souven1r_chambre

自分しか知らない記憶と、実際は無かった記憶を反芻する部屋。白いベッドと針のないレコード…

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自分しか知らない記憶と、実際は無かった記憶を反芻する部屋。白いベッドと針のないレコードだけが、いずれ壁の絵に吸収されることを、頑なに信じている私。

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夏休み 2

 河川敷に降り立った浴衣姿の少女は、夏のさえた色の緑と水色の中に突如咲いた大きすぎる一枚の花びらあるいはじっと街を見据える小さな雲だ。  この河川敷では、今白い浴衣が不安げに立っている階とそのもう一つ下に段があって、下の方で川の水を目の当たりにすることができる。中二階と今いる所を名づけるとすれば、川の水を描きたい場合一階に降りなくてはいけない。この中二階の草っぱらは朝露からなんとなく水気を蓄えていて、ビーチサンダルをうずめながら歩めば足の甲からもしかすると衣服の裾までひんや

    • 夏休み1

       夏休みに入ったけど、設定してたより唐突だったしその割には非夏休みとの境目がぼやけ過ぎている。夏休み突入といえば、頭の中では、友達と一緒に勉強関連の品々を頭上に放って一目散に暑い日差しの下に駆け出す、というどこかで何度も見たような光景を予想していた。でも、今こうやって薄い水色の、本当の薄い水色が少しだけ白の中からはみ出ている空を見上げながら、座って呼吸をしている。現在、朝のまだ透明な時間。6畳一間のアパルトマンの部屋を見つけたら、ベランダもない上半身を乗り出せる程度のガラスの

      • 公民のやかた

         公民館のことを遊園地と呼んでいる人物が今読んでいる詩集の中に出てきたらいいのに。小さな公園のことを遊園地と呼んでいる行政機関はあった。昔住んでたところの行政機関。下町遊園地。昔住んでいた町にある、いくら遊具の品揃えの良い公園だ。初めて聞いた時はたかが公園なのに遊園地と背伸びしすぎな名前を面白おかしく思って、まだ知らなそうな人に吹き込んだり小賢しげにというよりキザにその知識をひけらかしたりした。けれども、他のことに心が対応しなければならなくなってくると、私が熱弁する前にそのこ

        •  学校の帰りに、本当はテスト勉強しなければいけない時間なのにぶらぶらと歩き回っていた道があるのだけれど…どこの道を通ったのか、何を目指して角を折れたのか覚えていない。覚えていないような何の変哲もない日常の行動だったし、道自体が特に印象的な珍しさがあったわけではない。誰かの暮らしの道、道というより路地?  高校入学したての頃、昭和レトロな学校生活とか暮らし、に憧れていた。憧れてはうっとりしているだけで、それが楽しかった。手本としたのは、映画『always3丁目の夕日』とアプリ

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        • 夏休み(小説)
          2本
        • Fの街
          2本
        • 本宮
          4本

        記事

          しぼんだ意欲

           なにを見ても精神衛生を劣悪にしてしまう。病気と安易に命名していいのかわからない、非常に個人的なことにも思えるけれど、多かれ少なかれ悩んでいる人はいるはずだ。  なにを見ても、例えば映画なんてそうだし漫画も、本の表紙でさえそうだ。私の心は相当に毛羽立っているみたいで、どんな柄の布地でもその織られた糸と糸の隙間に絡みいってしまう。そうして繊維はこんがらがって、暗い過去の帳が引き下ろされてしまうのだ。辛い時間である。  しかし、ある程度のよろしくないものの検討は付いている。それは

          しぼんだ意欲

          Fの街 1

           今日は、出前を届けなくてはならないみたいだ。混んでしまってどうしようも無い。終わりの見えないほど客足の繁盛が店内を浸している。静かに凝り固まった書き割りみたいにすら見えてくる沢山のお客ちゃんたち。配膳して、勘定の処理、お水のおかわり、やる事は手に取るよりもわかりやすいけれど、頭ばかりが先に進んでいくから気づくと何も変わらない背景の中で自分だけが右往左往しているのだ。  そんな中で、出前を届けるなんていい機会だ。店が、街から忘れ去られたあたふた劇場たることを自覚させてくれる外

          グランパレ公民館

           この公民館は寒かったのか暑かったのか、あんなに通っていたのに思い出せない。ただ、後架でもないのに館全体がその匂いを閉じ込めていたのは思い出すことができる。というより、その匂いがすることをこの世で私だけが発見したかのように鼻高々と提唱していた自分のことを思い出すことができる、と言った方が正しいかもしれない。私はその時の様子を覚えていることは得意かもしれないが、その時の感情を覚えていることは苦手なゆえ、後々になって創作した感情をその時の景色に重ねてしまう小細工を施している場合も

          グランパレ公民館

          私ってポンコツなのかもしれない

           今日、怒られた。久しぶりに体験したので、もはや初めての経験に思える。あんまり惨めなので笑顔を絶やさずいた。マスクで見えないけれど、いや見えないからよかった。マスクの繊維の隙間から滲みこぼれなくてよかった。怒られている最中に私が頭の中でこなしたタスクは以下のものだ。 ・なんでこうなってしまったかを考えてから、こうならざるを得なかった事情を過去の行動の記憶から引っ張り出してくる ・他の人の場合を広げてみる ・「もしかして…私ってポンコツなのかもしれない」という台詞を気に入って

          私ってポンコツなのかもしれない

          駄菓子屋

          限られたもので良い。全てのものが取り揃えてある必要はあるのだろうか。 田舎者が東京へ行くと、店棚がもはや型録化しているとでも表現すべきであるようなその品揃えの綿密さに圧縮される思いがする。その時、人に贈り物をする時に選びあげるのが楽であるのか、それともあれこれ目移りしてかえって難しいのかを考えて一人不安になるのが常だ。別段誰かの誕生日が迫っているわけではないのだけど。 ところで、あの本宮の駄菓子屋は私の「選択」という行為の持つ意味を豊かにした。理想郷の様な2畳半に満たないだろ

          表現について常々考えていたけども

          何もすることがない時間。持て余す。持て余したこの周りの空気はいったいどこへ流れてゆくのだろう。渦巻いているのだろうか。 暇、この言葉を使わずにどう表現すれば良いか。どうにかして、この時間を意味あるものとして時間のビー玉たちを貯める瓶に入れるかだけを考えている。有意義、という言葉を自分の道標にする。そうして、こうやって全く持って上っ面のはがれてゆく言葉として表現して、自分の生きた時間に意味を見出すことに必死なのである。 こういう話をすると、資本主義だからとかそういう考えが湧いて

          表現について常々考えていたけども

          「泥だらけの純情」を見て、私

          おいおい、順当に幸せになれる結末を考えるのが面倒になっちまったんじゃないか?!と思うような結末である。雪のきらめく煙の中をいじらしく戯れているあたりが切なさをかき立てるいいスパイスにでもなるだろうとでも言いたいんだろう?!と興奮を隠せないこちとら。 この興奮、この煮え切らなさに対する興奮、これがこの二人の恋、愛情の見せたものなのかもしれない。 …なんてうまくまとめた風をしてみたここまでの文章で、彼ら二人よりもいじらしいほどにタッチミスをして入れては消すのタイピングを繰り返して

          「泥だらけの純情」を見て、私

          今日の声

          いつでも夢を

          紺碧

          狭い入り組んだ道だと思っていたのに、案外わかりやすい配置である。くしゃくしゃに丸められた紙にかすれた印刷で宝物のありかが書いてあると思っていたのに、それが光沢のある印刷用紙(あの、子供の頃に黒鉛で落書きしようと思っても上手く描けない方の紙)が折れ目ひとつなく打ち広げられている様子に変わってしまったようだ。 あの氾濫で、街は水びたしになった。こうやって街を歩いている私は泥水の中をいる、というように信じられない高さまで水があった。 古い建築。時が流れてノスタルジィに燻されたみたい

          昨日の恋

          浜田光夫さんが、葛藤を隠して笑顔を見せている演技の時のその筋肉のこわばりが素敵だ。吉永小百合さんとのコンビで描き出される青春は、私の目指していたものである。ただ、高校生活がもう記憶のものとなった今では、もはや夢希望に胸を高鳴らせて妄想してみることは虚しい、したがってそんな行為はしない。高校時代は過去のことだが、まだ割り切って笑い話にできるほど過去のことではなく、当事者意識が抜けないから私の場合辛いのだ。だから、私にとって高校時代を記述することは禁忌なのだ。心に悪いの。そうなの