自分で考えそして学ぶ喜び

こんにちは!AKIです。

最近気づいたことがあります。

それは、

「自分で学ばず、自分で考えずに人の言うことだけを聞いていると、間違うことすらできない」

何となくしんどいな、不都合だな、疲れるなとか、こんなはずじゃなかった、と思うことはあっても、今とは違う可能性を考えつかなければ、結局、運命として受け入れる他ありません。

逆に今とは違う可能性を考えることができた人は、その可能性を仮説として、自分の見込みが間違っているかどうか、少なくとも検証することができます。

大抵の場合、痛い目にあって思い知らされるんですけどね。

でも、そこでようやく人は本当の意味で考えること、そして学ぶことを始めます。

世界は自分が今までぼんやりと思っていたようなものではなかったと思い知り、

「本当はどうなんだろう?」

と問うことができて、初めて今までのような自分の思い込みを強める素材をあれこれコレクションするのとは異なる、学びを始めることができます。

 それは多分、誰かが用意してくれた正解を押しいただくような勉強と違って、これさえやれば大丈夫っていう教材がある訳ではないし、

誰かがその成功を保証してくれる訳でもない。効率はとても悪いし、間違える確率も低くはありません。

 でも、間違うことで、痛みを受けることと引き換えに、またひとつ思い込みを壊せるのではないでしょうか。

そうした失敗の痛みが、次の学びの機会となり、ストックになっていきます。

逆説的な言い方ですが、学んだ人はそれだけ間違う権利を得ます。

間違う権利は、学んだ人が手にする自由の中にあるってことですね。

おしまい

最後までお読み頂きありがとうございました。



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