諳-sora-|ていねいな暮らし1年生

ありのままの日常の、こころの動きをエッセイに。 自分サイズで、今を大切に生きていく。

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  • ていねいな暮らし1年生

    時間や、お金がなくても、自分のありのままのサイズでていねいな暮らしをしていきたい。 そんなわたしの、日々の気づきや学びをまとめたマガジンです。

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ていねいな暮らし1年生

ていねいな暮らしって、いいなぁ。 毎日の一瞬一瞬を大切に、ありのままの自分として暮らす。 やっぱり、身の回りの小さなしあわせを見つけられることって、すごく素敵だと思うんです。 でも、心配性で不安になりがちなわたしは、 「ていねいな暮らしは、お金や時間に余裕がある人しかできないよね」 と、卑屈になってしまうんです。 オーガニックのお野菜や綿は高価。 家電製品に頼らない家事は時間がかかる。 だけど、ていねいに暮らすことを通して得られるしあわせを、わたしも感じてみたい。 だから

    • わたしの食事論

      衣・食・住、の中だったら、食がいちばん大事。 しかも、かなり大差をつけて。 食べることが好き、という理由で大学の学部も決めたし、最近は家の近くのお店を調べては「行きたいお店リスト」にまとめている。 だけど、毎日の家での食事となると、凝ったものは作るのも大変だし、毎日それを食べたいわけでもないような。 だからわたしは、ほとんどの食事が具だくさんお味噌汁と玄米ご飯なのです。 朝起きたら、鍋にお水と煮干しひとつかみ。昨晩切ったお野菜と豆腐を入れて火にかける。 身支度をしている間

      • はじめに、わたしについて

        最初に、簡単に自己紹介をしようと思います。 この春、大学を卒業して働き始めた22歳。 関東から関西まで引っ越しをして、一人暮らしも始めました。 真面目な性格ゆえに(自分で言うのもなんですが…)、良かったこともあれば、完璧を目指して苦しくなることも多くて。 そんなときに「世界はほしいモノにあふれてる」というテレビの番組を観て、 「好きなことを仕事にして生きることができるんだ! しかも、みんなとても楽しそうだ!」 と、今まで知らなかった世界を知って衝撃を受けました。 それまで

        • 今を楽しむのが、苦手

          前のおはなし 今を楽しんでいる人は輝いて見える。 それに対してわたしは、今を楽しむのが苦手。 たとえば音楽ライブの最中でも、「将来の思い出になるように、ちゃんと覚えて楽しまないと」と余計なことを考えて意識的に楽しもうとしている。(文章にすると恥ずかしいかぎり。もっと単純に楽しめればいいのに。) でも今を楽しむことが苦手なのには理由があって。 そもそも今を楽しんだ経験が足りないのだと思う。 今まで、「今」を犠牲にして未来をよりよくする方法でしあわせになってきた。 勉強をコ

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          3本

        記事

          過去の自分を超えられないと思った、けど

          前のおはなし↓ あの頃はよかったなあと、思うときがある。 わたしにとってのあの頃は高校時代。部活に打ち込んでいた頃。 運動部で、ひとつの目標に向かってがむしゃらに頑張った日々。 プレーが上手くなり、練習の分だけ自分の成長が感じられたし、つらいことも仲間と一緒に乗り越えた。 毎日大変だったけど、それもいい思い出。 あの充実して、キラキラした日々に戻りたい。 ときどき、今の自分と高校時代の自分を比べて、輝きの差に落ち込んでしまうのだ。 今も、幸せではあると思うけれど… こ

          過去の自分を超えられないと思った、けど

          クリスマスの後悔

          毎年家族でチキンやケーキを食べるのが、クリスマスのお決まりだ。 ただ、わたしは近々実家から出ることが決まっており、今年は家族で過ごす最後のクリスマスかもしれなかった。 しかし、わたしはそのことを特に意識しておらず、いつもどおり過ごしてしまった。 食事後、母が何気なく「今回が最後のパーティーだったかもね」と言った時、「たしかにそうだった!」と気づいた。 ひとつひとつの料理や会話をかみしめて過ごせばよかったと思ったが、もう時間は戻らない。 最後(?)のパーティーのことは、ひと

          実は近くに

          数か月後に引っ越しを控えている私は、最近思い出の品を整理している。 そのとき、小学校のときの友人からの手紙を見つけ、考えさせられたことがある。 小学生のとき、仲の良かった友達として名前はあがるけれど、「親友」と思ってはいなかったくらいの友人がいる。(失礼だけれど、今の思いを正直に書きたい。) 彼女は小学校の途中で遠くに引っ越してしまったので、私達は手紙のやりとりをしていたようだ。 その手紙を読むと、わたしをすごく大事に思ってくれていたことがわかった。彼女はわたしからの手紙

          ふと立ち止まってしまった

          心の中の悪魔が語りかける。 「こうすれば、もっと儲かるよ」。 その声を聞いて、私はふと立ち止まってしまった。 「ギフトエコノミー」についての本を読んだのは、一か月ほど前のことだった。 ギフトエコノミーとは、お金を介さずにモノや技術をやり取りし、ゆずりあう社会のこと。「世界には、全ての人に行きわたる十分な量のモノがある」という考えのもと、ちょっとお隣さんに道具を借りたり、たくさんとれた作物をゆずったりする。 その本を読んで、わたしもまわりの人と支えあいながら生きていこうと決

          ふと立ち止まってしまった

          コーヒーを味わいつくす

          コーヒーを味わいつくす。 ここ数か月くらいだろうか、朝の時間にコーヒーを飲むようになった。 バタバタした朝は、1日の焦りや疲れにつながるから、朝こそ落ち着いてスタートしたい。 朝の時間を大切にしている人はとても幸せそうで、満ち足りて見える。 1日のはじまりを気持ちよく。朝の習慣は、その日のエネルギーチャージになりそうだ。 いろいろ思って、朝にコーヒーを淹れるようになった。 紅茶、緑茶、チャイのときもあるけれど。 コーヒーの味を100%好きといえる大人ではないけれど、コー

          ふわふわしていてもいいじゃない

          「今」に注目して生きることは大切だけれど、将来に思いをはせるのもワクワクする素敵な時間。 とは言いながら、将来のことを考えて不安になってしまうのも事実。 だけど、自分の思いを言葉にしてみることで、将来への不安をポジティブに変換していけるはず。 わたしは、好きなこと・得意なことを仕事にしたいと思っている。 理想は、自分の好きなことをして、結果としてそれにお金がついてくるようなくらし。 興味のあることに、いろいろ挑戦していきたいとも思っている。 こんな感じで、具体的にどんな仕

          ふわふわしていてもいいじゃない

          プラスチック・フリー生活

          プラスチック・フリー生活。 プラスチックは人体にとっても、環境にとっても良くないといわれているけれど、それに対しての自分の考えをまとめようと思う。 そもそも、最近「プラスチック・フリー生活」という本を読んだから、今の関心はプラスチック問題や環境問題にあるのだが、その前はサステイナブル、エシカルなどなどに興味があった(どれもつながってはいるけれど)。 服部雄一郎さん、麻子さんが書かれた「サステイナブルに暮らしたい」という本をたまたま図書館で手に取って、「楽しく、しあわせに暮ら

          プラスチック・フリー生活

          自分の力で生きていく

          わたしはただの消費者でしかなく、いつ壊れてもおかしくないような脆いシステムに依存している。 コロナ禍を経て、自分の生活を振り返ると、ときどきそんな消費者としての暮らしに恐怖を感じる。 電気が止まったり、インターネットが使えなくなったりしたら、いったいどうしたらいいんだろう。 生きることについて、深く考えずに今日まで来た。 だから、資本主義とかAIとか、いろんな大きなものの恩恵を、流れてくるぶんそのまま受け取って生きている。 そしてあるときは、それらの弊害も。 現代に生き

          おひさまのような彼女

          友人に、おひさまのような素敵な人がいる。 彼女のような生き方をしたいと、いつも憧れている。 笑顔が輝いていて、正直で素直。 裏表がなくてどんなときも「自分」として生きる。 プラスの感情だけじゃなくて、負の感情にも正直だから、とっても人間らしくて応援したくなる。 彼女がしあわせだと、周りもみんなしあわせになる。 だけど信念があって、自分の感覚に正直。その信念は、個性となって、光っている。 悩むこともあるけれど、それを前向きに乗り越えて、その道のりさえもしあわせとなっていく。

          ていねいに、今を

          ていねいなくらしをしたい。 そう思う人は、コロナ禍を経てだんだん増えていると思う。 わたしもそのなかの1人で、ただ周りに流されて生きるのではなく、自立して、自分で生活を形作っていきたいと思うようになった。 なんとなく、あんなくらしがていねいなんだろうと思うことはあるけれど、具体的にどんなくらしがていねいと言えるんだろうか。 まず思いつくのは、自然や時間などに抗わずに受け入れるくらし。 季節の恵み、その土地の恵みを楽しみながら、まわりの人と分かち合ってあたたかいコミュニティ

          わたしのしあわせ

          しあわせなきもちで生きていきたい。 でも、わたしにとってのしあわせってどんなことだろう。 しあわせになるためには、なにをしたらいいのだろう。 いろいろ考えていくうちに、「くらし」をより良くしていくことがしあわせにつながるとわかってきた。 はじめは、くらしよりも「どんな仕事をするか」「どのようにお金を稼いで生きていくか」に興味があった。好きなことでお金を稼いでいくのは一握りの人しかできない、遠い憧れのようなもの。どこに妥協するか優先順位をつけて、示された選択肢から選び取って

          エッセイストのような

          “エッセイストな生き方をしたい” 1年前、日記にこう書いていた。 エッセイストは、あたりまえの日常からしあわせを見つけることが得意だと思う。 わたしも、そんな生き方がしたいと憧れていたのだ。 それから、そんなきもちも忘れてしまって、1年以上がたっていた。 エッセイストのように生きたいというきもちを思い出したのは、書店で松浦弥太郎さんの「エッセイストのように生きる」という本を見つけたとき。 本当にエッセイストになるつもりはなく、「エッセイストのように生きたいと思ったこともあっ