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今を楽しむのが、苦手

前のおはなし

今を楽しんでいる人は輝いて見える。
それに対してわたしは、今を楽しむのが苦手。
たとえば音楽ライブの最中でも、「将来の思い出になるように、ちゃんと覚えて楽しまないと」と余計なことを考えて意識的に楽しもうとしている。(文章にすると恥ずかしいかぎり。もっと単純に楽しめればいいのに。)

でも今を楽しむことが苦手なのには理由があって。
そもそも今を楽しんだ経験が足りないのだと思う。

今まで、「今」を犠牲にして未来をよりよくする方法でしあわせになってきた。
勉強をコツコツ頑張って、テストでよい点をとったり。
過ぎてしまった過去や、今まさに過ぎようとしている「現在」はもう味わえないから、これからくる未来のほうが大事。
その思いの根本には、もっと成長したいという思いがある気がした。

現在を犠牲にすることで、将来達成感を味わえる。
将来は、もっともっと、よりよく、しあわせになりたい。
どんどん、いい方向へ、成長していきたい。

確かに、成長したいという思いは原動力になってきたけれど、
いつまでも解放されない、ずっと我慢する生き方に不満がたまってきた。

例えば、ずっと楽しみにしていることがあって、そのときまで何かを頑張るとする。
それ自体はいいことだと思うけれど、楽しいことをしている最中に「この楽しみが終わったらつまらない日常に戻ってしまう。」という雑念が頭をよぎる。
ふだんと違うできごとだからこそ感動や気分の高揚を感じるのに、日常にそれを求めてしまう。(いつもこんなに楽しかったらいいのに…、と。)

将来の楽しみのために今を犠牲にすることは、いつまでもしあわせを生み出さない。
今よりもしあわせになりたいという思いはプレッシャーにもなる。

ずっとプラスを更新することを目指すんじゃなくて、現状維持のときやマイナスになるときがあっても、長い目で見ればしあわせになっている。
そんな、のんびりとした成長が、わたしには向いているような気がする。
成長したいという思いをゆるやかにすることで、たとえ昨日より楽しくないと感じる日があっても、受け入れて味わえるようになると思う。
ありのままの日常のいいところが見つかるようになったら、それは「今を楽しむ」ことのスタート地点だ。


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