表現について常々考えていたけども

何もすることがない時間。持て余す。持て余したこの周りの空気はいったいどこへ流れてゆくのだろう。渦巻いているのだろうか。
暇、この言葉を使わずにどう表現すれば良いか。どうにかして、この時間を意味あるものとして時間のビー玉たちを貯める瓶に入れるかだけを考えている。有意義、という言葉を自分の道標にする。そうして、こうやって全く持って上っ面のはがれてゆく言葉として表現して、自分の生きた時間に意味を見出すことに必死なのである。
こういう話をすると、資本主義だからとかそういう考えが湧いてくるけれど、それじゃああまりに決まりきっていてつまらないじゃないか。
なんて、社会の歴史を知っているみたいなこといって、また自分が勉強してきたんだと言い聞かせて安心させる。

今日の昼下がりから夕方にかけて、彼に手紙をこしらえた。そこで文章を使い果たしてしまったのだろうか。

美しいものに感動したことをつらつらと述べるような文章は、写真だろうか。映画だろうか。それともただの私の水晶体の複製品だろうか。
文章にするには、なにか小細工が必要なのではないかと思う。言葉の持つ、色々に、まやかしを生める力。それを十分に発揮するようになる技術とはなにか。今の私には二つしか分からない。第一は、比喩。第二には、気を衒っているとも言えるような意外な言葉の組み合わせである。かなり生まれてから言葉を使ってきた、ずっと使ってこの世の何よりも親しいものだと思っていたのに、ただの二つしか見つけられていない。でも、右手に一つ左手に一つでちょうど持て余さない収まりの良さがあるとも言える。

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