏んでいました。

私の実家で大阪土産を製造販売する『株式会社長寿堂恵佳』と、菓子の共同配送に特化した物流事業を営む『トライズネットHD株式会社』の本社を同時に移転する決断をしたところでした。
※トライズネットの成り立ちなどは、前回のnote後半に記しています。

当時、手狭になった場所での加工作業(箱詰め、袋詰め)は生産能力に限界があり、製造と物流の場所をひとつにまとめて効率化を図るという目的があったからです。

ビルの1階をトライズネット、2階を長寿堂恵佳として借り上げ、延面積600坪、家賃は合わせて250万円超。私にとって勝負となる大きな決断でしたが、この頃はまだ新型コロナウイルスの存在など全く知りませんでしたから、武者ぶるいを楽しむような時期だったかと記憶しています。

※株式会社長寿堂恵佳は、大阪土産を製造・販売する会社です。『たこべえ』などを販売しています。

2020年1月 新型コロナウイルスの発表と、引越しの開始

2019年12月に世界で第1例目の感染者が報告されたそれが、新型コロナウイルスという感染症であると知るのは、年が明けた2020年1月8日、WHOの発表によるものでした。
そしてそれは、私たちが約1ヶ月半にもおよぶ大々的な引っ越しを開始した頃でもありました。

新型コロナウイルスの影響により、売上は例年よりも少し落ち込んでいましたが、私にはまだ危機感はありませんでした。むしろ「商品の製造も落ち着き、ゆっくり引っ越しできるね」と笑っていたくらい(今思えば、笑ってる場合ではなかったし、褒められた態度ではありません)。

本社ビルです。この時に契約したビルで現在も元気にやっております。(撮影:2023年12月6日)

2020年2月 ダイヤモンドプリンセス号の集団感染

事態を知りながらもどこか自分ごとではなく、のんびりとしていた日々から一転、事態が大きく変わったのが、横浜港で停泊していたダイヤモンドプリンセス号で起きたCOVID-19の集団感染のニュースです。

船内の悲惨な映像が流されるたびに外出を控える人が増え、売上はみるみるうちに落ちていく。土産物を扱うお菓子屋へのダメージは想像に難しいものではないと思います。

厚生労働省による当時の報道発表資料です。

店舗やお借りしている工場の家賃など含めランニングコストは毎月5000万円を超える。どんどん苦しい状況となってくる。
「何か手を打たねば」

この集団感染のニュースを境に、大相撲春場所、春のセンバツ高校野球、造幣局の桜の通り抜けなどが次々と中止を発表。

弊社では商品の取り扱いはありませんでしたが、大相撲商品や甲子園商品、桜関連の商品を販売しているお菓子メーカーは、前もって商品や包装資材の段取りをされていましたから、これらの商品は全て破棄されることになります。
そして、物流会社のトライズネットには返品されてきた他社商品が増え続け、倉庫が溢れかえりました。

当時の写真です。これら全てが破棄されると思うと・・・

この頃、私の頭の中には常に『倒産』の文字が浮かび、不安で眠れない日が続くようになります。

「もう私ひとりの力ではダメだ。この危機を乗り越えることはできない!!」

それまでの私は恥ずかしながら、誰の意見も聞かない孤独な王様であり、独りよがりのワンマン経営者でした。

また、京西陣菓匠 宗禅、長寿堂恵佳、トライズネットHDはグループ会社ですが、それぞれが関与することもなく、どちらかといえば敵対している雰囲気さえ感じるような企業体でした。

悩みに悩んだ私が最初にしたことは、会社という枠を越え、8人の幹部候補を挙げることでした。これはグループ会社内に横串を通し、お互いに協力して助け合えるようにするという思惑もありました。

8人に集まってもらって、私を含めて9人の幹部育成会をスタート。ここでまず行ったのは、私自身が今までの経営、そして行動を詫びること。そしてひとりでは乗り越えることはできない、助けてほしい、力を貸して欲しいと頭を下げることでした。

心から想いを伝えると、なぜか涙が溢れました。私自身、強がっていたけれど素直になれた喜びがあったのかもしれません。

ここで私が学んだのは、以下です。

組織を大きく変えるための第一歩
①経営者として今までの自己反省 
②経営者として心からのお詫び 
③しっかりと頭を下げて、心から協力を懇願する

2020年4月 緊急事態宣言発令から救済プロジェクトへ

2020年4月7日、当時の内閣総理大臣であった安倍元首相から7都道府県に緊急事態宣言が発表されました。これによって我々は、春休みや春の行楽シーズン、ゴールデンウィークの繁忙期が無くなったと自覚することになります。

総理官邸による当時の記事です。

4月といえば、多くの菓子メーカーでは、春休みやゴールデンウィークに向けた商品の仕込みをすでにスタートしている時期です。しかし、百貨店や観光地のお土産店が次々と休業となり、多くの商品が行き場をなくすことになりました。

従来から通信販売をしていたこともあり、自社商品だけであれば通信販売で売り切ることは可能でした。しかし、複数の菓子メーカーの共同配送を事業とするトライズネットの倉庫には、破棄されるのを待つだけで売り場のない、山積みになった他社商品が溢れかえっています。

これまで私たちは『本物の技・味を追求し、より良き文化を後世に継承する』ことを使命と信じてやってきました。これは、同じように志高く、ともに切磋琢磨する同業の仲間がいてこそ成り立つものです。

山積みになった商品を眺めながら、私が考えていたことは「同業仲間が大変な時だからこそ、私たちがこのフードロス問題を何とかしないといけないのではないか!!」というものでした。
こうして、菓子製造メーカー救援プロジェクトを始動させることになります。

次回、『vol.2 菓子メーカー救援プロジェクト』

『菓子メーカー救援プロジェクト』については、次回詳細にお伝えしますが、ざっくりいうと行き場を失った商品達をいかにして販売するかというものです。

当時、とにかく必死で「とにかく大変だった」という記憶しかありません。このプロジェクトが現在の『通販にも強い宗禅』の基盤になるとは、あの頃の私はリアルに想像できていませんでした。ただ、スタッフと仲間とともにこのピンチを乗り切りたくて、自分ができる目の前のことに集中していたのです。

『菓子メーカー救援プロジェクト』の写真です。どんなプロジェクトか分かりますでしょうか?

今日はここまで。
お読みいただき、有難うございました。

スローな更新にはなりますが、またお付き合いいただけますと幸いです。

めっきり寒くなってきました。みなさま、暖かくしてお過ごしくださいね。
ではまた。

山本宗禅

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